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結婚4年目。夫婦喧嘩をした日の話。

とある日。夫婦喧嘩をした翌朝、夫が謝ってきた。どうやら思い当たる節がいくつかあるらしい。

おお、いくつもあるってわかってるのね。とは思ったけれど、その場ではまだ整理が必要だのなんだの。

まあ、ひとまず夜に膝を突き合わせて話をしましょう。ということで、いつも通り仕事をして、息子を迎えに行き、寝かしつけまでをこなした後、話し合いの場がもたれた。

最近気になる、お互いにしたこと・していないことについて、伝え合う。そこでまた浮き彫りになってくる、思いやりの形。

「なぜ違うのか、なぜ分かり合えないのか」
きちんと話し合えた記録を、ここに。

新しく判明したこと

それは、夫は減点方式、私は加点方式だということだった。もはや思考の違いである。

一人暮らしを経験しないまま同棲をはじめた私には、数々の至らない家事への向き合い方がある。これまで何度も話し合いがもたれ、自覚し、反省し、今に至っていることだ。

けれど、それらがほぼ完璧にこなされていないことに、夫は腹を立てていた。

夕飯を作ってもらう方が洗い物をする。それは互いの歩み寄りによって続いている我が家のルール。それでも一通り洗い終わってから追加された洗い物を、それくらい洗っておいてよ、という話だ。どこかの家庭でも起きていそうな、小さな小さなせめぎあい。

別に、少しの洗い物が残っていても命に関係ない。でもたった5分で終わること。

どうしても譲歩できなかったのは、夫にはない、私が大切にしたい思いやりの形について、理解して歩み寄ってもらいたかったからだと思う。


私の主張も聞いてくれ

相手が気づいていないところで、家族のために行動する。家事もそう、食糧調達だって、電気を消したり明るさを調節したり、そういうことも全部その一部だ。

あなたが日々滞りなく気持ちよく過ごすために、家のことを率先してやることも、それが気持ちを落ち着かせる方法であることも知っている。家事の一つや二つ残っていることで、気分を害することも理解している。

だけど、それをやらなくたって死なない。明日が来なくなるわけじゃない。1分1秒早く寝ることが大切な日もある。

それよりも、私が大切にしたいのはこういうことだ。

スーパーで息子が好きな果物を買う。息子の好きな甘いものを手作りする。「おいしそう!」「おいしいね!」と言ってもらえるのが嬉しいから、今日も何を作るか考える。靴下や下着の畳み方も、飲み物や食べ物も、夫の好みを尊重する。

相手のこだわりに寄り添い、喜ぶ顔を想像して行動すること。そういう小さな喜びを積み重ねて私は生きていきたい。

100%完璧にこなしていない、やった・やっていない、と重箱の隅をつつくような言い合いは求めていない。小さな幸せを積み上げていきたいのだ、と。


思いやり認定されていない

私が日々している思いやりについて、どれだけ認識しているのか聞いてみた。


「毎日お疲れ様と労わってくれる言葉が自分にとって大切で、ありがたく思っている。マッサージしようか?とか、そういう労りも嬉しい。」


やっぱり細かいところは気づいていない。
いや、思いやり認定されていないんだな。と、この時はっきり分かった。

減点方式の夫と、加点方式の妻。

私が大切にする思いやりの形を伝えて初めて、考え方の違いが言語化された。結婚4年目、知らない一面がまだまだあるのかもしれない。

しかし、減点方式で人を見るなんて、なんて心の狭い人なんだ。そう思って、そのまま伝えて、なんだかおかしくて、二人して笑った。


「減点方式だなんて、人生つまらなくない?」


夫も苦笑いしながら認めた。自分の性格の問題かもしれない、と腹落ちしてくれたあたりで、張り詰めていた空気がふっと柔らかくなる。

泣いたり笑ったり、話し合いから派生した喧嘩も、感情が忙しい。

私が誕生日に花を要求したり、お祝い事を大切にしたい理由も、理解した様子だった。年にたった一度、それをするだけでいい。良い夫婦関係が続くなら、ちょろいもんだと思うのだけどな。

もちろん、日々のベースがあってこそである。夫が理解を示してくれて、理解してもらえたと安心できたことに価値があった。

今は、寝る前にシンクの中を見る。寄り添う気持ちがあるのなら、私も相手に応えたいと思うから。

この先、長い長い人生。
30年後の私たちは、どうなっているだろう?
仲良くやれているだろうか?