【Vol.3】 英文漫画で読む村上春樹「パン屋再襲撃」「恋するザムザ」「タイランド」
本記事は、Tuttle Publishingの、Haruki Murakami Manga Storiesシリーズの2冊目についてご紹介する記事のVol.3です。
※なお、本記事の目次はVol.1の内容に沿っており、別記事で扱う部分に記事のリンクを貼っています。
適宜、ご興味に合わせてご覧ください♬
本書の位置づけ、出版社の紹介、Manga Storiesシリーズや収録話について(➤Vol.1)
The Second Bakery Attack(パン屋再襲撃)(➤Vol.1)
共にVol.1の記事で扱っています。
Samsa in Love(恋するザムザ)(➤Vol.2)
Vol.2の記事はこちら!
Thailand(タイランド)

今回ご紹介する最後の作品である3作目は、東南アジアのタイが舞台。
本作は、阪神・淡路大震災がテーマの短編集『神の子どもたちはみな踊る』(2000年)の一作品で、作中にも震災についての言及が見られます。
主人公のさつき自身は地震の被害を受けなかったものの、彼女の頭の中には、物語を通してずっと、連絡が付かない神戸在住の元夫のことが引っかかっています。
以下では、自然災害を背景に、若い頃から自分の中にわだかまっていた想いにさつきが向き合っていく過程を、物語の主要なテーマに沿って見ていきたいと思います。
なお、本作の英語版の一部をGrantaのウェブサイトから読むことができます。(※全文を読むには有料講読が必要です。)
https://granta.com/thailand/
(なぜか埋め込みができないので、URLのままで🙌)
震災への言及

本作の主人公であるさつきは内分泌科医(endocrinologist)。
タイで行われる甲状腺(thyroid)学会のついでに、1週間の休暇旅行を満喫します。
その間の運転手兼観光ガイドは、さつきのアメリカ時代の友人が紹介してくれた 、"Nimit" と名乗るタイ人の中高年男性。
ホテルに向かう車の中で、Nimitは、前月に起こった日本の震災について触れます。
‘Strange and mysterious things, though, aren’t they — earthquakes? We take it for granted that the earth beneath our feet is hard and immobile. We even talk about people being “down to earth” or having their feet firmly planted on the ground. But suddenly one day we see that it isn’t true. The earth, the boulders, that are supposed to be so solid, all of a sudden turn as mushy as liquid.
<上記の概要>
地震とは奇妙で神秘的なものだ。
私たちは足元の地面が強固で不動であると思い込んでいる。
「地に足が付いている」なんて熟語があるほどだ。
しかし、ある日突然、それは間違いだと知る。
個体だと思い込んでいた岩石が、なんの前触れもなく液体のようにふにゃふにゃに変わってしまう。
さつきが京都出身だと知って、神戸に知り合いはいないのかと尋ねるNimitに、彼女はとっさに噓をつきます。
実は、神戸には、30年ほど前に別れた彼女の元夫が住んでいました。
さつきの中の「硬い石」

紹介元のアメリカ人からさつきが熱心なスイマーであることを聞いていたNimitは、滞在先のホテルからやや離れた場所にある運動用プールを、彼女の為に貸し切ってくれます。
タイに来ても元夫のことが頭から離れなかったさつきも、連日一心不乱に泳いでいるうちに、少しずつ心が軽くなっていきます。
そして、さつきがタイを去る前日、いつものように泳いだ後でホテルへ帰る途中、Nimitは彼女に連れていきたい場所があると言います。
彼は、近くの村に車を停めると、村はずれの小さな家に彼女を案内します。
出迎えてくれた老女は、年の割に活力と張りのある声をしていました。
老女がさつきの目を覗き込み手に触れている間、彼女は飛行機で感じたほてり(hot flash)が蘇ってくるように感じました。
ようやく手を離した老女の言葉を、Nimitが英語でさつきに伝えます。
SHE SAYS THAT THERE IS A STONE INSIDE YOUR BODY. A HARD, WHITE STONE. ABOUT THE SIZE OF A CHILD'S FIST.
(…)
THIS STONE AND ITS INSCRIPTINO ARE OLD, OLD THINGS. YOU HAVE BEEN LIVING WITH THEM INSIDE YOU FOR A VERY LONG TIME.
YOU MUST GET RID OF THE STONE. OTHERWISE, AFTER YOU DIE AND ARE CREMATED, ONLY THE STONE WILL REMAIN.
(※漫画翻案からの抜粋の為、短編の英語版よりも省略されている可能性があります。)
<上記の概要>
・さつきの体内には、子供の拳くらいの硬くて白い石がある
・石とそこに刻まれた文字はとても古く、それらが長い間体内にあった事がうかがえる
・その石を取り除かなければ、死後に火葬された後も石だけが残ることになる
老女は続けて、近いうちに緑色の蛇が出てくる夢を見るだろうと告げます。
その蛇が3本の足を壁から押し出したら、すかさずその首を掴みなさい
その蛇が自分の人生だと思って全力で捕まえていなさい
夢から覚めるまでその蛇を捕まえていられれば、その蛇が石をのみ込んでくれるでしょう
老婆はさいごに、さつきに「その男は震災でかすり傷一つ付けていないが、それはむしろ幸運なことなのだ」と意味ありげに伝えます。

