【Vol.1】 英文漫画で読む村上春樹「パン屋再襲撃」「恋するザムザ」「タイランド」
(※本記事は、約1年前に書きかけた内容を、加筆・修正したものです✍)
今回は、先日、近所の図書館で見つけた、村上春樹さんの短編小説の英文漫画についてご紹介します!
村上春樹さんの作品は、日本語の原作はもちろん、英語の翻訳も読んだ事がありますが、漫画は初めて💡
「バンドデシネ」と呼ばれるフランス独特のスタイルで、個性的でシュールなイラストが新鮮で魅力的です♬
以前の記事での『はらぺこあおむし』の絵本のご紹介に続き、異国文化に触れながら英語の世界を広げるヒントになれば幸いです。
(※『はらぺこあおむし』の記事はこちら!)
※なお、記事が少し長くなってしまったので、紹介作品ごとに3つの記事に分けています。
目次はそのままに、別記事で扱う部分は、当該記事のリンクを貼っています。
本書の位置づけ

今回の記事で取り上げるのは、全3冊の「Haruki Murakami Manga Stories」シリーズの2冊目。
出版時期は比較的新しく、2024年の4月。
こちらの記事に初めて手を付けたのは、2024年の年末頃…。あれから1年以上が経過してしまいましたね😅
1冊目は2023年の10月に初版で、3冊目は2025年の4月末に出版されました!
(2026年2月現在、3冊とも最寄りの図書館で借りる事ができました📚)
今回の記事では、こちらの2冊目を中心にご紹介します。
(※ちなみに、1冊目と3冊目はこちら!)
出版社について

同シリーズの出版元であるTuttle Publishingは、1832年にアメリカのバーモント州で創立されました。
その時に掲げた理念は、"to publish best-in-class books which bring people together one page at a time"(「1ページずつ人の心を繋ぐ、業界最高峰の本を出版する」)。
(この "one page at a time" は、"one step at a time"という表現がもとになっています🐢)
その後、1948年に日本に出版支部を設立。
以来、アジアの芸術や言語、文化に関する英語の書籍の出版社として業界を牽引しています。
日本に支部を設立してから70年以上の間に、武術や紙工作から語学や文学に至るまで、数千冊の本を出版してきました。
このように、Tuttle Publishingは、"Books to Span the East and West"(「東と西の懸け橋となる本」)を欧米やアジアに届けています。

Manga Storiesシリーズについて

今回ご紹介する村上春樹作品の英語版バンドデシネ(bande dessinée)は、2019年前後に出版された、Switch PublisingのHaruki Murakami 9 Stories(全9冊)が元になっています。
上記は日本語版ですが、こちらの9冊を英語に翻訳して、3冊のハードカバーにまとめたのが、Tuttle PublishingのHaruki Murakami Manga Storiesシリーズです。
(※)翻案や作画を担当したフランス人アーティストや、原作の村上春樹さんについても、上記の特設サイトをご覧ください!
収録話について

今回ご紹介する、上記シリーズ2冊目の収録話はこちらです。
The Second Bakery Attack (パン屋再襲撃)
Samsa in Love(恋するザムザ)
Thailand(タイランド)
なお、1冊目と3冊目には、それぞれ下記の短編が収録されています。
<1冊目>
・Super-Frog Saves Tokyo(かえるくん、東京を救う)
・Where I'm Likely to Find It(どこであれそれが見つかりそうな場所で)
・Birthday Girl(バースデーガール)
・The Seventh Man(7番目の男)
<2冊目>
・Scheherazade(シェエラザード)
・Sleep(眠り)
以下では、今回ご紹介する2冊目の収録話について、1話ずつ取り上げながら、内容や翻案の見どころ、および英語表現等について見ていきたいと思います♬
The Second Bakery Attack(パン屋再襲撃)

こちらの作品は、同名の『パン屋再襲撃』(1986年)という短編集に収録された短編小説です。
内容の概略としては、学生時代に友人と行った「パン屋襲撃」に対して奇妙なトラウマを持つ男性が、新婚の妻と共に深夜の「マクドナルド」を「再襲撃」する、という何とも奇想天外な物語です😳🌃
なお、本作の英語訳の全文は、こちらのウェブサイトで読む事ができますので、気になった方はぜひ!
ところで、この「パン屋」にまつわる過去のトラウマ(=「呪い」)とは、何を表しているのでしょうか?
以下では、バンドデシネの中での描かれ方も通して、原作者はもちろん、翻案や作画を行った方達の解釈を読み解いていきたいと思います!
冒頭部分

