名曲は残る。でも「みんなが知っている歌」は、もう生まれないかもしれない
名曲は、いつまでたっても名曲であり続ける。
毎週、新しい曲が発売され、ヒットチャートには順位がつく。その時点で比較されるのは、同じ週に世に出た曲たちだ。
そこから数週間残ればロングヒットと呼ばれ、年末にはその年を代表する曲として振り返られる。さらに数年、数十年と時間がたつと、「夏の歌」「青春の歌」「恋愛の歌」といった、年代を越えた膨大な曲の中で比較されるようになる。
時間がたつほど、比較対象となる母集団は大きくなる。
その中で人々の記憶に残り、何度も聴かれ、歌われ続ける曲は強い。発売された瞬間に売れたというだけではなく、異なる時代の人々によって、繰り返し選び直されてきたからだ。
ヒット曲は、その時代の人々に選ばれた曲である。
スタンダードは、異なる時代の人々によって何度も選び直された曲である。
時間は、音楽の普遍性を抽出する
今ヒットしている曲が、一過性の流行で終わるのか、長く残る名曲になるのかは、現在の私たちには分からない。
数年後に「懐かしいね、そんな曲もあったね」と振り返られる曲もある。一方で、サザンオールスターズやDREAMS COME TRUEの名曲が、単なる過去の流行として扱われることは考えにくい。
同じように大ヒットした曲でも、その後に残るものと、残らないものがある。
その差を生むのは、個人の好みだけではない。人間が普遍的に抱く喜び、恋愛、孤独、喪失、期待といった感情への接続性や、時代を越えて心地よいと感じられる旋律やリズムが関係しているのだと思う。
歌詞の言葉遣いやアレンジには、それぞれの時代性が表れる。それでも、その時代性が薄れたあとにも人の心へ届く部分が残っている曲は、古い曲にはなっても、古びた曲にはならない。
時間は、名曲を古くするものではない。
流行や宣伝、時代の勢いが失われたあとにも残るものを抽出する、強力なろ過装置なのだ。
音楽は、人間にとって根源的なエンターテインメントである
音楽は、人類の歴史において、かなり根源的な欲求に近いエンターテインメントだと思う。
言葉の意味を完全に理解しなくても、リズムや旋律、声の響きは身体や感情へ直接届く。物語や映像よりも原始的でありながら、極めて強い力を持っている。
社会制度が変わり、技術が進歩し、音楽を届ける手段が変わっても、人間が音楽を楽しむこと自体は途切れなかった。
宗教や宮廷のために演奏されていた音楽は、市民社会へ広がった。レコード、ラジオ、テレビ、CD、ストリーミングと、音楽を届ける仕組みも変わり続けてきた。
音楽の形式や流通方法は変わっても、音楽を求める人間の感覚は連綿と受け継がれている。
だからこそ、人間の普遍的な感情や感覚に接続した音楽は、時代が変わってもスタンダードとして愛される可能性を持つ。
何が残るかは、社会が何を継承したかにも左右される
ただし、優れた音楽であれば、すべてが平等に時間の審査を受けられるわけではない。
何がスタンダードとして残るかは、現在の社会が、過去のどの社会基盤を継承しているかにも左右される。
日本は明治以降、近代化の名のもとで、西洋型の政治制度、教育制度、産業構造、都市生活を急速に導入した。その中には、西洋音楽を教え、演奏し、鑑賞する仕組みも含まれていた。
クラシック音楽は、単に海外から輸入された古い音楽ではない。学校教育、音楽ホール、オーケストラ、映画、CM、店舗のBGMなど、現在の日本社会にも続く制度や生活空間の中へ組み込まれている。
そのため、数百年前の作品でありながら、過去の遺物として隔離されず、今も現役の音楽として流通している。
一方で、江戸以前から継承されてきた日本の音楽は、完全に消えたわけではないものの、現代のメジャーシーンとの間に強い断絶がある。
音楽そのものの価値が低かったわけではない。近代以降の社会が、それを日常的に聴き、演奏し、次の世代へ渡す基盤を中心には据えなかったからだろう。
時間というろ過装置は、完全に中立ではない。
まず、社会基盤が音楽を残し、繰り返し聴かれる機会を与える。その中から、さらに時間が普遍的なものを選び出す。
名曲は、社会によって運ばれ、時間によって磨かれた結果、文化資産になっていく。
サザンやドリカムは、いつか文化資産と呼ばれるのか
文化資産は、誰かが公式に認定した瞬間に生まれるものではない。
人々が繰り返し聴き、歌い、人生の記憶と結びつけ、次の世代へ渡した結果として、いつの間にか社会の共有財産になっている。
サザンオールスターズやDREAMS COME TRUEの楽曲は、すでにその過程にあるように見える。
曲は特定のファンだけに愛されているのではない。夏、恋愛、卒業、結婚、別れといった生活の場面と結びつき、テレビ、CM、カラオケ、結婚式などを通じて繰り返し使われている。
個人の思い出でありながら、同時に社会の共同記憶にもなっている。
いつかサザンやドリカムが、クラシックや唱歌と並ぶ日本の文化資産として語られる時代が来るのだろうか。
少なくとも、その可能性は十分にあると思う。