その夜さつきは、いつか来るべき死を、そして元夫との過去や降ろした子供に思いを馳せます。
彼女は、元夫が苦しんで死ねばいいという、自分の心の奥深くの呪いこそが震災を引き起こしたのではないか、と思い至ります。
彼女は30年間、元夫を憎みながらも、決して忘れることができませんでした。
子供を産みたがらない彼女を責めて浮気をしたアルコール依存症の元夫。
その夫との離婚は、ノーベル賞にも手が届くほどの最前線にいた彼女が研究を放り出してアメリカを去るほど、彼女の心に大きな傷痕を残しました。
しかし、別れた後も、夫の消息をたどることを決してやめられなかった彼女。
震災後も、神戸に住む彼の家に電話をかけようとします。
そこには、愛ゆえの憎しみの深さという矛盾した感情を読み取ることができます。
さまざまな「絆」の形

さつきがタイを発つ前日、プールからの帰り道の車の中で、Nimit は自分が33年間仕えたノルウェー人の宝石商の話をします。
彼が運転するメルセデスと、車中でかけるジャズのカセットテープは、3年前に亡くなった彼の元雇用主から譲り受けたものでした。
「ずいぶん信頼されていたんですね」と言うさつきに、Nimitは、自分が生涯独身で30年以上もの間、別の男性の「影」(shadow)として生きてきたことを話します。
IF YOU LIVE LIKE THAT FOR A LONG TIME, YOU GRADUALLY LOSE TRACK OF WHAT IT IS THAT YOU YOURSELF REALLY WANT OUT OF LIFE.
(※概要:誰かの影として長く生きていると、次第に自分自身が人生の中で何をしたいのかが分からなくなる)
元雇用主の趣味で繰り返し聞かされたジャズの音楽でさえ、自らの耳を通して自分の解釈で聞いているのかすら分からなくなった、とNimitは話します。
WHEN YOU ARE WITH A PERSON FOR A LONG TIME AND FOLLOWING HIS ORDERS, IN A SENSE YOU BECOME ONE WITH HIM, LIKE HUSBAND AND WIFE.
(※概要:誰かと長い時間を共にしてその人の指示に従っていると、ある意味でその人と一体化する。まるで夫と妻のように。)
Nimitにとって、元雇用主は、人生の伴侶のような親密な存在でした。
しかし、Nimitはそこに一点の後悔もない、もう一度人生を生きるとしても、全く同じことをするだろう、と元雇用主への深い敬愛を込めて回顧します。
Nimitのそんな予想外の話を聞いて、さつきは少し困惑するのでした。
いよいよタイを発つ日、空港で飛行機の搭乗時刻を待つ間、さつきはNimitをお茶に誘います。
「今まで誰にも話していなかったんだけど…」と、高校入学直後に父親が亡くなってからの母親との確執について打ち明けようとする彼女を制止して、「その気持ちを言葉にすると嘘になる。ただ吐き出されただけの言葉は石になる」とNimitは言います。
彼は続けて、元雇用主のノルウェー人男性が、ずっと恋しがっていた故郷に亡くなるまで帰らなかったこと、彼もまた心の中に「石」を抱えていた一人であったことを話します。

そして、以前に元雇用主から聞いた、「ホッキョクグマの孤独な生態」の話をします。
THERE IS NO SUCH THING AS A LASTING MALE-FEMALE BOND IN THEIR WORLD.
ONE MALE POLAR BEAR AND ONE FEMALE POLAR BEAR MEET BY SHEER CHANCE IN THE FROZEN VASTNESS, AND THEY MATE.
…
AND ONCE THEY ARE FINISHED, THE MALE RUNS AWAY FROM THE FEMALE AS IF HE IS FRIGHTENED TO DEATH.
THE REST OF THE YEAR HE LIVES IN DEEP SOLITUDE.
MUTUAL COMMUNICATION -THE TOUCHING OF TWO HEARTS…DOES NOT EXIST FOR THEM.
<概要>
ホッキョクグマの世界には、長期的な雌雄関係は存在しない。
一匹の雄と一匹の雌が、凍てついた広大な地で、全くの偶然に出会って番う。
用が済むと、雄は雌から死に物狂いで逃げていく。
その年の残りの期間、雄は深い孤独の中で生活する。
相互の意思疎通、つまり心の触れ合いというものは、彼らにとっては存在しないのだ。
「それなら、なんのためにホッキョクグマは存在するのでしょうか?」と尋ねるNimitに、雇用主のノルウェー人男性は「その通りだよ。それなら、なんのために我々は存在するんだろうね?」と問い返します。
日本へ帰国する飛行機の中で、さつきは、仰向けに泳いでいる時に見た空の景色と、送迎の車中で聞いた "I'll Remember April"(※)の音色に思いを馳せます。
目を瞑って、Nimitが会わせてくれた不思議な老女が予言した「夢」が現れることを待ちながら…
(※)1941年にGene de Paulが作曲し、Patricia JohnstonとDon Rayeが作詞をしたジャズの定番曲
視覚表現の見どころ

