第三話 「サンプリング配布」という名の、言語崩壊と蘇生。
魂を軽くし、看板を持ち、次に与えられた使命は——言葉を配ることだった。
ティッシュ配り(サンプリング配布)編
「サンプリング配布」。
その響きには、最新データを収集するフィールドワークのような、どこかアカデミックな知性が漂う。あるいは、街行く人々に幸福の欠片を分け与える、慈善活動のような崇高さも。
ベールをめくれば、駅前で「無視」という名の冷風に晒されながら、ひたすらティッシュの山を崩していく作業である。
コピーライターの才能の使いどころ、今回もそれでよかったのか。
この仕事における最大にして唯一の武器は、「ありがとうございます」という言葉だ。
これを1日に数百回、数千回と連呼し続けると、私の内側で段階的な崩壊が始まる。
第一段階——「ありがとう」のハイパー・インフレーション。
朝の最初の一箱を渡す時、「ありがとうございます」にはまだ、相手の手に届く重みがある。
しかし100回を超えたあたりから、言葉は急激に価値を失い始める。意味が削ぎ落とされ、内側がスカスカの「音の塊」へと変貌する。喉を通過する空気の流れに、無理やり「ア・リ・ガ・ト・ウ」というラベルを貼っただけの何か。感謝の表明ではなく、機械が発する「動作確認音」だ。
私はいつしか、駅前という巨大な工場に設置された「ティッシュ射出型・感謝音発生装置」へと静かに成り下がっている。
第二段階——肉体の、勝手な進化。
面白いことに、意識が空洞化する一方で、肉体は着々と「最適化」を遂げる。
どの高さ、どの速度、どの柔らかさで発声すれば受け取り率が最大化するか。脳内コンピューターが勝手にA/Bテストを繰り返し、気づけば私は「人類が最も拒絶しにくい周波数のありがとうございます」をマスターしている。
私生活では絶対に出さない、絶妙に湿度を含んだ高音。
この「営業用ボイス」を反射的に繰り出す自分を、心のどこかでもう一人の自分が冷ややかに観察している。
職人、という言葉の使い方として、これが正解だったのかどうか。
第三段階——境界線の、静かな崩壊。
この「自動音声モード」は、現場を離れても容易に解除されない。
仕事上がりのコンビニで、店員に対して現場直伝・最高品質のありがとうございますをフルボリュームで放つ。
エレベーターを譲ってくれた見知らぬ人にも。ATMの自動音声に対しても。
私の口は完全に「感謝の散弾銃」と化し、私生活と業務の境界線は溶け去り、私の人格は「常に感謝し続ける異様な老人」として再構成されていく。
元社長の面影は、もはやどこにもない。
第四段階——「呪文」と「内省」の螺旋。
極度の疲労が訪れると、言葉はさらに別の役割を持ち始める。
「アリガトウゴザイマス……」というリズムが、精神を一定に保つためのマントラへと変わるのだ。
その単調な音の連なりの中で、私はふと哲学的な問いに落ちていく。
自分はいま、何に対して礼を言っているのか。
受け取らない人々に対して、なぜ私は頭を下げ続けているのか。
言葉は一度、完全に死に絶える。

そして、蘇生。
夕暮れ時、空っぽになった段ボールを横目に、最後の一箱を差し出した時のことだ。
一人の通行人が立ち止まり、こちらを真っ直ぐに見て、同じ言葉を返してきた。
「ありがとうございます、助かります」
その瞬間、死んでいた言葉に急激に血が通う。
数千発の空砲とは違う、たった一発の実弾。相手に届き、相手からも返ってくる。
その当たり前の往復によって、空洞だった言葉の内側に、何かがドクドクと流れ込んでくる。
皮肉なものだ。言葉の意味を極限まで摩耗させた後だからこそ、その「一回の本物」が、朝のそれよりも何倍も鮮明に響く。
帰り道、私の口はもう、一言も発していない。
しかし喉の奥には、確かな重みが残っている。
あの路上で私は、ティッシュを配りながら、実は「言葉に命を吹き込み直す作業」をしていたのかもしれない。
言語学者が書斎で何年もかけて考察することを、私は駅前で、段ボール箱ひとつ分の時間で体得した。
……もっとも、もう一度真夏の駅前でその修行をしたいかと問われれば。
私はやはり、最高品質の営業用ボイスで「結構です」と即答するだろうけれど。
<著者注>
このシリーズは、五十代後半から約十年間、あらゆる派遣仕事を経験した筆者の実話を元にしています。シリーズとして続きを書く予定です。いつか一冊にまとめ、Kindleで出版できればと思っています。読んでくださる方がいる限り、書き続けます。
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