【掌編】『魔法の解かれた先で』(第九十三話)
【前回までのあらすじ】
ヴァルドから、舞踏会の夜にベルナールと会い、王妃のための薬を預かっていたことを知らされたテオ。さらに父が北の街道へ向かったことや、遺体が父である可能性までヴァルドが考えていたと知り、怒りを爆発させる。それでも旅の選択は自分自身のものだったと、最後には受け止める。
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※この物語はフィクションです。登場する人物および団体は、実在のものとは一切関係ありません。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
第九十三話
それから数日が経ったある日。
城での生活も少しずつ取り戻してきたものの、自分の部屋にいてもすることがない。旅に出ていた頃のことを思い返していると、どうにも身体を動かしたくて仕方がなくなり、私はあてもなく城の中を歩くことにした。
いざ歩いてみると、磨かれた窓や花瓶の新しい花など、かつては気にも留めなかったものがやけに目に入ってくる。
少し先では、一人の若い侍女が窓を拭いていた。
私に気づくと、侍女はすぐに手を止めて廊下の端へ寄り、深く頭を下げた。そのまま私が通り過ぎるのを待っている。
私はその前を過ぎてから、ふと足を止めた。
――そういえば、これまで使用人の仕事なんて気にしたこともなかったな。
いつだって部屋へ戻れば寝台が整っていて、着替えも用意されていた。食事の時間になれば、当たり前のように料理が運ばれてくるものだと思っていた。
私は振り返り、侍女に声をかけた。
「いつもこうして城を綺麗に保ってくれているのだな。ご苦労様」
侍女はきょとんと顔を上げたあと、慌ててもう一度頭を下げた。
「そ、そんな。殿下からお褒めいただくなんて……」
「そんなに慌てることもあるまい」
「いえ……とても嬉しゅうございます」
照れたように笑う姿を見ていると、なぜだか私まで嬉しくなった。
「私がいない間、さぞ城の中は騒がしかったのだろうな」
独り言のように口にすると、先ほどより幾分力の抜けた声が返ってきた。
「いえ、むしろ殿下が城を出られて、少し静かになりました。お食事やお召し替えのお世話もございませんでしたし、仕事が減った代わりに、内輪の世間話が増えたくらいで――」
そこで侍女は目を見開き、慌てて口元を押さえた。
「……あ」
「世間話?」
私がいなくても、城の日常は変わらず過ぎていたらしい。少し寂しい気もする。
「い、いえ、その……もちろん、皆様とても心配しておりました」
姿勢を正した侍女が、手にした布を胸の前へ掲げる。
「もちろん、お部屋も毎日整えておりましたよ。殿下がいつお戻りになってもよろしいように」
「……そうか」
何気ない言葉なのに、胸の奥が少し温かくなる。
「私が帰ってきて、また忙しくなったのだな」
「ええ。毎日が大忙しですわ。でも、仕事があるというのはありがたいことです」
今度は侍女も少し笑っていた。
それから私は、用もないのに城のあちらこちらを歩いて回った。
厨房の近くを通りかかると、籠いっぱいの果物を運ぶ二人の侍女がいた。そのうち一人は、私が幼い頃から見覚えのある顔だった。
「そんなにたくさんの果物、どこへ運ぶんだ?」
私が尋ねると二人は立ち止まり、年嵩の侍女が頭を下げながら答える。
「一部はこれから王妃様のお部屋へ。残りは本日のご夕食に使うそうでございます」
侍女はそこで胸に手を当てて涙ぐむと、静かに鼻をすすった。
「王妃様がお顔を見せてくださるようになって、城内の者は皆大喜びでした」
その横で、若い方が遠慮がちに口を開いた。
「私は、その時初めて王妃様のお姿を拝見しました。こちらへ勤め始めてまだ三年ですので……」
「初めてだったのか」
考えてみれば当然だ。母が部屋に閉じこもっている十年の間にも、この城には新しい使用人が入り、また出ていく者もいた。
「本当にお綺麗な方で驚きました」
若い侍女の目がキラキラと輝いた。続くように年嵩の侍女が言う。
「王妃様は昔から変わらずお綺麗でしたよ。いつも笑顔の絶えない方でね」
「思い返せば、昔はよく笑っていたな」
私がそう言うと、年嵩の侍女がこちらへ顔を向けた。
「ええ。特に幼い殿下が我々に小さないたずらをなさる時など、それはもう――」
