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【掌編】『魔法の解かれた先で』(第九十五話)

【前回までのあらすじ】

 縁談の話を受けたテオは、相手を知る前に断るのは違うと考え、伯爵令嬢アデールと舞踏会で対面する。話しやすく聡明な彼女に好感を抱く一方、踊りながらエレノアとの昔の記憶が蘇り、胸に妙な後ろめたさを覚える。舞踏会の後、思いがけずエレノアと顔を合わせたテオは、さらに調子を狂わされてしまう。

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※この物語はフィクションです。登場する人物および団体は、実在のものとは一切関係ありません。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 第九十五話

 庭へ出ると、母はすでに卓について私たちを待っていた。
 午後の日差しは幾分やわらぎ、傾き始めた陽が庭の草木を淡く照らしている。卓上には焼き菓子や切り分けられた果物が並び、その中央には銀のポットと白磁のカップが置かれていた。注がれた紅茶は透き通った琥珀色で、近づくにつれてほのかに甘い茶葉の香りが鼻をくすぐる。

「二人とも、どうぞお座りになって」
 母に促され、私とエレノアは向かいの席へ腰を下ろした。エレノアが小さく頭を下げる。
「本日はお誘いいただきありがとうございます。舞踏会の会場でお見かけしなかったので、少し心配していました。皆さん、王妃様にお会いできるのを心待ちにしておられましたよ」
 エレノアの言葉に、母はわずかに眉尻を下げた。
「それは悪いことをしましたね。まだ体調も万全ではなくて、少し横になっていたの」
「もう大丈夫なのか?」
 私が思わず身を乗り出すと、母は私へ顔を向け、口元を緩めながら頷いた。
「ええ。今は落ち着いてるわ」

 城へ戻ってから、笑っている母の姿を見ることが増えた。だが、母は以前とは比べものにならないほど元気になったせいで、私まで安心しすぎていたのかもしれない。

 エレノアもそれ以上は体調について尋ねず、使用人がカップへ紅茶を注ぐのを静かに待っている。
 銀のポットが傾き、細い流れが白磁の中へ落ちる。その横では別の使用人が菓子皿の向きを整え、母の手が届きやすい位置へそっと寄せていた。

 以前なら、こんな動きをいちいち目で追うこともなかっただろうなと、つい先ほど話した使用人たちの顔が浮かんだ。

 舞踏会の様子を母が尋ねると、エレノアが会場にいた貴族たちのことを面白おかしく話し始めた。そこからなぜか私の幼い頃の話へ移り、母が昔の失敗を一つ持ち出すたびにエレノアが口元を押さえながら笑う。

 そうして話しているうちに舞踏会を出てから続いていた妙な居心地の悪さはいつの間にか薄れていた。

 ふと焼き菓子へ手を伸ばした拍子に、指先が匙へ触れる。匙は卓の端から滑り落ち、乾いた音を立てながら芝の上へ転がった。

 しまったと思い、拾おうと腰を浮かせると、「殿下、私が――」と近くに控えていた若い使用人がすぐさま駆け寄ってくる。


 その時だった。
「何たることだ!」
 たまたま近くを通りかかったラズロが、大きな声を上げて庭に踏み入ってきた。使用人の肩が大きく跳ねるのが分かった。
「殿下のお手を煩わせるとは、使用人として恥ずかしくないのか!」
「ラズロ様、申し訳ございません!」
 使用人は匙へ伸ばしかけていた手を引き、ラズロへ向き直って深く頭を下げた。

 しかし、それでは終わらなかった。
 ラズロは続けて『まずは殿下に謝るのが筋だ』と叱りつけた。矢継ぎ早に『心構えがなってない』だの、『そんなことで王家に仕える使用人が務まると思っているのか』などと問い詰め、ついには聞くに堪えない暴言まで飛び出した。
 使用人は反論する隙すら与えられず、ただ小さく頭を下げて聞いているしかない様子だった。

 聞いているうちに、胸の内がじわじわと熱くなり、居ても立ってもいられなくなってくる。

「ラズロ、客人の前だぞ。口を慎め。それに、私は自分で落とした匙を拾おうとしただけだ。彼女が責められる理由などない」
 私が強い口調でそう言うと、ラズロはこちらへ向き直った途端、別人のように口元を緩めた。
「坊っちゃまは本当にお優しい。使用人にも深いお心配りをなさるとは、やはり次の王になられる方は違いますな」

 先ほどまで怒鳴り散らしていたとは思えない変わり様に、思わず深い息が漏れる。

 言葉を返す気にもなれなかった。
 もう一度匙を取ろうと地面へ目を落とすと、視界の端へ磨かれた靴がすっと入り込んだ。
「坊っちゃんはそのままで――」
 ラズロが腰をかがめ、深く皺の刻まれた手で匙を拾い上げる。そして使用人の持つトレイへ放り込んだ途端、再び声を荒らげた。
「何をボサっとしとる。きれいな匙を坊っちゃまに渡さんか」
「は、はい!」
 状況についていけず固まっていた使用人が、その声に弾かれるように新しい匙を取り出し、両手で私へ差し出した。
「どうぞ、殿下……」
「ありがとう」
 匙を受け取って顔を上げる。

 その一連の様子を見ながら、母は眉を下げたまま何とも言えない笑みを浮かべていた。隣のエレノアは、何か言いたげに顔をしかめてラズロをじっと見ている。

 それでもラズロは気にする様子もなく、満足そうに胸を張った。
「それでは、引き続き優雅なひとときをお楽しみくださいませ」
 大仰に腰を折ると、何事もなかったかのように庭の通路を歩いていった。
 ――場を引っかき回しておいて、優雅なひとときもないだろう……。

 背中が木々の向こうへ消えた途端、エレノアが大きく息を吐いた。
「こんなことを言ってはあれだけど、私、あの人苦手かも。何もあんな言い方しなくてもいいのに」
 母はエレノアの言葉に困り顔で笑う。
「私もヴァルドも、昔から幾度と改めるよう話してはいるのですが、なかなか人の性格というのは変わらないみたいね」

 母はそう言って紅茶を一口すすると、昔を懐かしむように視線を庭の真ん中へと投げた。
「それでも、ベルナールにはとても気に入られていたのよ」
「父上と……?」
 母の口から父の名前が出たことに、少し動揺した。しかし、母の表情はこわばる様子もなく、ごく自然に話を続ける。

「いつもくだらない話ばかりしていたわ。緊張感が足りないとよくヴァルドに叱られてね。そうしたら今度は、ベルナールがふざけてヴァルドの真似をするものだから、それでまた怒られて……」
 父の話をしているうちに、母の口元が次第に緩んでいく。しかし、話が深まるほど、母が無理をしているような気がして私の心は落ち着かなかった。

「母上、父上の話はそれくらいにして――」
 私が口を挟むと、母は目を丸くした。
「あら、どうして?」
「だって、父のことは忘れると……」
 次の瞬間、母はなぜか声を上げて笑った。
「テオドール、そんなことを気にしていたの」
 何がおかしいのか分からず、私はただしばらく母の顔を見つめることしかできなかった。

掌編『魔法の解かれた先で』
 
第九十六話に続く


 第九十五話のご拝読
 ありがとうございます✨️


【あてにならない次回の見どころ👀】
 
穏やかな茶会で語られる、母と父の過去。テオはそこで、知らなかった母の本心に触れる――。

📔第九十六話の更新は
9/10(木)を予定しています。

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結城斗永|掌編小説・詩のようなものを書きます✍🏻 私の物語は皆様からいただいた一杯の珈琲の味。 よろしければ応援よろしくお願いいたします。