タイトルが書かれた黄緑色のページをめくると現れる、丸々1ページに渡る大きな絵。
そこには、入道雲が浮かぶ空の元、深緑色の広い海の真ん中で、小さなボートに男性が一人腰掛けています。
その下に大きなローマ字で書かれた、"CHAPPUN CHAPPUN" という日本語の擬音語と共に、一人称の語りが始まります📖
DID I MAKE THE RIGHT CHOICE THE DAY I DECIDED TO TALK TO MY WIFE ABOUT THE BAKERY ATTACK?
英語のキャプション自体は、基本的に、上記に挙げた英語版の表現を踏襲しているのですが、文字が全て大文字になっています🔍
普段の英文に見慣れている私達にとっては、最初はやや読みにくい気もしますが、独特でシュールなタッチの絵柄と相まって、次第に作品の世界観に引き込まれていきます🌀
(ちなみに、ボートといえば、Great Gatsbyの最後、"boats against the current"のフレーズを思い出しました!Fitzgerald作品は村上春樹さんの「聖典」の一つですね✨)
海や海底火山の比喩

ところで、冒頭の海の比喩は、原作における、語り手自身の心理描写がもとになっています。
I can present it here in the form of a cinematic image.
One, I am in a little boat, floating on a quiet sea. Two, I look down, and in the water I see the peak of a volcano thrusting up from the ocean floor. Three, the peak seems pretty close to the water's surface, but just how close I cannot tell. Four, this is because the hyper-transparency of the water interferes with the perception of distance.
<上記の映画的心像の概要>
1.小さなボートに乗って静かな海に浮かんでいる
2.下を見ると、海底火山の頂点が突き出している
3.その頂点は水面に極めて近いように見えるが、正確な距離は不明
4.その理由は、水の透明度が高すぎて距離感が鈍るから
この「海のイメージ」による比喩は、物語前半の、「パン屋再襲撃」を決意するまでの過程において散見されると共に、物語最後の「襲撃」後に再び登場します。
(以下は、物語最後に、海の描写が再び登場する場面の抜粋です。)
Alone now, I leaned over the edge of my boat and looked down to the bottom of the sea. The volcano was gone. The water's calm surface reflected the blue of the sky. Little waves--like silk pajamas fluttering in a breeze--lapped against the side of the boat. There was nothing else.
I stretched out in the bottom of the boat and closed my eyes, waiting for the rising tide to carry me where I belonged.
<上記の概要>
海底火山は消え、透明過ぎて存在が不確かだった水面は青空を映し出している。
風にそよぐ絹のパジャマのような穏やかな波がボートの側面に波打っている他、(海底の小石も含めて)何もない。
「パン屋再襲撃」前は、海の底に意識が集中していたのが、「襲撃」後は水面の上の世界に意識が移行していますね!
水面下の世界を「潜在意識」と解釈すると、意識の底で蠢いていた奇妙な "curse"(「呪い」)が解消された、といったところでしょうか?
それでは、「海底火山」や「小石」として表象されていた何らかの "curse" とはいったい何だったのでしょうか?
続いては、後半の「パン屋(マクドナルド)再襲撃」の場面を中心に、語り手を激しい衝動で揺さぶる "curse" の正体について考えてみたいと思います。
「パン屋(マクドナルド)再襲撃」で解消されたものとは?

