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最初の一歩が重いのは、それがまだ「1分の1」だからだ

何かを始めようとするとき、最初の一歩だけ妙に重く感じることがある。

noteを始めようと思ったとき、「最初の記事には何を書けばいいんだろう」と考えてしまう。SNSを始めるときも、一つ目の投稿をどうするか迷う。運動や英語の勉強でも、「今日から始める」と決めた瞬間、急にちゃんとやらなければいけないような気がしてくる。

でも、少し先の未来から見れば、その最初の一回はただのn分の1でしかない。

100本記事を書けば、最初の記事は100分の1になる。1000日続けた習慣なら、最初の日は1000分の1になる。

それなのに、始める瞬間だけは1分の1だ。

1分の1だから、代表作のように感じてしまう

まだ一つしか存在しないとき、その一つは全体の100%を占める。

noteの記事が一本しかなければ、その一本が自分のnoteそのものに見える。SNSの投稿が一つしかなければ、それがアカウント全体を代表しているように感じる。

しかも、一番経験がない状態で、その「代表する一つ」を作らなければならない。

考えてみれば、かなり厳しい構造である。

本当は、その一本が今後の方向性を決めるわけでも、自分の実力を証明するわけでもない。それでも最初は分母が1しかないから、必要以上に大きく見えてしまう。

完璧主義であれば、なおさらだと思う。

最初から一定のクオリティにしたい。あとから見ても恥ずかしくないものにしたい。外に公開するものなら、自分がどう見られるかまで気になってくる。

未来ではn分の1になるはずの一回に、今の自分が意味を載せすぎてしまう。

すべての「初めて」が重いわけではない

一方で、初めて経験することのすべてに、同じ心理的な負荷があるわけでもない。

初めて新しい料理を注文するときに、「これは自分の人生における最初のチーズタッカルビだから、慎重に選ばなければ」と考える人はあまりいない。

初めて喋った言葉を覚えている人もほとんどいないし、初めて50メートルを走った日のことも覚えていない。それでも今では普通に言葉を使い、走ることができる。

あとから見れば確かに「初回」だった。

でも、その瞬間には自分で「今日からこれを始める」と境界線を引いていなかった。

客観的には初めてでも、主観的にはスタートではなかった。

もしかすると重いのは「初めて」そのものではなく、自分の意思で“ここから始める”と区切った瞬間なのかもしれない。

スタートを、一つのイベントにしなくてもいい

だから、何かを始めたいのに最初の一歩が妙に重いなら、スタートそのものを曖昧にしてしまってもいい。

たとえばnoteなら、最初の一本を書いてすぐ公開する必要はない。10本書いてから、そのうちの一本を公開してもいい。

外から見れば最初の投稿でも、自分にとっては10分の1になる。

運動なら、いきなり「今日から週三回走る」と決めなくてもいい。ウェアを見る。シューズを買う。近くのジムを検索する。少し歩いてみる。

それだけでは「運動を始めた」と呼べないかもしれない。

でも、0から1へ一気に飛ぶのではなく、0.1、0.2、0.3と積んでいくことはできる。

よく「最初の一歩を小さくしよう」と言われるけれど、もう少し極端に考えてもいい気がする。

一歩目そのものを分解してしまえばいい。

気づいたら、いつの間にか始まっていた。それくらいでもいい。

「できない自分」ではなく、「なぜできないのか」を見る

この話は、スタートに限ったものでもないと思う。

何かができないとき、「自分は意志が弱い」「自分は続かない人間だ」と考えると、そこで話が終わってしまう。

でも、「なぜ自分はここで止まるんだろう」と少し観察してみると、違うものが見える。

公開することが怖いのかもしれない。継続を約束することが重いのかもしれない。最初から高い完成度を求めすぎているのかもしれない。

理由が分かれば、対処も変えられる。

公開が重ければ先にストックを作る。継続が重ければ「今日はやってみる」だけにする。0から1が重ければ、0.1に分解する。

こういうことを繰り返していると、少しずつ自分の取り扱い説明書ができてくる。

「ああ、自分はこの条件だと止まりやすいんだった」

そう分かっているだけで、次に同じことが起きたとき、自分を責める前にやり方を変えられる。

人間って、そういうところがあるよね

そして私は、ここで全部を自分の性格の問題にしなくてもいいと思っている。

「自分はダメだから始められない」ではなくて、もっと雑に、

人間って、1分の1には意味を感じすぎるところがあるよね。

くらいに捉えてしまってもいい。

それが生物学的にどこまで正しいのか、社会学的にどこまで説明できるのかを厳密に証明したいわけではない。

自分自身が納得できる説明を持てれば、それで十分なこともある。

「自分がおかしい」のではなく、「人間にはこういう癖があるのかもしれない」と少し距離を取って見る。

そのうえで、それでもやりたいならどうするかを考える。

人間がそういう性質を持っているなら、その性質をなくそうとする必要はない。自分が動きやすいように、やり方を設計すればいい。

最初の一歩が重いなら、最初の一歩を軽くする。

それでも重いなら、さらに細かくする。

そして覚えておく。

今は1分の1だから大きく見えているだけで、この一回も、いつかn分の1になる。

そう思えるだけで、最初の一歩はほんの少しだけ普通の一歩に近づくのかもしれない。

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