なぜ初期のRPGはロールプレイングゲームを名乗らなかったのか。
2026年のゴールデンウィークは、日本のロールプレイングゲームの受容史について調べていた。米国で花咲いていたRPG文化がどのように日本に伝播したかを、TRPGだけでなくPC-RPGと並行して調べることで、その普及過程が見えてくるのではと言う仮説である。
(情報ご協力いただいた方々感謝します)
本題に進む前に、まずは「ロールプレイングゲーム」と言う言葉がいつ、どのように誕生し定着したのかについて考察したい。
アメリカでの誕生
ウォーゲームだったD&D
良く知られているとおり、1974年に出版された”Dungeons & Dragons” からロールプレイングゲームと呼ばれていたわけではない。当初のD&Dは、
”Rules for Fantastic Medieval Wargames Campaigns Playable with Paper and Pencil and Miniature Figures”(紙と鉛筆とミニチュアフィギュアを使った中世ファンタジーウォーゲームキャンペーンのルール)と題されていた。なお、ここでのキャンペーンとは、複数のシナリオを連続してプレイできるという意味で、自身が生成したキャラクターを使い続けることが出来るというRPGの特徴を端的に表した言葉である。当時としてはこの、キャンペーンウォーゲームという言葉が、この全く新しいジャンルを表すキーワードだったのだろう。
しかし、「キャンペーンウォーゲーム」は全く定着しなかった。その後すぐにユーザー内で発生した「ロール・プレイング」という言葉が、そのままゲームジャンル自体を指す呼称となったのは、Jon Peterson氏の”Playing at the World”などで書かれている通りである。翌年の”Tunnels & Trolls”では、ルールブック内でRole Playingというワードが明確に使われている。

「ロールプレイングゲーム」の誕生
D&Dにおいて「ロールプレイング」という言葉が利用されなかったのは、その言葉が1974年当時(ゲーム用語としては)存在しなかったからである。また、「ウォーゲム」と言う言葉が使われたのも、D&Dの成立過程(原初はS&T6-10号に記載されたミニチュアウォーゲームルールである)を勘案しても当然であろう。ガイギャックスが偉かったのは、一旦作った「キャンペーンウォーゲーム」という用語に拘泥せずに、新たな「ロールプレイング」という言葉を受け入れたところにある。それにより、このゲームジャンルに対する「ロールプレイングゲーム」という呼称が定着した。
その後米国においては、市場の渇望感とも相まってロールプレイングゲームが飽和的に発売され、中にはRPGと宣伝すれば売れる、という浅はかな志で出版されたゲームすら存在した。以前に紹介したSPIの”Swords & Sorcery(1978)"はその顕著な例である。
当然ながら、日本の場合はそうではない。日本にロールプレイングゲームが伝わったとき、それはただ知られていなかっただけである。
日本への上陸前夜
日本のTRPGのあけぼの
一般的に、日本でTRPGについてメディアで語られたのは、ホビージャパンのウォーゲーム雑誌タクテクス3号(1982年5月刊・但し日本の雑誌の慣習上4月中に発売されていたと思われる)における「冒険のシミュレーション・シミュレーションの冒険」という特集記事(高梨俊一)が最初だと言われている。この記事では明確に「ロールプレイングゲーム」と書かれているし、本誌の表紙にも「ロールプレイングゲーム『ドンキーコマンド』付」と大書されている。
但し、ロールプレイングゲームという言葉だけで言えば、80年末より既にSF雑誌にて紹介され始めていた(下記の表参照)。だが、ゲームシステムや具体的な製品群を羅列し、サンプルゲームやプレイレポートまでも網羅したタクテクス3号の記事は画期的だった。この記事によって、全く新しいゲームの登場を期待したユーザーも多かっただろう。
ところが、この後くだんのタクテクスは、RPGに対して1年近く何も続報されなかった。
なお、RPG自体は78年頃より都内のごく一部の模型店でD&DやSPIのRPGが販売されており、安田均をはじめ、ドンキーコマンドをデザインした坂本忠司の所属するカデークラブや、のちに「キャンパスライフ」をデザインする慶應HQなどのゲームサークルにて、ごく一部の先駆的なユーザーが試遊し始めていたようである。ただしそれは、地域もユーザーも極めて狭かった。

