実写映画『ルックバック』にエモーションを注ぎ込んだ是枝裕和の演出術:映画選びの教科書 2026年版 Vol.16

観る人の心を揺さぶる素晴らしい演技。その裏には、たいてい優れた演出の働きがある。連載「映画選びの教科書 2026年版」第16回では、実写映画『ルックバック』の撮影現場で実際に行われた、是枝裕和監督の卓越した「演出」を分析していく。

photo: Kazufumi Shimoyashiki / text: Yusuke Monma

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「たいしたことはしていませんけどね」

是枝裕和は『ルックバック』の撮影を振り返り、自らの演出についてそう語る。

小学生のころに出会ったふたりの少女、藤野と京本が漫画を描くことで友情を育み、やがて思わぬ出来事に襲われる、成長と喪失の物語。

是枝は漫画に情熱を注いだ彼女たちの姿を、その息遣いまで繊細にすくい取り、活き活きと描きだした。

他の是枝作品と比べて、なにか特別な演出が行われているわけではたしかにない。

だからこそ、彼が演出においてもっとも大切にしていることが、ここでは明確に見える。

撮影現場に密着して、そこで目にしたもの、耳にしたことをもとにインタビューした。

映画監督の是枝裕和
是枝裕和(これえだ・ひろかず)/1962年東京都生まれ。カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを獲得した『万引き家族』を筆頭に、世界的に高い評価を得る映画監督。最新作『ルックバック』が公開中。

自分のセリフを言うことより、相手のセリフを聞くことが大事

実写映画『ルックバック』2026年9月11日(金)より公開中。配給:K2 Pictures。©藤本タツキ/集英社 ©2026 K2 Pictures・集英社

──子ども時代の藤野と京本を演じた七瀬ふうりちゃん、岡田六花ちゃんに対する演出で、是枝監督は「全部、なにかしながら言ってください」と撮影の序盤で話していました。動きを伴うかたちでセリフを言うと、演技はどう変わるんですか?

是枝

大きいのは意識が分散されることです。役者さん──とくに子どもや若い役者さんたち──は、どうしてもセリフを言うことに意識が集中して、気持ちをちゃんと込めてセリフを言おうとします。でも意識は分散させたほうがいいんですね。

基本的には、芝居を“セリフ”と“アクション(動作)”と“視線”の3つに分解して考えて、それを散らすことができるようになると、その3層で演技を論理的に組み立てていけるようになる。そもそも人の会話ってそういうものじゃないですか。相手をじっと見て話すより、目では窓外の様子を追い、コーヒーを飲みながら、相手と話しているほうが日常的な会話に近いはずです。『怪物』のときの黒川想矢くんにも、初めにそうやって説明しました。

──じゃあ、演技を始めた初期の段階で意識するべきことなんですね。

是枝

ええ。ただ、かなりベテランの人でも、できない人はできていないですよ。

──印象的だったのは、「全部、なにかしながら言ってください。もう1回やる?」と、俳優側の意向を尋ねていたことです。一方的に指示するのではなく、演出を対話として行っているんだなと。

是枝

僕が指示を出したからなにかするのではなく、彼らのなかでなにかが内発的に起きないといけないんです。自分にとってこうあるべきだとか、こうあったほうが気持ちいいとか。僕が「やれ」と言ってやらせるわけではありません。

──『ルックバック』の撮影現場でもっとも頻出した演出の言葉は、「声を聞いてください」でした。これも意識を3つに分散させることと同義ですか?