ただし、ここで新しい問題が生まれる。
これから先、同じようなスタンダードは生まれるのだろうか。
誰もが音楽を聴くのに、誰も同じ曲を聴いていない
テレビやラジオが社会の中心にあった時代には、多くの人が同じ曲へ接触する共通回路が存在していた。
音楽番組で知り、ラジオで繰り返し聴き、街中で流れ、カラオケで歌う。一つの曲が、個人の好みを越えて、同世代の共通記憶になる環境があった。
しかし現在、音楽との出会い方は大きく分散している。
SNS、動画配信、ストリーミングサービス、アニメ、ゲーム、ファンダム。個人は自分の嗜好に最適化された音楽へ、簡単にアクセスできるようになった。
これは、音楽体験の豊かさでもある。
一方で、誰もが音楽を聴いているのに、誰も同じ曲を聴いていないという状況も生んだ。
国民的な流行歌が生まれにくくなったのは、曲の質が落ちたからではない。名曲を社会全体のスタンダードへ育てる共通回路が、崩壊しつつあるからではないか。
エンターテインメントやメディアが、世代間の共通基盤として機能する時代そのものが終わりに近づいているのかもしれない。
マスには短い断片だけが届く
音楽の消費単位も変わり始めている。
現在でも、アニメやテレビ番組に合わせて短く編集された楽曲を「テレビサイズ」と呼ぶ。しかし今後、マスへ届く音楽は、さらに短くなっていく可能性がある。
一曲ではなく、サビ。
サビですらなく、数秒のフレーズ、印象的なメロディ、振付、音色。
短い断片がSNS上で流行し、一定期間が過ぎれば消費される。そして数年後、別の文脈でサンプリングされ、再びリバイバルする。
過去の音楽資産から、その時代の潮流に合う部分を見つけ、切り取り、再編集できるプロデューサーやクリエイターは、今後もマスへリーチしやすいだろう。
一方で、アイドル、バンド、シンガーソングライターなどが、純粋にフルサイズの楽曲を制作し、発表するだけでは、ビジネスを維持しにくくなる。
マスへ届くためには、短い切り抜きで入口を広げる必要がある。
それができなければ、ロック、ラップ、特定のアイドル文化など、細分化されたクローズドな島の中で、深いファンとの関係を築いていくことになる。
音楽市場は、巨大な一つの市場から、短い断片が行き交うマス市場と、限定された人々が作品全体を楽しむ多数の島へ分解されていく。
フルサイズの音楽はなくならない
それでも、フルサイズの音楽そのものが消えることはないと思う。
数十秒の音源だけで成立しやすいのは、広告、映像、ゲームなどへ音楽を提供するプロデューサー型の仕事だ。
アーティストは、曲だけでなく、ライブ、人格、物語、ファンダム、コミュニティまで含めて継続的な関係を作ることで、活動を維持している。
そのためには、断片だけではなく、フルサイズの楽曲やアルバムが必要になる。
ただし、フルサイズで聴くことは、誰もが当然に行う共通体験ではなくなる。
まず短い断片だけが大衆へ提示され、興味を持った人だけが自らフルサイズへアクセスする。さらに深く関心を持った人だけが、アルバムやライブ、コミュニティへ進む。
フルサイズは残る。
しかし、それはマスのものではなく、選択した個人や限定された集団のものになる。
過去のスタンダードだけが残るのか
当面、新しいスタンダードが生まれにくいほど、サザンやドリカム、昭和歌謡、クラシックといった過去の音楽資産は残り続けるだろう。
新しい競争相手が少ないまま、テレビ、CM、カラオケ、季節行事などを通じて、既存の名曲が何度も使われる。
過去のスタンダードが、固定的な文化資産として存在し続ける時期は、しばらく続くかもしれない。
しかし、中長期的には、そのスタンダードを共有し、楽しむ文化的基盤そのものが失われる可能性がある。
過去の名曲が消滅するわけではない。検索すればいつでも聴けるし、好きな人は深く愛し続ける。
それでも、「誰もが自然に知っている曲」ではなくなり、昭和歌謡、クラシック、ロックといった、多数ある文化的な島の一つへ移っていく。
音楽へのアクセスは、歴史上もっとも開かれている。
それなのに、音楽を共有する文化基盤は、歴史上もっとも細分化されている。
音楽は残る。でも、共有する文化は残るのか
音楽そのものは、これからも愛され続けるだろう。
音楽が人間の普遍的な感情や感覚に直接届く、根源的なエンターテインメントであることは変わらない。
変わるのは、音楽の存在ではなく、それを社会全体で共有する方法である。
これからの大衆は、数秒のフレーズだけを共有する。一曲全体やアルバム、アーティストの世界観は、関心を持った個人や、限られたコミュニティが自らアクセスして楽しむ。
その社会では、ヒットは生まれる。
瞬間的なブームも生まれる。
しかし、異なる世代によって何度も選び直され、社会全体の記憶に組み込まれるスタンダードは、極めて生まれにくくなる。
名曲はこれからも残るのだろうか。
それとも、名曲を「みんなのもの」として楽しむ社会の方が、先になくなるのだろうか。
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