広告及びPCゲーム雑誌での言及は除く。カッコ内は筆者又はデザイナー
参考:「日本現代卓上遊戯史紀聞1-3」
https://www.4gamer.net/games/758/G075800/20251222045/ (岡和田 晃)
https://legalalien.sakura.ne.jp/wiki/
1年間の沈黙
タクテクスで次にRPGの記事を見るのは、タクテスク9号(1983年5月刊)から連載される「トラベラー特集」を待たねばならなかった。おそらくホビージャパン社は、RPGが日本の市場に受け入れられるかの反応を見ていたこと、トラベラーの翻訳の進捗を待ってのことだっただろう(9号には今秋発売とあるが結果的に84年初頭にずれ込んだ)。
但し、旧シミュレイター誌では創刊号(82年9月)に軽く米国の状況について触れたのを皮切りに、毎号なんらかの形でRPGについては触れられていたし、同年11月には既に、日本で最初の商用RPGであるバンダイの「スペースコブラ・最終兵器」が発売されている。また、モデルエースなど都内模型店の広告では、上記タクテクス3号以後、D&D等の広告が定期的に掲載されそこには明確に「ロールプレイングゲーム」と記載されている。これだけを見れば、ロールプレイングゲームという言葉は、この時期既に十分に認知されているように見えるが、果たしてそうなのだろうか。
RPGと呼ばれなかったRPGたち
日本最初の商用RPG?

いつものノリで冗談めかしたリプレイだがゲームの本質を端的に表している良記事。ただし合計7ページにわたる記事に「ロールプレイングゲーム」の言葉は一度も出てこない
旧シミュレイター3号、4号(83年3月/5月)には、このバンダイ「コブラ」のバトルレポート(リプレイ)が掲載されているが、この記事には非常に不可解な点がある。本文中にまったく「ロールプレイングゲーム」と記述されていないのである。
このゲーム(コブラ)は、パッケージにも(小さく)ロールプレイタイプと記載され、マニュアルにもそう書かれている(ゲームの内容的にはパラグラフ式でありながら明確にRPGである)。旧シミュレータ誌は1号からRPGを取り上げていたはずなのに、なぜRPGと書かなかったのだろうか。
さらに、同4号にはツクダ「クラッシャージョウ」のレビューもあるが(こちらもパッケージに"Role Playing Game"と書かれているのに)、この記事にもRPGの記載は全くない(新商品紹介ページでは「ロール・プレイン」という現在では見かけない用語が使用されている)。これらを総合すると、どうもRPGと言う言葉を敢えて避けているようにも感じてしまう。
バンダイ「イメージプレイゲームDO」

