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【掌編】『魔法の解かれた先で』(第九十二話)

【前回までのあらすじ】

 エレノアを見送ったテオは、ヴァルドとの話のなかで、旅の間ずっとミゲルや兵士らに見守られていたことを知る。しかしそれは、テオ自身に考え、選ぶ力を身につけさせるためだった。さらに、母を支え続けたヴァルドへ過去の非礼を詫びるが、王妃の回復にはベルナールが残した薬が関わっていたと告げられる。

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※この物語はフィクションです。登場する人物および団体は、実在のものとは一切関係ありません。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 第九十二話

「……どういうことだ?」
 思わず聞き返すと、ヴァルドはすぐには答えなかった。再びソファへと腰を下ろし、卓の紅茶に視線を落とす。蓄音機から流れる弦楽器の音だけが、ゆっくりと部屋を満たしていく。

「……殿下も覚えておられるでしょう。先日の舞踏会に、陛下があのお姿で現れた夜のことを」
「忘れるわけがないだろ」
 忘れようにも忘れられるものではない。父が女性の姿で会場へ現れ、やがて魔法が解かれたように容姿を変えた時の騒ぎは、まだ昨日のことのように思い出せる。

「あの舞踏会の直後、陛下は一度だけ私のもとを訪ねてこられたのです」
「……待ってくれ」
 その言葉を理解するまでに、僅かに時間がかかった。
「お前は、あの夜に父上と会っていたというのか?」

「ええ。陛下は王妃様のためにと、遠方で手に入れた薬を私へ預けられました。痛みを和らげ、眠りを誘う薬だと」
 胸の奥に引っかかるものを感じながら、私はヴァルドを見る。

「それを……どうして今まで黙っていた?」
 声が自然と低くなった。
 父が姿を見せたあの夜、母の部屋から聞こえる叫び声は、いつにも増して悲痛に満ちていた。その後、私がどれほどあの男のことを憎み、殺したいとまで考えたか。それを知りながら、ヴァルドは何も話さなかったのだ。

 ヴァルドは珍しく言葉を詰まらせた。口に運びかけたカップをわずかに揺らしながら少し黙ったあと、漏らすように告げる。
「陛下は……もう王として城に戻るおつもりはない。そのように悟ったからでしょうか……」
 ヴァルドは結局カップに口をつけず、静かに卓へと戻す。ソーサーとカップの触れ合う音が、蓄音機から流れる音楽を裂くように小さく響いた。

「私も陛下には申し上げました。『この薬はご自身でお渡しになればよいのでは』と。しかし、陛下はお聞きになりませんでした」
 ヴァルドは視線を窓の方へ向けた。蓄音機を見ているのか、外を眺めているのかは分からなかった。
「王妃様を案じておられたことに偽りはないのでしょう。それでも、城へ戻るおつもりはないように見えました」

 その言葉に、先ほど聞いた母の声が蘇る。
『私はもう、あの人を待ち続けるのはやめることにしました』
 母がそう話した時は、長い年月を経てようやく父を過去として受け入れたのだと感じた。
 けれど、母もどこかでは分かっていたのかもしれない。父はもう戻らないのだろう、と……。
 胸の奥に鈍い熱が広がった。

「――それでも、私には話せただろ」
 思わず責めるような口調になったことに気づき、言葉尻を弱める。ヴァルドは私から目を逸らさずに答えた。
「もしあの時、私が殿下に『陛下が王妃様を気遣い、薬まで残していかれた』とお伝えしていたら、殿下はどうなさったでしょう」
「それは……」
「陛下がいつか戻るだろうと、また期待を抱かれたかもしれません。あるいは、今なら追いつけると、その行方を追われたかもしれない」

 否定はできなかった。だが、疑問は浮かぶ。
「それはいけないことなのか? 父が戻ると期待することも、あとを追って走ることも……」
 ヴァルドは小さく首を横に振った。
「そうではありません。私も陛下がいずれまた戻られると信じられれば、殿下にも正直に申し上げていたでしょう。しかし、そうでないとなれば、この国の行く末を案じる上で殿下が王になる日を考えねばなりません」

 私を見つめるヴァルドの目に、いっそう力が籠もった。
「私は……殿下にいつまでも陛下の背中だけを見て歩いてほしくはなかったのです」

 ――背中。
 母も同じことを言っていた。昔の私はいつも父の背中にくっついて離れなかった、と。
 それを笑って聞いたばかりなのに、今は素直に笑うことができなかった。

