【Vol.2】 英文漫画で読む村上春樹「パン屋再襲撃」「恋するザムザ」「タイランド」
本記事は、Tuttle Publishingの、Haruki Murakami Manga Storiesシリーズの2冊目についてご紹介する記事のVol.2です。
※なお、本記事の目次はVol.1の内容に沿っており、別記事で扱う部分に記事のリンクを貼っています。
適宜、ご興味に合わせてご覧ください♬
本書の位置づけ、出版社の紹介、Manga Storiesシリーズや収録話について(➤Vol.1)
The Second Bakery Attack(パン屋再襲撃)(➤Vol.1)
共にVol.1の記事で扱っています。
Samsa in Love(恋するザムザ)

今回ご紹介する2作目は、チェコのプラハが舞台の作品です。
こちらは、村上春樹さん 編・訳の、『恋しくて―Ten Selected Love Stories』(2013年)の為に書き下ろされました。
こちらの短編集には他に、マイリー・メロイの「愛し合う二人に代わって」や、デヴィッド・クレーンズの「テレサ」など、村上春樹さん選りすぐりの10作の短編小説が収められています。
タイトルからお察しのように、本作は、カフカの『変身』の主人公であるグレゴール・ザムザがモチーフになっています。
英語版翻案の元になっている英語訳はこちらのページから無料でお読みいただけます!
なお、作品の元ネタであるカフカの『変身』の英語版(Metamorphosis)はこちらのページから!
ある朝目覚めたら…

カフカの『変身』は、次の一文から始まります。
One morning, when Gregor Samsa woke from troubled dreams, he found himself transformed in his bed into a horrible vermin.
<拙訳>
ある朝、ゴレゴール・ザムザが悪夢から目覚めると、自分がベッドの中で恐ろしい毒虫に変身している事に気付いた。
一方、漫画翻案での "Samsa in Love" の冒頭は以下です。
HE WOKE TO DISCOVER HE HAD UNDERGONE A METAMORPHOSIS AND BECOME GREGOR SAMSA.
<拙訳>
彼は目が覚めて、自分が変身を遂げてゴレゴール・ザムザになった事に気付いた。
さて、ここで2つの疑問が生まれます。
1つ目は、「彼」とは誰なのか?
そして、2つ目は、なぜ、自分が「グレゴール・ザムザ」だと分かるのか?
まずは、1つ目の問いから。
作品のモチーフや内容から考えて、おそらく「彼」は、カフカの『変身』でザムザが変身した先の「毒虫」の意識を指すのでしょう。
ちなみに、カフカの方では、ザムザと虫が「入れ替わった」というよりは、単に、ザムザの見た目が毒虫に変わった、という趣旨だったと思います。
続いて、2つ目の問いについて。
自分が「グレゴール・ザムザ」だと分かるのは、「彼」の変身先の身体の記憶を辿る事ができるからだとして…
He woke to discover… he had become a human
のように、変身先が一般名詞の「人間」ではなく、わざわざ「グレゴール・ザムザ」という固有名詞になっているのはなぜでしょうか?
本作がカフカの『変身』のオマージュであるとして、『変身』でザムザが自分のベッドで目を覚ます事を考えれば、毒虫は自分の生息地で「ザムザ」の身体で目を覚ましそうなものですが…
本作においては、ザムザと毒虫の「意識」が入れ替わったと考えると、ザムザの身体に「変身」した(毒虫と考えられる)「彼」がベッドの上で目を覚ますという設定を理解できる気がします。
ちなみに、この点については、哲学者の永井均さんの『転校生とブラックジャック』という本の中の、「身体の記憶はそのままに、意識だけを入れ替える」という思考実験を思い出しました。
記憶はあるけれど、自分がそれを実際に体験したという実感はない、という不可思議な感覚なんでしょうね…(あくまで想像ですが!)
慣れない身体に四苦八苦…!!

「グレゴール・ザムザ」として目を覚ました「彼」は、部屋の異様な光景に気付きます。
窓には木の板が打ち付けられ、外界から閉ざされたまま放置された真っ暗な空間は、さながら牢獄のよう。
鋭い痛みを感じるほどの空腹が襲い、身体には長い間横たわっていたような痺れを感じます。
どうやら、毒虫と思われる「彼」の意識が憑依したのは、監禁されていたザムザの身体のようですね。
(いつの間に人間に戻ったのか気になりますが…!)
そして、カフカの『変身』のザムザ同様、こちらの毒虫さんも、新しい身体になかなか慣れずに苦労します。
それでもようやく、美味しそうな匂いを辿って階下に降りると、誰もいない部屋の大きなテーブルに湯気の立つ食べ物が並んでいます。
まるで、これから朝食を食べようと席に付いていた人々が突然消えてしまったかのように…
疑問に思いながらも、空腹に耐えかねて、手あたり次第に食べ物をほおばる「彼」。
空腹が治まって一息をついたのも束の間。
急に襲ってきた朝冷えに、「彼」は服を探しに階段を上ります。
しかし、見つけたどの服も着方が分からず、結局、試行錯誤を繰り返してなんとか化粧着(dressing gown)を身に付ける事に成功します。
疲れてそのままベッドで心地よくまどろんでいたのですが…
「どうせなら、魚や向日葵ならよかったのに…」🐟🌻