また、バンダイは同時期に、首記のゲーム群を発売している。私はこれらのうち1作しか所持していないため下にリンクを掲載するが、それらを読む限り、7作ある作品群の大多数はRPGか、RPGテイストのボードゲームである。実際1983年にこのゲームを見た高梨俊一は「RPGを分かったうえで簡単にしようという志向」を感じると言っている(日本現代卓上遊戯史紀聞3より)。
バンダイ社員は上記の展示会で、このゲームを「シバオケです」と説明していたそうだ。シバオケとは完全に死語であるが(私も知らなかった)、芝居のようにキャラになりきりカラオケするという意味らしいが、これは展示会に来る先進的でない人に理解させるためだったのか?製品のパッケージにもRPGという言葉は一切使われていないところを見ると、敢えてRPGという言葉を使わないようにしていたのではないだろうか?
マーケティング的な「認知問題」
”role”という英語の認知
”role”という英単語はWeblioによると高一レベルで習得すべき簡単な単語だが、日本の場合発音が全く同一の”roll”(転がる)と混同され、ロールと聞いて「役割」をイメージするのは、1980年頃の一般人にはまだ困難だったかも知れない。特に、ゲーマーの間では既に、「ダイスロール」という言葉が既に浸透しており、カタカナで「ロールプレイングゲーム」と書くと、サイコロを振って遊ぶゲーム、という風に感じてしまう。当時の先駆者たちはそれを避けようとしていた可能性もある。
これは米国でも似たようなもので、アバロンヒルは”Magic Realm (1979)”の宣伝に「これは”Roll”プレイングゲームではない」と誤植してしまったり、日本でも1983年5月に発売された光栄マイコンシステムのPCゲーム「クフ王の秘密」のタイトル画面では”Roll Playing”と誤記してしまっている。
マーケティングにおける購買行動プロセス
古典的なマーケティングフレームワークにおいてAIDAというものがある。即ち消費者が購買行動を起こすには注意(認識)→関心→欲求→購入という手続きを踏むということである。新しいジャンルやカテゴリーにおいては、最初の認識が重要であり、これに失敗すると購買には進まない。インターネットのような媒体や知識データベースがない1980年代は、これはマスメディアに頼るしかなかった。
当然ながら、全く知られていない言葉を「認識」させるのは非常に難しい。その場合の常として、隣接領域の言葉を借りながら徐々に「認識」させていくという手法が取られる。であるから、バンダイ社は「スペースコブラ」のパッケージではキャラクター性を前面に押し出した「シミュレーションゲーム」として売り出し、DOシリーズでは、日本語として認識の高い言葉を組み合わせた「イメージプレイ」という言葉を造語したのだろう。
もしバンダイのマーケティングが成功していたら日本のRPGは現在「イメージプレイゲーム」として認識されていたかも知れない。
雑誌の影響力

ここまで読んで、RPGは既にマスメディア=SFやゲーム雑誌に取り上げられていたではないか、と思われるかもしれない。だが、掲載メディアの影響力は、現代の眼で見るとあまりに少なかった。
タクテクス誌の発行部数の正確な数字は分からないが、隔月刊から月間に切り替わる1985年で2万部を超えていたと言われており、RPG特集が最初に書かれた3号で1万部前後と推察される。シミュレイター誌も、83年7月の5号にて1万部突破と謳われていることから、それ以前は数千部にすぎなかったと推察できる。ゲームと購買者層を比較しても雑誌購読者は非常に小さい比率である。
安田均が精力的に書いていたSF雑誌のほうはどうだろうか?70年代後半のSFブームで、S-Fマガジンなどの発行部数は増やしたものの80年代に入りそれも落ち着き、同誌の発行部数は4,5万部といったところだったようである。これはゲーム専門誌と比較すれば明らかに多いが、雑誌のメインは小説であり、いちコラムにすぎないゲーム情報に注目したユーザーはこれも期待ほど多くなかっただろう。
つまり、ボードゲームとしてRPGを取り上げた雑誌記事が、このタイミング(82年末から83年初頭)で与えた影響は非常に限定的だったと思われる。高梨俊一は「E.T.に登場したゲームがロールプレイングゲームだと気付いた人は、日本ではほとんどいなかったはず」と言っているが、その通りだろう。
失敗したマーケティング
このように、1983年におけるRPGの認知は極めて限定的であった。そんな中で、このゲームジャンルのポテンシャルに気付いていたメーカーやパブリッシャーも、日本での売り方に試行錯誤していたことが分かると思う。
スペースコブラやクラッシャージョウがどこまで売れたか分からない。新シミュレイター誌15号(88年3月刊)で、クラッシャージョウやエンタープライズの作者である多摩豊は「ほとんど売れなかった」と言い切っている(おそらくは当時のウォーゲームと比較してという話だろうが)。結局のところボードゲーム界においてRPGが言葉としてもジャンルとしても確定しはじめるのは、1984年の、トラベラーやローズトゥロードの発売後である。そして注釈なしに、RPGといってユーザーがイメージできるようになるのは、1985年のD&D日本語版を待たねばならなかった。

それは外からやってきた
しかしその認知は、残念ながらボードゲーム業界から起こったものではなかった。日本の場合、パーソナルコンピュータゲームでの盛り上がりが先にあり、それを受けてのものだった可能性がある。続いてそのことについて考察する。