「……父上は、薬を預けたあと、お前に行き先を告げたのか?」
 私の問いに、ヴァルドの視線が静かに卓へと落ちた。
「『私はこれから北の街道に向かわなければならない』と。それだけを残して、すぐに出て行かれました」

 その返事に思わず身体が強張った。
 あの騒動の数日後、父ではないかと噂された遺体が見つかった場所だ。
「お前……そんなことまで知っていたのか?」
「ええ」
「では、遺体が見つかったと聞いた時には当然……」
 ヴァルドは再び私の目をまっすぐに見る。
「初めはそこまでの考えには至りませんでした。しかし、王家に関わる品を持っていたと聞き、疑念が強まったのは確かです」

 胸の奥に溜まっていたものが、一気に形を持った。
 父と会っていたことも、薬のことも、北の街道へ向かったことも、その先で見つかった遺体が父かもしれないと考えていたことも。
 ――ヴァルドだけが知っていた。
 私は何も知らされないまま、父に腹を立て、遺体の噂を聞いて城を飛び出した。まるで最初から、この男の掌の上にいたような気がした。

「なんだよ、それ……」
 私は悔しさのあまり握った手を卓へ打ち付けた。カップが揺れ、大きな音を立てる。
「結局、全部お前の思惑通りだったってわけか!」
 抑えていた声が、とうとう執務室へ響いた。

 ヴァルドは思い詰めた表情をしていたが、動揺する様子も見せずにしばらく黙って私を見つめたあと、ゆっくり首を振った。
「思惑……ですか。見ようによっては、そう取られても仕方がないでしょう」
 その声は、少しも変わらなかった。
「ですが、私が慮らずとも、殿下が王になられる時はいずれ参ります。私が申し上げずにいたことも、自ずと知る時が来るのです」
 ヴァルドは姿勢を正す。
「……殿下。私があなたを動かしたのではありません。あなたが、あなた自身を――」
「そんな言葉遊びを聞きたいわけじゃない……」
 ヴァルドの言葉を遮るように口にする。どんな言葉を耳にしても、腹立たしさは消えることはないように思えた。

 それでも、すべてを否定することもできない。
 城を出ると決めたのは私だ。シュバルツを連れていくと決めたのも、遺体がエミュニアへ運ばれたと知ってそちらへ向かったのも、同行したいと言ったエレノアを受け入れたのも――ヴァルドに命じられたからではない。
 旅の途中で誰を信じるか、どちらへ進むのかも、そのたびに自分で決めてきた。
 ――ヴァルドの敷いた道を歩いてきたわけじゃない。
 そのことだけは、認めざるを得なかった。

「私が殿下に隠し事をしてきたことは、決して褒められるものではありません」
 ヴァルドは静かに続ける。
「しかし、旅を経て多くの経験をした今の殿下ならお分かりでしょう。何かを決断する時、すべてが分かっていることなどありません。何が正しいのかも分からぬ中で、自らの判断を信じ、答えを出すしかないのです。まして、国という大きなものを背負うのであれば、なおさらでございます」
 私はしばらく何も言えなかった。
 ヴァルドの言っていることも分かる。だからといって、腹の虫が収まるわけでもない。

「……お前のやり方に納得したわけじゃないからな」
 ヴァルドの口元が僅かに緩んだ。
「それで結構でございます」
 ――最後まで可愛げのない男だ。
 私は残っていた紅茶を飲み干し、ソファから立ち上がった。

 ちょうどその時、蓄音機から流れていた曲も終わる。ヴァルドが針を盤から持ち上げると、長く続いた話にもようやく区切りがついたようだった。

 父上についても、ヴァルドについても、まだ知らないことはいくらでもある。
 それでも、城を出たのも、その先へ進んだのも、最後にここへ帰ると決めたのも――すべて、私が選んだことだった。


掌編『魔法の解かれた先で』
 
第九十三話に続く


 第九十二話のご拝読
 ありがとうございます✨️


【あてにならない次回の見どころ👀】
 数日の後、城での暮らしに戻り始めたテオは心のどこかで物足りなさを感じ始める。

📔第九十三話の更新は
9/7(月)を予定しています。

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結城斗永|掌編小説・詩のようなものを書きます✍🏻 私の物語は皆様からいただいた一杯の珈琲の味。 よろしければ応援よろしくお願いいたします。