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日本最初のコンピュータRPGは何か?①<RPGの日本上陸>

前回の続き。ようやく日本で、コンピュータRPGがどのように黎明を迎えたかという話です。


コンピュータRPG上陸以前

前回の図再掲。TRPGの直接的影響で初期のコンピュータRPGは発展した

コンピュータRPGはTRPGの直系

前回にも提示した米国の状況である。ポイントは、コンピュータRPGは登場過程においてもシステムにおいても、明らかにテーブルトークRPGの直系であり、その導入と進化には一貫性があるということである。登場した時期は、UltimaやWizardryの発売を6年以上も遡る。

日本の場合は、この後詳しく述べるが、1982年という特異点のような年に、TRPGと”同時に上陸"した(それ以前の先駆的な取り組みがあったのを認めたうえで、世間的な認知はこの年からだという意味である)。

日本の黎明期パーソナルコンピュータ事情

これも前回触れたが、日本には米国のような、教育用(CAI)コンピュータによるプログラム文化はなかった。個人がプログラムを組みまたはそれを利用するようになるのは、NEC、日立、シャープ、富士通らの初期のパソコンが出そろう1979年以後でありそれ以前に遡ることはない。さらに言えば、ゲームソフトが雑誌のプログラムリストからパッケージソフトに変質するのはもっと後(早くて81年以後)だった。

なお、TK-80などワンボードマイコンのゲームのプログラムリストは、アスキーやI/Oなどの初期のパソコン雑誌にも初期から頻繁に掲載されていたが、最大で1KBしかないRAMではRPGのような複雑なゲームはとうてい不可能だった。

もちろん、米国からAppleIIなどを取り寄せて試行した人もいたようである。例えば、以下のkzn氏のnoteによると、SF作家の小松左京氏は1978年以前に、国内にAppleIIを持ち込んだ方にStarTrekをプレイさせてもらったらしい。が、これらはかなりのレアな事例だったろう。

日本へのコンピュータRPGの伝来

やはりSF雑誌が最初だった

コンピュータRPGについて、活字媒体で最初に取り上げたのは、調査出来た範囲だが1982年3月に刊行された、徳間書店の雑誌「SFアドベンチャー29号(82年4月号)である。この号では、パソコン特集というコラムで各SF作家のパソコン利用事情を掲載しているが、その中の安田均氏のコラムは「パソコンゲーム奮戦記」と題され、Apple IIによる”Ultima I”のプレイ雑感が書かれている。

徳間書店 SFアドベンチャー 1982年4月号「パソコン特集」
この号には、この記事の他に当時のSF作家たちのパソコン利用状況が掲載されているが当時のソフトやハード性能の限界からかみなさん非常に苦戦されている

ところが、この記事中に「ロールプレイングゲーム」という言葉は一度も出てこない。安田氏より直接お聞きできたのだが(ありがとうございます!) 、ご自分か敢えて使わなかったか編集者が別の言葉に置き換えた可能性が高いとのこと。即ち、この時代のユーザーに、ロール・プレイングと言う言葉を投げかけてもすぐに理解されないと、雑誌編集者や著者であっても思っていたということだろう。

いずれにしろ、この記事を読んだ読者は、Ultimaというファンタジーゲームの存在は認識できても、それがRPGというジャンルのゲームだとは認識できなかったということである。もちろん、ボードゲームとしてのRPGを知っていればピンときたかもしれないが(残念ながらTRPGとの関係性にも言及されていなかった)、この記事はTRPGについて詳細に取り上げたタクテクス3号やS-Fマガジン82年5月号より前であり、それはかなり厳しかったものと思われる。

米国のゲームソフト事情を知る方法

米国の雑誌SOFTALK。これは1983年12月号。中央がゲームのみ、右が全てのラインナップで12位に”Wizardry”、13位に”Ultima3”、27位に”Ultima2”がランキングしている。

今のようにインターネットがない時代に、米国のパソコンソフトの情報を知る方法はほとんどなかった。”Compute!”、”SOFTALK”などの雑誌を取り寄せるしかないが、船便だと1,2か月はかかり即時性はなく、そのソフトを輸入し試してみるにも、さらに同じだけの時間がかかるため、日本への情報伝播は数か月遅れとなってしまうものだった。

ちなみに、上記のSOFTALK誌は、毎月ソフトの販売ランキングが掲載されておりそれがウリであった。そのことやゲーム中心の記事構成など、アスキー社の「ログイン」への強い影響が見て取れるが、そのランキングを見ると(下記のグラフを参照して頂きたい)Ultimaは新作が出るたびに数か月のみランクインするが、Wizardryは、特に1作目は(キャラ持ち越しシステムのため)81年より83年にかけずっと上位にランクインし続けている。