語り手の男性の "curse" の直接の原因は、クラシック音楽好きの店主による「ワーグナーのCDを一緒に聴いたら、好きなだけパンをあげよう」という意表を突く提案に飲まれてしまった事でした。
その後悔は、"hunger pangs" という強い「欠乏感」となって、今や立派な社会人になった語り手の身体に突如として表れます。
妻の提案で、(従来の「パン屋」の代わりに)24時間営業のハンバーガーチェーン「マクドナルド」を深夜に「襲撃」するのですが…
この時に「マクドナルド」を選んだ時の妻とのやり取りは以下です。
語り手:"McDonald's is not a bakery," I pointed out to her.
妻:"It's like a bakery," she said. "Sometimes you have to compromise. Let's go."
この「時には妥協しなければならない」という妻の言葉が、特に印象に残りました。
店内に突入した後も、拍子抜けの展開が続きます。
深夜の店内には、爆睡している学生カップルと、3人の従業員のみ。
誰も悲鳴を上げずに呆然と銃口を見つめる中、店長は「保険に入っているから、少ないけれどあるだけのお金を持っていってくれ」とかすれ声で頼みます。
お金で円満に解決しようとする店長を銃を脅して店を閉めさせ、目的通りに30個の「ビッグマック」を用意させた後、追加で頼んだコーラ2つ分の会計を済ませると、従業員を縛って店を後にします。
"We're stealing bread, nothing else."
という妻の言葉通り、目的はあくまで、力づくで「パンを盗む」事だけ。
たとえ少し「妥協」をしたとしても、1回目の「襲撃」とは違い、「ワーグナー」や「お金」で「取引」する事なく、純粋に「パンを盗む」という二人だけの「儀式」が無事に完遂されます。
他人から見ると、不可解極まりないこの「儀式」。
デザイン学校の秘書でありながら、銃や目出し帽を所持して首尾よく動くという謎を持つ妻。
その妻の半ば強引な実行力により、語り手(および伴侶である妻の)"curse" が無事に解消されます。
さて、それでは、語り手の "curse" とはいったい何だったのでしょうか?
もちろん、対象が(実体のない「お金」ではなく)「パン」である事や、その方法が(「取引」による和解ではなく)「盗む」という行為である事自体に何らかの意味を見出す事もできるのでしょうが…
私個人の感想としては、"curse" はもっと大きな意味で、人生における些細な(でも予想外な)「ボタンの掛け違い」のような「ズレ」を象徴しているように感じました。
調べてみると様々な見解が出てきますが、文学作品の解釈に「正解」はないので、皆さんもぜひ、ご自身の視点から自由に読み解かれてみてはいかがでしょうか?
視覚表現の見どころ

ここまで、物語のテーマについて主に取り上げてきました。
せっかくなので、続いては、作画上の工夫や魅力について見てみたいと思います。
※なお、著作権の関係上、実際の本の中身の画像の掲載は控えています。
実際の絵柄が気になる方は、ぜひご自身で実物の本をお手に取ってご覧になってみてくださいね!
ローマ字のオノマトペ
まず、Haruki Murakami Manga Storiesシリーズ3冊に通じる特徴として、ローマ字(風)表記のオノマトペ(擬音語・擬態語)の多用が挙げられます。
本作 "The Second Bakery Attack” においても、"GUUUUUUU" というお腹の音や、ビールの缶を空ける時の "PSHAAA"という音、 "JIII"(「じー」)と見つめる際の擬態語などが表情豊かに使用されています。
これらのオノマトペは、原作にはない、漫画翻案ならではの最大の魅力ともいえるかもしれません。
(気になる方は、ぜひ実物の本を手に取って開いてみてくださいね!)
画風や色合いについて
今回ご紹介している漫画翻案シリーズ。
3冊で合計9作品が収録されているのですが、実は、個々の作品ごとに画風や色合いが描き分けてあるんです!
たとえば、こちらの "The Second Bakery Attack" では、全体を通じて暗めのセピア調。
線は細目~普通、絵の特徴はどこか、(アメリカのアニメの)「ザ・シンプソンズ」(The Simpsons)を思わせるものがあります。
個々の作品ごとに絵柄の個性を比べて楽しむのも良いですね♬
海の比喩表現について

上で取り上げた、語り手の「呪い」のような謎の飢餓感を表す「海の比喩表現」。
漫画の中では、原作との対応はもちろん、冒頭を始め、一部原作にない部分にも海の描写を補いながら作品に通底する世界観を表現しています。
また、原作での描写に対して、視点のアングルを少し変えているように見える部分もあります。
たとえば、再襲撃を達成した後の、物語最後の部分。
原作では、前述のように、(海底ではなく)水面より上の風景を中心に描いています。
しかし、こちらの翻案では、あえて海の底から見上げたアングルを入れる事で、海底火山や小石等の「異物」が消えて魚が泳ぐ海の底(=深層心理)を鮮やかに映し出しています。
加えて、翻案において印象的なのが、「入道雲」の存在。
原作にはありませんが、漫画の方では冒頭と最後の両方に「入道雲」が登場します。
空を覆うような大きくて厚みのある雲は、「パン屋再襲撃」により激しい衝動から解放された清々しいラストとは対照的に、まるで嵐の前触れのような予感を抱かせます。
「一難去ってまた一難」という人生の荒波の暗示のようにも感じられますが…
ぜひ、皆さんも本をお手に取って、ご自分の解釈を膨らませてみてくださいね!
(読んだ感想を英語でアウトプットするのも、作文や会話の練習に効果的ですよ😉)
作中に出てくる「日本」のイメージ