「いたずらなんて、していたか?」
それを聞いた侍女が小さく笑った。
「お忘れですか? 陛下がいらっしゃった頃は、私たちのスカートの裾をめくったり、突然厨房でかくれんぼを始めたり。側近の方たちの背中に乗って、お馬ごっこで城内を何周も回っていたこともありましたわ。当時は大変でしたが、今となっては楽しい思い出でございます」
身に覚えはなかったが、彼女たちから見れば、私は相当手のかかる子どもだったらしい。
「……まったく覚えていないぞ」
「殿下にも、そんな頃がおありだったのですね」
若い侍女が堪えきれないように笑った。
母上が元気になったことを喜んでいたのは、私だけじゃなかった。それが嬉しかった。
さらに歩いて執務室の並ぶ一角へ向かうと、今度は数人の使用人が大量の書類を抱えて行き来していた。
「ずいぶんな量だな。それは何の書類だ?」
声をかけると、若い使用人の男が答えた。
「ラズロ様が今回お持ち帰りになった、国外との取り決めに関するものでございます」
――そういえば、外交を任されていると言っていたな。
「海の外へ出ていたのか」
「はい。ヴァルド様直々のお申し付けだとか……」
すると、少し離れたところで話を聞いていたらしい別の使用人がぽつりと漏らした。
「こちらとしてはその方が助かります。ずっと外にいらっしゃれば、城内はもう少し穏やかですのに……」
「ちょっと!」
隣の者が慌てて肘で小突く。本人は私を見ると慌てた様子で顔を伏せた。
「申し訳ございません! どうかラズロ様には内密に……」
「分かっている。確かに、昔から口数だけは多かったからな」
そう言うと、若い使用人が口元をわずかに緩めた。
「あの遠慮のない性格が、外交には向いておられるのでしょうか。お戻りになると、私どもも随分と気を引き締めることになりますので」
周りの者たちも、何とも言えない顔で視線を交わしている。
そんな話をしている最中、執務室の扉からヴァルドが姿を見せた。私の姿を見つけるなり、足を止める。
「殿下、ちょうどいいところにいらっしゃった」
ヴァルドの姿を見た途端、それまで笑っていた使用人たちの背筋が伸びる。
「殿下、それでは、私どももそろそろ仕事へ戻ります」
揃って頭を下げると、使用人たちは足早にそれぞれの持ち場へ戻っていった。
私の脇で立ち止まったヴァルドが小さく笑う。
「臣下たちともずいぶんと馴染んでおられましたな」
「城で働いている者たちとも、もっと交流を持たなければと思ってな」
私は去っていく使用人たちの背中を見送りながら告げた。
「それはよい心がけでございます」
「そういうお前はずいぶんと畏れられているようだったが――」
私が笑うと、ヴァルドはわずかに眉を上げた。
「家臣の長としては、そのくらいでよいのです。それに、陛下はのんびりしたお方でございましたからな。引き締める者がおらねば、城などいずれ傾いてしまいます」
冗談めかして口元を緩める。
幼いころに見た父の背中がふと浮かんだ。
廊下ですれ違った使用人を呼び止めてはどうでもいい話をして笑っていた。
「確かに父上は、よく使用人とも話していたな」
呟くように言いながら、先ほどまで話していた者たちの顔を思い返す。
「私もずっとそれを見てきたはずなのに……、自分がこれだけ多くの人間に支えられながら暮らしていたことを、すっかり忘れていた」
「それもまた、国が彼らを支えればこそです」
ヴァルドは静かに言った。
――国が彼らを支える……か。
その言葉が、なぜか胸の奥へ温かく染み込んだ。
「……ところで、私に何か用があったのでは?」
私が尋ねると、ヴァルドが思い出したように懐へ手を入れた。
「そうでした。殿下にお伝えすることがございましてな。実を申しますと――」
ヴァルドは懐から手を抜くと、焦らすように一通の手紙を私の方へ差し出した。
「殿下に、『縁談』のお話が来ております――」
私はしばらくその意味を考えて、黙ったまま立ち尽くしていた。
掌編『魔法の解かれた先で』
第九十四話に続く→
第九十三話のご拝読
ありがとうございます✨️
【あてにならない次回の見どころ👀】
ヴァルドから告げられた縁談の話。テオには素直に受けとめられない理由があった……。
📔第九十四話の更新は
9/8(火)を予定しています。
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