Softalk誌のランキンググラフ。ランキングはゲームだけではなく、VisiCalcなどのビジネスソフトも含めた売り上げを含んでのものなので、ゲームソフトであるWizardryが約2年間ベスト10以上に残り続けるのは極めて画期的な事だった(筆者作)。


Ultima、Wizardryの上陸時期

いずれにしろ、当時はマニアも、国内でアップルソフトを販売するショップですら、情報源はこれらに頼るしかなかったわけである。雑誌I/O、アスキーなどに掲載されている広告を確認すると、1982年5月号において初めて、 "Ultima"の広告が出現し、同年9月号においてようやく ”Wizardly”の広告が掲載されている。先の米国雑誌のランキング情報からすると半年以上の遅れであるが、これが当時の情報伝播と海外輸入品の流通状況だったのだろう(もちろん店舗ではもっと早くに販売されていた可能性はある)。

なお、この最初期の広告でも、”Ultima”や”Wizardry”をRPGとジャンル区分し紹介されることはなかった。「ニューウェーブアドベンチャーゲーム」「ファンタジー・シミュレーションゲーム」とされている。この記事のトップ画像を見てもらえれば分かるが、これらのソフトパッケージには明確に”Role-Playing”と記載されているし、先の米国雑誌でもRPGとして紹介・レビューされているのにである。ここでも、ショップの無理解か読者への(過剰な)配慮が見て取れる。当時の広告で明確にロールプレイングゲームと記載され始めるのは、翌1983年1月以後である。

上下とも、I/O誌に掲載されたコンピュータランド立川(現日本ファルコム)の広告。上は1982年5月、下は1983年4月。その他の広告(スタークラフト社)などもおおむね1983年を境に「ロールプレイイングゲーム」と記載を始めている

国内で”Ultima”、”Wizardry”をプレイするには?

なお、”Ultima”や”Wizardry”を動作させるAppleIIの必要スペックは、
・48KB以上のRAM
・フロッピーディスクドライブ
・高解像度カラーモニタ
が必須であったが、1982年当時、これを国内で揃えると70万円を超える(現在の貨幣価値だと概ね100万円)。これは、当時なら新車の軽自動車が余裕で買え、ゲームをするためだけに購入するにはあまりに高すぎるものだった。中高生はもちろん大学生でも買うのは困難だっただろう。先の安田均氏も、うしろめたさを感じながら安価な「互換機」を購入したそうである。

国内PC雑誌におけるRPGの扱い

1982年のI/O誌やASCII誌、BASICマガジン誌などをかなり細かく確認したが、82年中にRPGについて取り上げた記事はなかった。最初に米国のRPGを明確に「ロールプレイイングゲーム」と記載したのは、82年9月刊の雑誌「ASCII別冊 季刊ログイン2号」である。

アスキー 月刊ASCII別冊 季刊ログイン3号(1982年12月)
明確にジャンルを「ロールプレイイングゲーム」と記載している。

ログイン誌では創刊号より、SOFTALK同様にソフトウェアの販売ランキングを掲載していたが、2号より「SOFTLOG From USA」として米国のランキングも載せるようになっていた。その際に1位となったのが”Wizardry”であり、明確に「ロールプレイング」とカタカナで記載され、超人気作として簡単なレビューが添えられていた。これが、恐らく日本において最初にPC版RPGの存在を明確に表明したものと思われる。逆に言えば、1982年8月以前に、一般ユーザーはコンピュータRPGの存在を知る術がなかったということである。

テクノポリス誌における”Wizardry”の詳細レビュー

そして、まとまった記事においてコンピュータRPGが紹介された最初は、テクノポリス誌83年1月号(発刊は82年12月)まで待たねばならない。ここではじめて、Wizardryの詳細なシステム解説が行われただけでなく、D&Dからの影響についての言及が見られる。これは日本において、TRPGとコンピュータRPGの関連性について言及した最初の文献である。

徳間書店 テクノポリス 1983年1月号
記事は無記名だが、ツクダでクラッシャージョウなどをデザインした多摩豊氏の筆によるものである。なお、同氏は前号においても、SSI社のウォーゲーム紹介記事に「映画E.T.にダンジェオン・アンド・ドラゴンが登場することでも良く分かると思うと思いますが、このファンタジーゲームはコンピュータのゲームソフトにも凄い勢いで、進出しています」(原文ママ)とさらっと記述している。


結論:日本人はいつコンピュータRPGの存在を認識したか?

結論で言えば、一部の先駆的なイノベンターや雑誌編集者、ライターを除けば、日本で一般ユーザー(ゲーマー)がコンピュータRPGの存在を知ったのは、早くても1982年8月以後であり、口コミなども含め広範に伝播し始めたのは1982年の末か83年に入ってからである。

本当か?

いや、そうではない。1982年の段階で、すでにRPGの存在に気づき、それを日本のパソコンで動作させたいと思い実践した人たちがいた。次回はその話をしたい。


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