ここまで、物語の主要なテーマについて取り上げてきましたが、いかがでしたか?
続いて、作画上の工夫や魅力について軽く見ていきたいと思います。
画風や色合いについて
まずは、色合いについて。前述の2作とは対照的に、水彩画風の優しいタッチ。
登場人物の繊細な記憶を反映するように、全体的に明るい色彩のパステルトーンで描かれています。
線の太さは、普通~やや細めで、場面によってもやや揺らぎがあるようにも感じられます。
ジャズの音色の描写

本作では、ジャズが登場人物を繋ぐのに大きな役割を果たします。
休暇の初日、Nimitが送迎の車中でかけたジャズの音色に、思わず身を乗り出すさつき。
ジャズを通じて、知り合ったばかりの二人の仲が急速に縮まっていきます。
さつきは父親から、Nimitはノルウェー人の元雇用主から、それぞれジャズの魅力を教わりました。
そんな風に人と人を繋いでいくジャズの音色は、漫画翻案の中で、カラフルな煙のような魂のような形で描かれています。
LISTEN TO THIS, NIMIT. FOLLOW COLEMAN HAWKINS' IMPROVISED LINES VERY CAREFULLY.
HE IS TELLING US THE STORY OF THE FREE SPIRIT THAT IS DOING EVERYTHING IT CAN TO ESCAPE FROM WITHIN HIM.
THAT SAME KIND OF SPIRIT IS INSIDE ME, AND INSIDE YOU. THERE, YOU CAN HEAR IT, I'M SURE…
…THE HOT BREATH, THE SHIVER OF THE HEART.
<※上記の概要>
コールマン・ホーキンスの即興パートには、あらゆる手を尽くして自身の内側から逃れようとする自由な魂の物語が込められているんだ。
そして、それと同じ魂が私の中にも、君の中にもあるんだよ。
ほら、たしかに聞こえるだろう…
その熱い息づかいが、心の震えが。
ページを飛び交う色とりどりの鮮やかな音色(=自由な魂)たちは、生き物のように車内を駆け巡り、人と人との出会いを祝福しているようです。
それらは、さつきが父親に対して、Nimitがノルウェー人の雇用主に対してそれぞれ抱く、大切な記憶と感情を鮮やかに蘇らせる魔法のようなものなのかもしれません。
さつきの過去とサルの描写

漫画翻案では、過去に対するさつきの気持ちの変化に呼応するかのように、少し不気味なサルの群れが随所に登場します。
登場シーンは主に次の3つ。
・ホテルから少し離れた運動用プールに向かう途中
・タイ滞在の最終日に老女の家に向かう途中
・老女に会って夢のお告げを受けた日の夜
まず、1つ目のシーンについて。
わざわざタイまで来てくつろいでいる間も、元夫のことが頭から離れないさつき。
運動用プールに向かう途中、車外に見えるサルの群れの視線がひときわ厳しく感じます。
続いて、2つ目のシーン。
結局、5日間プールに通い詰め、一人で心ゆくまで泳いだ後のさつき。
ジャズが流れる車内で、さつきは、Nimitが元雇用主との親密な関係を語っているのを黙って聞きます。
サルたちは、そんな彼女を後ろから見守っています。
そして、3つ目のシーン。
戻らない過去の後悔に苛まれ、ベッドの中で一人嗚咽するさつき。
先の震災は、実は元夫への自分の長年の憎しみが引き起こしたものではないか、と彼女は自分を責めます。
外では、夜の闇の中で、サルの群れが目が黄色く光らせています。
ところで、本作で「サル」が象徴しているものとはなんでしょうか?
それは、さつきの潜在意識の奥のしこりのようでもあり、彼女の記憶の中の夫の影であるようにも感じられます。
老女が彼女の中にあると言った「硬くて白い石」の化身にも見えるサルたち。
帰りの飛行機で目を瞑って「夢」を待つ彼女は、はたして、「緑色の蛇」を捉えて、無事に「石」をのみ込んでもらうことができるでしょうか…?
おわりに

今回の記事では、フランス版漫画(バンドデシネ)で読める、村上春樹さんの短編作品ついてご紹介しました。
いくつか、短編の英語版や漫画翻案中の文字部分を引用しながら作品を読み解いてきましたが、いかがでしたか?
なお、他の短編作品についても、英語版のタイトルで検索をかけると高確率で全文が見つかります(!)
日本語の原作については、近隣の図書館等で借りるのがおすすめです◎
最近は、生成AIによる無料の音声生成サービス(QuilBotやElevenLabsなど)もあるので、気になる部分を音声再生して楽しむのも良いですね😉👍
英語や漫画、村上作品がお好きな方は、今回ご紹介したシリーズをぜひお手に取って、斬新な世界観に触れられてみてはいかがでしょうか?
(英語で村上作品を読む際の入門としても最適ですよ◎)
今回も、最後までお読みいただきありがとうございました!
また別の記事でお会いできるのを楽しみにしています♬
