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意味も結論もなくていい。すごい文章より「ささいな本音」が生む共感がすごい|書籍化ログ(#創作論 #web小説 #note #エッセイ #文章術 #書籍化 #スキ)

こんにちは。こんばんは。
普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。

noteって、「スキ」の数が見えます。

自分の記事を見て両隣に並ぶ記事を見て、
付いたスキの数にチクリと胸が痛む。

この気持ちがわかる人は多いと思います。

この状況で、

「数字を気にするな」
「他人と比べるな」

というのはそもそも無理ゲーだと思うんです。

見えるんだから、気になってしまう。
人間って、そういう生き物だと思うんです。

本当は数字で価値なんて測れない。
頭ではそう分かっていても、
「スキ」の数を無意識のうちに自分の価値と結びつけてしまう。

数が多ければ自分を高く評価するし、
少なければ低く評価する。

冷静に考えれば、
そんな単純な話ではないのに、
いつの間にか数字に振り回されてしまうんですよね。

肩書も同じです。

noteには大学教授もいますし、
作家さんもいます。

経営者やテレビ関係者など、
驚くような経歴を持った人もたくさんいます。

そういう人たちを見ていると、

「実績のある人には敵わない」
「誇れるものがない自分が発信していいのだろうか」

そんな不安に襲われることがあります。

でも、それって自分の評価軸を
「誰かと競えるもの」に設定している状態なんですよね。

ただ、ここnoteのおもしろいところは
自分では「誇れるものがない」と思っていても
それが「競えるもの」より強力な武器になるところです。

ここでは、「すごさ」が必ずしも読まれる理由にはなりません。

むしろ、
「すごさの競争」から降りた人のほうが、
多くの共感を集めているように感じます。

ただ、この競争から降りるのは簡単ではないのですよね。

人って、格好をつけたい生き物じゃないですか。

なめられたくないし、馬鹿にされたくない。
情けない人生だと思われたくないし、
だからと言って、平凡な人生とも思われたくない。

そして、できることなら、少しくらい尊敬されたい。

だから、無知や失敗、弱さをそのまま見せることができない。

書いたとしても、
「この失敗から学んだ」
「いい経験になった」
と、自分を少し俯瞰して分析したような書き方をしてしまう。

私自身も、なかなかこの「かっこつけ癖」が治りません。
それくらい、「すごさの競争」から降りるのは難しいんです。

以前、たくさんの方に読んでいただいた記事があります。
(文末に貼りつけている「弱さ」についての記事です)
その記事を書くきっかけになった方が二人いました。

お二人とも、
「すごさの競争」から自然に降りていて、
本当に素直な言葉で等身大の自分を発信している方たちです。

その飾らない言葉が、多くの人の共感を生んでいます。

一人目の方のある記事を読んだとき、私は圧倒されました。

そこにあったのは、単なる弱さの開示ではなかったからです。
つらかったことだけではなく、
その先にある「本当はこういうものが欲しかった」という願いまで、
まっすぐに言葉にしていた。

「寂しかった」と書くことはできても、
「本当はこうしてほしかった」と認めるのは、
とても勇気がいることだと思います。

しかも、
その思いを誰かのせいにするわけでもなく、
同情を求めるわけでもなく、
きれいな教訓に変換するわけでもない。

ただ、自分の本音として差し出している。

私はその文章を読みながら、
尊敬や畏敬に近い感情になったのを覚えています。

そして、もう一人の方も同じです。

「フォロワーさんが別の記事にスキをしていると気になる」
「相互を切られると傷つく」
「コメントの返信が適切だったのか不安になる」

そんな思いを、とても素直に書いているんです。
そこには、格好をつけようという気配がまったくありません。

本人は真剣に悩んでいるのかもしれないのですが、
なぜか読むと「ふふっ」と和んでしまう。

あまりにも人間らしいからです。

人って、
結構ささいなことで傷ついたり、
嫉妬したり、
落ち込んだりするじゃないですか。

「気にしなくていい」と分かっていても、気になってしまう。

そんな小さくて、
不器用で、
格好のつかない部分。

本当は誰にも見られたくないはずなのに、
その人はそこまで隠さずに書いている。

そういうところにすごく好感が持てるんです。

人って、立派なことを語っている姿よりも、
こういう不器用な部分が見えたときのほうが、
急に身近に感じられることがあります。

そして、
そういう姿をそのまま見せられる人は、
思っている以上に少ない。

自分の本音を言葉にすることは、本当に怖いことです。

否定されるかもしれない。
幼稚だと思われるかもしれない。
恥ずかしいと思われるかもしれない。

だから私たちは、つい言葉を加工してしまいます。

でも、本当に人の心を動かす文章は、
意外なくらい加工されていないんですよね。

「こんなことを気にするのは自分だけかもしれない」
そう思っていたことを、誰かが代わりに言葉にしてくれる。

それだけで救われることがあります。

私は以前、自分の弱さを見せることがとても苦手でした。

情けない自分を知られたくなかったし、
少しでも立派に見られたいと思っていました。

他人に隙を見せることが致命傷になると思っていたからです。

でも、少しずつ鎧を脱いで、
格好悪い自分もそのまま書けるようになってから、
発信することがずいぶん楽になった気がします。

肩書や実績を競う勝負に終わりはありません。

でも、自分の弱さや未熟さを加工せず、
そのまま言葉にした文章は、
誰とも比べることのできない、
その人だけの表現になります。

「すごさの競争」から降りた先にある言葉。

私は、それこそがnoteの一番おもしろいところだと思っています。

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