⚪️掌編小説|蜜柑堂書店 第二十四話
第二十三話からの続き
駅から蜜柑堂書店までの道のりを歩くと古くからの一軒家があり、これまで気にもとめなかったその生垣が、季節の変わり目に金木犀だと分かった。
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通りに面して整列し、歩く者にその芳香を移さんとばかり橙色の花を咲かせている。
出勤して来たぼくをクンクンと嗅ぎながら「あら今年も咲いたのね」などと言いそうな蜜柑さんを想像してひとりニヤけてみたり、花言葉を検索したらまさしく蜜柑さんのことだと感心したりした。
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それでふと思い出した。あれは六、七年前のことだ。どうして忘れていたのだろう?
家から一番近い駅前の大型書店で新しい本との出会いを求めて彷徨っていた。週末は大抵そこに入り浸る習慣だったのだ。
平積みされた『君たちはどう生きるか』を手に取ろうかどうしようか迷っていると、見知らぬ女性に声をかけられた。
落ち着いた表情ではあったけれど、大人の女性というほどではなくほんの少し年上といった印象。整った顔立ちと小綺麗な服には近づき難さより親しみを感じる。そういう柔らかさがある。
「すみません、少しお時間、良いですか、決して怪しくないです」
絶対怪しい。
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話を聞くとその女性は中国から来た人で、日本の友人が出演する文化祭の軽音楽ライブを見に行く予定だという。
ところが当の友人が体調不良により急遽出演見合わせとなった。友人とはその後連絡が付かなくなり途方に暮れていると。
右も左もわからぬ東京で、ただその文化祭の空気を吸ってみたい一心で待ち合わせ駅まで来てはみたものの、遂に足が止まってしまった。
つまりこういうことだ。ぼくにそこへ連れて行ってほしい。何故ぼくなのか。曰く、本屋さんに悪い人いません。なるほど。
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背丈はぼくと同じぐらい。脚がスラリと真っ直ぐに伸びている。ペタンコの靴。走ったら速そうだ。きっとぼくを下に見ているのだろうなと思ったら少し大人ぶっている自分に気づいた。
彼女から文化祭の場所を聞くと、それは歩いて十分ほどのところにある名門の女子校だった。
「そこまで連れて行けば良いの?」
「いいえ。迷惑じゃなければ一緒に案内して。友だち来られない。わたしは誰も知らない」
暇だしぼくは構わないけど。
「良いよ。ぼくで良ければ」
「ありがとう。謝謝」
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途中のことはあまり記憶にない。断片的な映像があるだけで、どこをどう案内したとか、どんな会話をしたとか、ふたりで歩いたはずなのに不思議と何も覚えていなかった。
友人が出演するはずだったという軽音楽同好会のライブでは、その演目を別の人が代行するらしく、演奏の前にちょっとしたエクスキューズがあった。それは死者を弔う歌だった。
アコースティックギターによる語りのような歌唱が始まると、ぼくは隣にいる彼女を見た。暗幕で覆われた講義室に小さな照明を焚いているだけの薄暗い場所で、妙な話だけれど、その女の人はまるで異国の高貴な令嬢のように見えた。
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中庭の小さなベンチの傍に金木犀が咲いていた。彼女はその花の前で立ち止まると「わたしの子どものころの名前」と言った。
「桂花」
「グエイ──?」
「この花」
「ああ、金木犀」
そこで終わり。その先の記憶は、どうやって別れたのか、握手をしたとかバイバイしたとか、まるで存在ごと消えてしまったかのように綺麗さっぱり忘れてしまった。
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出勤して蜜柑さんに朝の挨拶をすると、やはり思ったとおり、不思議そうに首を傾げている。
つかつかとぼくのところへやって来て、匂いを嗅ぐに違いない。もう秋ね、などと──
「気をつけてね」
そう言うと手のひらで軽くぼくの肩を払った。それから両方の腕を二、三度さすって、じゃあ今日もよろしくねと言った。
蜜柑さんの顔がとても近くにあるのにぼくは少しもドギマギせずに、はいよろしくお願いしますと何故か冷静にこたえている。
秋ですね、とぼくは心の中で呟いた。
(第二十五話に続く)
*見出し画像は@羽さんが蜜柑さんをイメージして制作してくださったものです。@羽さんは、毒のある耽美な物語から大人のコメディまで、自由自在に小説を書き分ける才能の持ち主で、またAIイラストでも独特の世界観と完成度で見る人の心を魅了します。私もされました。はい。
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