是枝

ちょっと違うアプローチですね。むしろ“聞くこと”のほうが最初です。今回のふうりちゃんのように、台本を渡さず、現場でセリフを口伝えするやり方を子どもたちにはよく行いますが、そうすると相手のセリフをまず耳で聞くようになります。それが演技をするうえでの一歩目です。自分のセリフを言うことより、相手のセリフを聞き、そのリアクションとして芝居が生まれることを最初に身につけないと、あとから修正するのはけっこう難しい。

それは溝口健二が言っていた「反射」と同じです。「反射してください」って、溝口はそれしか言わなかったという話ですが、演技の理論のなかにもありますよね、サンフォード・マイズナーとか。

──リー・ストラスバーグやステラ・アドラーと並び、20世紀を代表する演技指導者のひとりであるマイズナーは、「演技とはフリをすることではなく、反応することだ」というアプローチを確立しました。

是枝

だから基本なんですよね。でも相手のセリフを、自分がセリフを言うための間だと考えている人もたくさんいます。そうなると、相手のセリフを聞けなくなる。聞くことがいちばん大事なのに。だからできてない人にはちゃんと言います。

──聞くことの大切さに気づいて演出を行うようになったのはいつごろからですか?

是枝

『ワンダフルライフ』のころですね。初監督作の『幻の光』を撮って、自分には役者を説得できる言葉がないと思ったので、自分なりに学び始めたんです。それで他の演出家がどう演出しているのかを知るために、鴨下信一さん(ドラマ『ふぞろいの林檎たち』シリーズなどで知られる演出家/プロデューサー)や蜷川幸雄さんの現場を見学しに行ったりして。その結果、『ワンダフルライフ』で演技経験の少ないARATA(井浦新)くんと小田エリカさんを演出するとき、相手のセリフをちゃんと聞くために、お互いのセリフを交換して言ってみるということをやり始めました。すると、自分のセリフがどう聞こえるかを、相手のセリフを聞くことで確認できるんです。

自分だけでなく、まわりの環境さえも芝居の一部にしていく

実写映画『ルックバック』2026年9月11日(金)より公開中。配給:K2 Pictures。©藤本タツキ/集英社 ©2026 K2 Pictures・集英社

──「声を聞いてください」だけでなく、「音を聞いてください」「ちゃんと感じてください」と言葉をかける場面もありました。周囲の状況をちゃんと感じてほしいという意味合いだったと思いますが。

是枝

“感じる”というのは、そこにあるいろいろなものを芝居に役立てるためになんでも利用するということです。つまり光がどこから来ているか、風がどう吹いているか、音がどう聞こえてくるか、座っているソファの感触はどんなかということも、芝居の一部にしていく。芝居を自分だけがやるとは考えず、まわりのいろいろなものを味方にしていくのは大事なことです。そのために重要なのは、周囲に敏感になって、空間をどう把握していくかなんです。

──『怪物』に主演した黒川想矢くんは、“感情を言葉に表さず、別のものに見立てて表現する方法”を教えてもらったと話していました。「例えば悲しい演技をするときに、お腹が痛いとか、指先が冷たいとか、そういうことを感じながらやってみるといいよ」って。それは周囲を感じることとは、また違いますか?

是枝

違いますね。それは感情を身体化するということです。これも演技の基本なので、演出の本を読めば必ず出てきます。そのときの黒川くんは内面から演技を作ろうとしていたので、悲しさを顔やセリフで表現しようとしていた。まあ、ほとんどの俳優がそうなんですけどね。でも悲しいときに、痛いとか冷たいとか、感情を心ではなく身体化して外部に出してみる、内面を外へ出して反転させてみることで、芝居がより具体的になるし、顔芝居にならなくなります。すごく大事なことですよね。

──それは感情を演技で説明しないということでもありますか?

是枝

うん、そうです。セリフそのものに感情を込めないっていう。それも特別な考えではないですけどね。前に加瀬亮くんから聞いたのは、彼がガス・ヴァン・サントの『永遠の僕たち』に出演したとき、一度リハでお芝居したあと、「いまやった芝居を全部セリフなしでやってみよう。表現したいと思った感情が、それでどれだけ伝わるかやってみよう」と言われたそうなんです。要するにセリフにはそんなに感情を込めなくていい、そうじゃないもので映画を作るんだ、ということですよね。

