【掌編】『魔法の解かれた先で』(第九十七話)
【前回までのあらすじ】
父との過去に折り合いをつけた母と、信じていたものが嘘でも前を向こうとするエレノア。その姿にテオも過ぎた時間との向き合い方を考える。一方、エレノアとの未来を思い描きながらも、アデールをもっと知りたいという気持ちは消えず、自分の心の揺れを意識し始める。
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※この物語はフィクションです。登場する人物および団体は、実在のものとは一切関係ありません。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
第九十七話
母との茶会から二日後、アデールから一通の手紙が届いた。
『もしご予定がなければ、城下町をご一緒しませんか』
簡潔な誘いの言葉を何度も読み返す。
断る理由はなかった。私もアデールのことをもっと知りたいと思っていたし、ずっと城に籠もっていて気分を変えたくもあった。
当日、待ち合わせた城門のそばで、アデールは私に気づくと小さく手を振った。アデールは舞踏会で着ていた華やかなドレスとは違い、淡い桃色のワンピースに薄手の外套を羽織っていた。
私はというと、身分を隠すために地味な色の服装を選んだつもりだったが、それでも彼女には、私の姿がひと目見て分かったと言う。
アデールと並んで通りを進む。こうして明るいうちに城下を歩くのは、記憶をたどっても数えるほどしかなかった。それにアデールが隣にいることも相まってか、目に入る街の様子がとても新鮮に感じられた。
「お誘いしてしまってから、王子殿下を城下へ連れ出すなんて失礼だったかしらと、少し心配していたんです」
「そんなことはない。むしろ案内できるほど詳しくないのが申し訳ないほどだ」
私が苦笑すると、アデールも口元を緩めた。
少し離れた後ろには、城からついてきた二人の衛兵がいる。完全な二人きりとはいかなかったものの、彼らは人波へ紛れるよう距離を取ってくれていた。
大通りを抜けて市場へ入ると、果物や香辛料、布地を扱う店が軒を連ねている。
ふとアデールが店先で足を止め、果物の入った木箱へ手を伸ばした。鮮やかな色の柑橘を手に取ると、香りを確かめるように鼻先を近づける。
「私の住む地域で採れた果物ですわ。ここよりは少し温暖なので、果物や野菜がよく採れるんです」
アデールがそう言って私に顔を向けた。
アデールが住む地域はアルトリアの南端に位置する小さな農村地帯だった。城下からさほど離れておらず、馬車を走らせれば一時間もかからず着く場所にある。
「私の母も果物がとても好きなのだ。帰りにいくつか買っていこうかな」
私もアデールのすぐ横に並び、木箱に手を伸ばした。
「まあ、素敵。王妃さまが召し上がったと聞いたら、農家の方たちもとても喜ばれると思いますわ」
肩が触れ合いそうな距離でアデールと目が合い、彼女が小さく微笑んだ。不思議と緊張することもなく、気づけば、私もつられて笑っていた。
その店でひとまず、ひと口大にカットされた果物の盛り合わせを買い、店先に置かれた小さな椅子で二人並んで座る。
ひとつの皿から互いに果物を摘みながら、ときどき手と手が触れそうになると、そのたびにアデールが顔を赤らめた。それを見ていると私までなんだか恥ずかしくなって、照れ笑いでごまかす。
「そうだ、先日のお話の続きも聞きたいですわ」
アデールが思い立ったように、胸の前で両手を打ち鳴らした。
「狼に襲われていたお連れの方を、テオ様が松明で追い払ったのでしょう?」
そうだった。まだまだ旅の序盤だった。ひとつ話をするたびにアデールが楽しそうに反応をしてくれるので、ついつい遠回りをしながら話していたんだった……。
「ああ。しかし、このペースだとずいぶん長くなりそうだ」
「気にしませんわ。時間はたっぷりありますもの。
そう言って果物を口に運ぶ彼女を見ながら、私は旅の話を続けた。
途中でアデールが質問を挟み、そのたびに話は大きく脱線した。
シュバルツが宿屋の主人に身分を悟られないよう、私を『こいつ』と呼んで誤魔化したこと。強がってみんなの荷物を抱え、汗だくになりながら歩いたこと。流民街で仲間たちを引き連れて悪党退治に出かけたこと――。
話には少しだけ尾びれ背びれもついたが、それも含めてアデールは楽しんでくれているみたいだ。
果物の皿が空になってからずいぶんと時間が経っていたが、そんなことを互いに口に出すことはなかった。
店の奥から店主の咳払いが聞こえ、さすがに長居をしすぎたかと席を立つ。
「とても美味しゅうございましたわ」
アデールが店主に声をかけると、さすがに高貴な雰囲気を感じたのか、店主は少し慌てた様子で頭を下げた。
市場の奥へと進んだところで、通りの脇に小さな絵を何枚も立て掛けた露店が見えた。
「とても綺麗……」
アデールが足を止める。彼女は並んでいる絵の中でも、夜の海を描いた一枚の油絵にじっと見入っていた。
暗い空の下、波打ち際に青緑色の粒が無数に集まり、まるで海の中へ星を落としたように輝いている。
「夜光虫って知ってるかい?」
椅子に腰掛けていた店主が声をかけてきた。
「東の海じゃあ、たまにこうして海が光るらしいんだ。私も実際に見たわけじゃないがね」
「とても神秘的ですわね」
アデールがさらに絵のディテールを見るように顔を寄せた。
その絵を見ていると、ふと父が読み聞かせてくれた詩が頭をよぎった。
『水の上に生まれた星が、波を連れ空へと帰る――』
旅の途中、戦争資料館でも同じ詩を目にした。あの時は何気なく通り過ぎたが、なぜ戦時中の記録にあの詩が残されていたのだろう。
青緑色の文字で記された、あの医師のカルテも――。
『まだ島がないって決まったわけじゃない――』
エレノアの声が、目の前の波打ち際のように記憶へ打ち寄せる。
城へ戻ってからの日々は、思っていたより退屈ではなかった。知らなかった城のことを知り、母と話し、使用人たちの声を聞く。それはそれで新鮮だった。
けれど、旅の話をしている時の方が、確かに胸を躍らせている自分がいる。
――私は、まだ旅をしたいのかもしれない。
「いつかまた、旅に出たい……と言ったら無責任だろうか」
気づけば、そんな言葉が口から漏れていた。
「王子のくせに国を空けて、好き勝手に旅をしたいなんて言ったら、ヴァルドに呆れられそうだが……」
自分で付け足しながら苦笑する。
「……私、テオ様が聞かせてくださる旅のお話が大好きなんです――」
アデールが絵を見つめたまま、静かに言葉を漏らした。
「もしもテオ様がまた旅に出られるとしたら、そのお話が増えるということでしょう?」
アデールの視線が、絵の中の波打ち際をゆっくりたどり、流れるように私の顔を見上げる。そして、彼女はそっと私の手を両手で包み込むように握った。
「――でしたら、私はテオ様の旅を応援しますわ」
握られた手から伝わる温もりに、胸の奥が静かに満たされていく。
少し恥ずかしそうに微笑むアデールの横顔を見つめながら、今日彼女とここへ来てよかったと、心から感じていた。
掌編『魔法の解かれた先で』
第九十八話に続く→
第九十七話のご拝読
ありがとうございます✨️
【あてにならない次回の見どころ👀】
楽しい時間はまだ続く。その中でテオは、アデールへの想いと自分の心を少しずつ確かめていく――。
📔第九十八話の更新は
9/12(土)を予定しています。
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