天敵である鳥から身を守る殻も武器もない、なんとも無防備で不格好な身体。
「変身したのが魚や向日葵だったら心穏やかに生きられたのに」と「彼」は悔しがります。
やっとの事で食事にありつき、身を守る服と杖を手に入れて休んでいた時、玄関のベルが鳴ります。
ドアを開けると、そこに立っていたのは、とても小さい若い女性。
…と思いきや、それは後湾症のせいで、彼女の背中が曲がって前かがみになっていたからでした。
どうやら、彼女は錠(lock)を修理しにきたようなのですが、事情を知らない「彼」はしどろもどろ…
やっとの事で、自分が最初に寝ていた部屋の錠が壊れていた事を思い出し、修理の女性を案内します。
人間になったばかりで慣れない世界に戸惑う「彼」と、自らの身体的特徴に劣等感を抱いて世界に対して防衛線を張っている彼女。
悪気のない「彼」の質問に初めは怒りを爆発させていた彼女も、慌てふためいて必死で弁明する「彼」を見て、次第に心を開いていきます。
「彼」にとって彼女は初めて触れる人間の世界の入り口であり、彼女にとってもまた、まっさらで偏見を持たない「彼」は、世界への信頼を取り戻す礎を与えてくれる存在だといえそうです。
外国の戦車や兵士であふれかえる外の世界へと戻っていく女性に向けて、「彼」はまた会えるかと尋ねます。
“If you think of someone enough, you’re sure to meet them again," she said in parting. This time there was real warmth in her voice.
「あなたがその人のことをひたむきに思っていれば、きっとまた会えるわ」と答える彼女の声には、(当初のような冷やかさではなく)温かさが宿っていました。
彼女が去って一人になった「彼」は、彼女とまた会える日に思いを馳せます。
魚や向日葵ではなく、人間だからこそ味わえる感情に気付いた「彼」の目の前には、探求すべき新しい世界が広がっていたのでした。
視覚表現の見どころ

ここまで、物語の主要な流れについて取り上げてきました。
せっかくなので、続いては、作画上の工夫や魅力について見てみたいと思います!
画風や色合いなどについて
線や色が比較的ハッキリしていた1作目の "The Second Bakery Attack" に比べて、本作の作画は、やや線が太目で、色鉛筆風の優しいタッチで描かれています。
色合いは、全体的に暗めのベージュ(~黄土色)や茶系で、シックな雰囲気。
部屋の背景色の関係もありますが、明るい気持ちの時は薄めで反対の時は暗めというように、全体として、色調の濃淡が登場人物たちの心的状態を反映しているようにも見えます。
「彼」から見た女性の姿

この後湾症の女性の描写に関して、翻案・作画の2人のこだわりが最も光るのが、彼女の頭から触覚のような2本の髪の束(?)が出ていること。
日本語原作および英語版にはそのような描写は見当たらないので、おそらく、漫画版ならではの解釈なのでしょう。
ザムザに「変身」した「彼」は、身体の元の持ち主の記憶を保持しながらも、殻のない無防備な身体の心配をしたり、天敵の鳥を恐れたりしています。
そのように、変身前の記憶を持っている「彼」にとっては、異性も同族の虫に見えるということなのかもしれませんね!
カフカの『変身』をモチーフにした本作ならではの面白い翻案だと思います。
女性の顔の描写について

同じく女性の描写について、英語版と作画の違いが少し気になったので、こちらの点についても併せて見ていこうと思います。
まずは、英語版での女性の顔の描写を見てみましょう。
<英語版における女性の容姿の描写>
Her eyes were big, her nose small, and her lips twisted a little to one side, like a skinny moon. Her dark eyebrows formed two straight lines across her forehead, giving her a skeptical look.
<概要>
・大きな目に小さな鼻
・片側に曲がった、細い三日月のような唇
・額を横切る真っ直ぐな黒い眉毛
一方の漫画翻案では、大きな目はそのままに、大きな鼻や厚い唇、そして海苔のように太い眉毛として描かれています。
このような違いはどこから来るのでしょうか?
一つのヒントとして、カフカの未完の長編小説『審判』に登場する "hunchbacked girl" (後湾症の少女)の描写があります。
※下記は、主人公のヨーゼフ・Kが、法廷画家のティトレリを訪ねていく場面からの一部抜粋です。
The girl, hardly thirteen years old and somewhat hunchbacked, jabbed him with her elbow and looked at him sideways. Her youth and her bodily defects had done nothing to stop her being already quite depraved. She did not smile once, but looked at K. earnestly, with sharp, acquisitive eyes.
(中略)
Up at the head of the line of girls, who now, laughing, began to close in around K., was the hunchback who had taken on the role of leader.
<『審判』に登場する後湾症の少女の概要>
・歳は13歳に満たなさそう
・肘でKを押しのけ横目でちらと見る
・(年齢や後湾症に似つかない)底意地の悪さを感じさせる
・にこりともしない鋭く貪欲な目
・女子グループのボス的存在
どうやら、漫画翻案が採用しているのは、原作の控えめな女性像ではなく、上記の強気な少女像のように思えます。
(上記の13歳に満たない少女が成長した姿のイメージでしょうか?)
村上春樹さん自身や、フランス人アーティスト2人のそれぞれが抱く、カフカ作品への敬愛や造形の深さが感じられますね!
Thailand(タイランド)(➤Vol.3)
おわりに(➤Vol.3)
共にVol.3の記事で扱っています。