黒川くんのときも、セリフや顔で表現するのではなく、コップの中になにを入れるかという話をして、「それは温かいミルクなのか、冷たい水なのか、スープなのかを考えてお芝居をしてごらん」と言うだけで演技は変わりました。だから感情をなにか違うものにして、出してあげることが大事です。

──『真実』を演出した際には、俳優として登場するキャラクターそれぞれに異なる演技法を背負わせ、その演技がどうぶつかり合うかという、ある種の実験を行いました。カトリーヌ・ドヌーヴ扮する大女優ファビエンヌは“反応”を重視する演技法、ジュリエット・ビノシュ扮するその娘のリュミールは“感情の記憶”を重視する演技法というように。

是枝

贅沢な実験ですけどね(笑)。そこから学んだことは多かったし、とくにビノシュから教わったことは大きかったです。彼女は非常に論理的に芝居を考えていて、ひとつの演技法に埋没しているわけではありません。ただ、彼女の言い方としては、自分が悩んだときに戻る場所としてメソッド演技をベースにしているんだと。一方でドヌーヴは、「役作りってなに?私がやれば、そう見えるでしょう?」という古典的なスターの演技法(笑)。そんなやり方、いまではもう誰もできませんよね。

──おそらく是枝さんが重視しているのは反射のほうで、感情の記憶を呼び起こし、それを演技に応用するメソッド演技ではありませんよね?

是枝

メソッド演技を否定するわけではないし、それが必要な局面も絶対にあるはずだけど、人を選ぶと思うんです。『真実』のなかで疎遠な母との関係を演じる際、ビノシュにどうしたのかを聞いたら、自分の子ども時代にさかのぼり、母親とうまくいかなかった時期の記憶を蘇らせて、いまはかさぶたになっている傷を、かさぶたを剥がすかたちでもう一度生傷に戻したんだと。そのうえで傷を役に移植したと言うんですね。でもそれって危険な行為じゃないですか、心理的に。

その演技法を頼りにする役者たちのなかに、アルコールや薬物にすがるようになる人がいると認知されて、いまはもう少し安全なやり方が求められるようになってきました。もちろん部分的にはみんなやっていることだから、方法論のひとつとしてはありだと思うけど、そうとう強い人でないとしんどいはずです。僕も「君の人生のなかで辛かったことを思い出してみて」みたいな演出は積極的にはやりません。

──でもそういう追い込み方をする演出家が、かつては相当いたはずです。

是枝

そこにはある種の心理的なカタルシスや達成感があるんでしょうね。でも監督と役者のあいだの、そういう抑圧的な関係があまり好きじゃない。人間のどこかに負荷をかけて、血を流させるわけですから。

京本のまなざしをしっかりと背負う、強い背中にしたかった

実写映画『ルックバック』2026年9月11日(金)より公開中。配給:K2 Pictures。©藤本タツキ/集英社 ©2026 K2 Pictures・集英社

──子ども時代を演じたふたりについては、「ふたりをキャスティングできた時点で、僕の仕事はほぼ終わっていた」「ふたりを選べたことが、いちばん大きな演出だったかもしれない」と話していますよね。どの辺がキャスティングのポイントだったんですか?

是枝

先に出口夏希さんと蒔田彩珠さんのキャスティングが決まっていたんですが、お芝居的にいえば、蒔田さんは聞くのがとても上手、つまり“受ける”のが上手なんです。一方で出口さんは、ものすごい球を投げるけど、たまにどこへ行くかわからない“荒れ球の剛速球ピッチャー”(笑)。でも蒔田さんならそれを受け止められるなと思って、ふたりをキャスティングしたんですね。子ども時代のふたりも、そこがベースです。顔が似てるかどうかよりも、お芝居のタイプとして“キャッチャー”と“ピッチャー”という組み合わせで選びました。それで先に決まったのが、自由奔放で、「とにかく投げるから取ってね!」というタイプのふうりちゃん(笑)。

──かたや六花ちゃんは、演技が安定していて、受けの芝居も見事でした。ただ、オーディションに立ち会った小出大樹プロデューサーは、「オーディションの時点であんなに素晴らしい演技をするとは想像できなかった」と話しています。

是枝

結果が出てから言うのは卑怯だけど、僕は自信がありましたよ。オーディションで「ちょっとこうやってみて」と指示を出したときの変化の度合いっていうのかな。僕の言葉を受け止めて、芝居が確実に変わる瞬間があって、この子は役者だなと思ったんです。

──逆に、確信がないと決められない、ということでもありますか?

