合格発表の日、私は寝坊した ―― 「力を抜く」の原点
プロローグでは、子ども時代から管理職になるまでを駆け足でお話ししました。ここからは、いよいよ「第1の習慣 ―― 心と体の力を抜く」の話に入っていきます。最初のエピソードは、大学に入ったころの、我ながら呑気だった自分についてです。
1975年、四当五落の時代に
私が大学に入学したのは1975年のことです。当時は「四当五落(よんとうごらく)」という言葉がよく使われていました。睡眠時間を4時間にすれば合格、5時間眠れば不合格――そんな意味です。語呂の良さから広まったのでしょうが、正直、真実を表した言葉とは言いがたいものでした。育ち盛りの高校生が4時間しか眠らなければ、むしろ健康を害してしまいます。それでも、リズムの良さが「真実味」を勝手に補ってしまい、誰も疑わないまま広まっていったのだと思います。
ところが、一人だけ、この「四当五落」を真面目に守っていたらしい同級生がいました。
顔は青白く、手は細くて、病人のようにも見えました。休み時間まで勉強に充てていました。
試験前、みんなで話していた時のことです。彼の知らない問題の解き方を誰かが披露すると、急にうろたえ、焦って参考書を開き始めました。
定期テストの成績は良かったのですが、実力テストでは、それほどでもなかったと思います。結局、希望する大学には現役で合格できませんでした。
そんな彼を見て、力を入れ続けることと、実力を発揮することは別なのかもしれないと、高校生なりに感じました。
私はといえば、睡眠不足にとても弱いタイプでした。7時間ほど眠らなければ頭が回らず、無理に起きてもすぐに寝落ちしてしまう。そんな調子だったので、本気で受験勉強を始めたのは試験のわずか3ヶ月前でした。生来の怠け者だったのでしょう。いつも切羽詰まらないと始めない性格で、治したいと思いつつ、なかなか治らないものでした。
家庭の事情で、私立大学は最初から選択肢にありませんでした。「授業料を払えないから」という、それだけの理由です。塾にもほとんど通わず、小学生のころにそろばん塾へ通った程度。親は「そろばんさえできれば生きていける」と本気で信じていたようです。英語塾に通う友達を、うらやましく眺めていました。でも、それが当時の大半の家庭の懐事情でした。
大阪では「さぼってると丁稚(でっち)にやるで!」というのが、子どもへの定番の脅し文句でした。丁稚奉公とは、商家や職人の家に住み込みで働きながら修行する制度のこと。今でいうインターンシップに近いものですが、給料はほとんどなく、親元を離れて年季が明けるまで帰れない厳しい世界です。今思えば、丁稚奉公からキャリアを積む人生もありだったのかもしれません(笑)。
合格発表の日、私はなぜか寝坊した
そんな綱渡りの受験でしたが、幸運にも国立大学に合格することができました。ただ、合格発表の日の私は、少し変わっていました。
普通なら、友達と朝からドキドキ・そわそわしながら発表を見に行くものだと思います。けれど私は「どうせ結果は変わらない」と思い、なんと昼まで寝てしまったのです。日が傾き始めたころになって、ようやく大学へ向かいました。今のようにインターネットなど存在しない時代です。合格情報は、掲示板に張り出された番号を自分の目で探すしかありません。夕方の大学は閑散としていて、受験生の姿はもうほとんどありませんでした。
掲示板に自分の番号を見つけたとき、ようやく実感が湧きました。時計を見ると、16時50分。事務所が閉まる直前に、滑り込みで入学手続きの書類をもらいました。窓口の職員が「今ごろ?」という目で私を見た気がします。
振り返ると、この呑気さこそが、後にお話しする「力を抜く」という生き方の、ごく早い時期の芽生えだったのかもしれません。もっとも、当時の私にそんな自覚はまったくなく、ただの寝坊助だっただけなのですが(笑)。
家族の喜びと、そっと消えた予備校代
公衆電話に10円玉を入れ、家に電話すると、家族は大喜びしてくれました。母は8人いる兄弟姉妹に片っ端から電話をかけ、父は「浪人するものだ」と覚悟していたらしく、予備校代(当時、年間20万円ほど)が不要になったことに、心底ホッとしている様子でした。
ちなみに、当時の国立大学の授業料は年間3万6000円。2学年上の先輩は年間1万2000円だったと聞いて、「いいなぁ」と単純にうらやましく思ったのを覚えています。1960〜70年代の日本は、高度経済成長を経て、暮らしが大きく変わりつつあった時代でした。『所得倍増論』や『日本列島改造論』が語られた、そんな時代の空気がまだ残っていました。
のんびり者のスタートライン
こうして、私の大学生活が始まりました。最初からやる気に満ちた学生だったとは、とても言えません(笑)。ただ、それもまた時代の空気感だったのだと思います。当時の日本は経済成長のまっただ中で、就職の心配などほとんどなく、多くの学生にとって「大学に入ること」自体がゴールのような風潮がありました。もちろん、一生学問を究めようとする人や、専門分野に強い関心を持つ人は例外です。けれど多くの学生、特に企業と結びついた工学部の学生にとって、大学はいわば「就職予備校」のようなものでした。
高校生のころから将来を真剣に考えることもなく、「とりあえず大学に入ったら、将来安泰や!」と思っていた、お気楽な時代。今の学生さんたちからすれば、うらやましいような、少し呆れられるような話かもしれません。
けれど、この呑気さがあったからこそ、次にお話しする「ワンダーフォーゲル部」での経験や、その後の紆余曲折にもつながっていきます。力を抜いて生きることは、実は、大学に入ったこの瞬間からもう始まっていたのです。
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これまでの記事は、マガジン「70年かけて検証した――心と体、お金と人間関係、見えないもの」にまとめています。連載完結まで1年以上かかる予定ですが、週4回更新しています。
次回は、目標もないまま入部したワンダーフォーゲル部で、なぜか沢登りにのめり込んでいく「さまよう生活」についてお届けします。