本作の舞台は、2冊目の他の収録作品とは異なり、日本に設定されています。
日本人には馴染みのある風景描写は、フランス人アーティストの2人にはどのように映っているのでしょうか?
大部分は特に違和感はないのですが、数点気になったところがあったので書いてみたいと思います。
<登場人物の服装について>
思わず笑ってしまったのは、なんといっても、語り手の卒業写真。
角帽にスーツのような黒いローブを着用した老大学教授から、リボンで結ばれた卒業証書を笑顔で受け取る語り手は、まさかの「ちょんまげ」(?)に侍姿(!!)
(単に「ウケ狙い」なのか、日本人男性の「正装」が侍姿だと思っているのか…?まさかね 笑)
加えて、2番目の「突っ込みどころ」(?)は、最初の「パン屋襲撃」時の2人組の服装。
語り手の服装はともかく、連れの友人は、(バスケ漫画の)『スラムダンク』の桜木花道を思わせる長髪の赤髪。
V字の白いトップスと、とび職のような黒いズボンの上に羽織ったロングコートはおんぶ紐(?)で縛られ、茶色い腹巻(?)をして、足袋のような白い靴(下)を履いています。
(古典的な日本の「ヤンキー」像のような気もしますが、なんか違う気も…)
なお、空腹の二人組がのぞき込む、魚屋のショーウインドーの中にある水槽には、しれっと海底火山風のオブジェがあります!
(このような細かいディテールへのこだわりも良いですね☆)
<モダンさと時代感が交錯するパン屋さん>
襲撃先のパン屋さんは、街角の小さな個人店。
瓦の庇(ひさし)が付いた食堂のような古風な一軒家のドアをくぐると、フランス人の船乗りのような帽子をかぶった、体格の良い髭のおじさんが円盤型レコードをかけながら、かがんでパンをこねています。
棚に並ぶのはフランスパンやクロワッサン、食パン等。
それとは対照的に、壁のポスターは、5円玉の絵柄のような稲の絵と、角のように髪が突き出たスキンヘッドの男性の上に「日本共産党」と書かれたもの。
原作では読み飛ばしてしまっていましたが、舞台となる時代のパン屋さんは、実際にはどのような様子だったのでしょうか…?
他にも、絵柄を注意深く観察する事で、もっと深く作品を理解できそうですね♬
<散見されるカタカナ表記>
パッと気付いたのは、「パン屋再襲撃」に臨む夫婦が運転するトヨタの「カローラ」の脇を通るパトカーの天井に書かれた「パトロール」の文字。
そして、2人が襲撃先に決めたマクドナルド店舗の、赤いビニール(?)の庇(ひさし)上に掲げられた看板の「マクド M」。
(村上春樹さんは京都生まれの兵庫育ちで、作品の舞台も関西が多いようなので、「マック」ではなくて「マクド」なのでしょうね!)
実際には、当時でもパトカーの天井に「パトロール」とカタカナで書かれてはいなかったでしょうし、マクドナルドの看板もアルファベット表記だったのではないでしょうか?
でも、このカタカナ表記による、不思議な「ノスタルジー」感が、絵柄の世界観に独特の深みを持たせているような気がします。
ここまで、翻案における、視覚表現の見どころについて、部分的に取り上げてみました。
上記ではご紹介しきれませんでしたが、まだまだ、レコードや鹿の比喩など、物語の解釈に深みを与えている要素がたくさんあります。
続きはぜひ、本をお手に取って、ご自身の目でご覧になってみてくださいね!
Samsa in Love(恋するザムザ)(➤Vol.2)
Vol.2の記事はこちら!
Thailand(タイランド)(➤Vol.3)
おわりに(➤Vol.3)
共に、Vol.3の記事で扱っています。