是枝

確信というよりは直感に近いですけどね。まあ、30年以上映画を撮ってきて、それなりに蓄積があるので、そうは外さないという自信はあると思います。とくにこの10年くらいは。

──作品の終盤、京本のいなくなった部屋を訪れた藤野は、あり得たかもしれない世界を想像し、京本との記憶をたどるなかで、なぜ描くのかをあらためて問われます。そして一度振り返り、新たな決意を胸にして、京本の部屋を出ていきます。喪失感にあえぐ藤野が再び前を向く重要な場面ですが、振り返る演技をする出口さんに対して、是枝さんは「声を聞いてください」と言うのと同時に、「“覚悟に向かっていく助走”という感じで振り返ってください」と演出の言葉をかけていました。なぜ、あの場面で“覚悟に向かっていく助走”という言葉を選んだんですか?

是枝

あのへんは頭の中でもう編集ができていて、その流れを考えたときに、もう少しここでなにかが欲しいと思ったんですよね。要するに、藤野がなにを見ているかが、もう少しちゃんと伝わるようにしたいなと。現実にはいない京本の声を聞いたときに、彼女はその問いかけから目を逸らして、部屋を出ていくわけにはいかない。むしろそう見えたら失敗だし、京本のまなざしをしっかりと背負う、強い背中にしたかった。その強さを欲したときに、“覚悟に向かっていく助走”という言葉が出てきたのかもしれません。

──実際、その後の出口さんの演技は、秘めた覚悟を感じさせるものに変わりました。演出の際にかける言葉は、あらかじめよく考えていますか?その場で出てくるものですか?

是枝

現場で思いついて、言ってるだけです。人によっては、「振り向くスピードをいまの1.5倍ゆっくりしてみて」という言い方が伝わる人もいるし、「覚悟」という言葉が逆に邪魔になってしまう人もいるから、届け方は難しいですね。

安藤サクラさんの場合、『万引き家族』の終盤ですが、リリーさん扮する夫と息子が面会室に来るシーンを撮るとき、まず手前でお芝居して、去り際にドアのところで振り向いて、じゃあねっていなくなるお芝居をするので、感情のピークをそのふたつで分散させたいという話をしたんです。それでリハをしたら、安藤さんが「いまのはどれくらいですか?」と聞くので、「いまは8:2くらいだから、それを7:3にしましょう」って。そうすると、去り際のお芝居の感情が微妙に上がるんですね。

でも出口さんの場合は、言葉で具体的に説明したほうが届く人だったと思います。例えば漫画の連載が軌道に乗り、作品が自分の手を離れていってしまう状況に直面して、菅田将暉くん扮する編集者に「寂しいでしょう?」と聞かれたときの「え?」というリアクションについて、その「え?」に含まれる感情をかなり具体的に話しました。つまり「2秒くらい間を取って」という説明の仕方ではなく、いま藤野は京本のことを思い出していて、それを言い当てられたのかなと思った「え?」にしてほしいって。そこから、そうじゃなかったんだと気づいて「そうですね」と言うまでの感情が3段階あるから、そこをちゃんと表現できるといいねみたいな話をしたら、それもちゃんとできましたね。前にご一緒した『舞妓さんちのまかないさん』から5年経って、とても成長したなあと思いました。

伝わり方は人それぞれなので、言葉はあくまでも相手に合わせます。でもそれでよくならないと、お互いに苦しむことになる。だから演出はいつも必死ですよ。

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