一人で生きやすい日本は、本当に幸せなのか――「孤独フレンドリー」な社会の代償
東京で、ゴールデンウィークのような長い休みに、一週間まったく声を発さず、誰とも会話せずに生活することはできるだろうか。
おそらく、答えはYESだ。
食事はコンビニやスーパーの無人レジで買える。Uberで届けてもらうこともできる。生活必需品はAmazonで注文できる。映画館に行ってもチケットレスで入場でき、カフェではモバイルオーダーが使える。
家に帰れば、動画配信サービスがある。YouTubeがある。電子コミックがある。ゲームもある。SNSもある。
それらを行き来していれば、一日は驚くほど簡単に終わる。そして気づけば、一週間が経っている。
もちろん、その間にも人を見かけてはいる。街には人がいるし、Uberの配達員や物流、店舗で働く人たちに生活を支えられてもいる。
しかし、自分と他者との間に、コミュニケーションと呼べるものはほとんど存在しない。
現代日本は、驚くほど「孤独フレンドリー」な社会になった。
生活は、人間関係なしでも成立するようになった
かつて、人間が一人で生活を完結させることは難しかった。
生活の多くは家族や地域、職場といった共同体の中に組み込まれていた。食事をするにも、働くにも、物を得るにも、人との接触を完全に避けることはできなかった。
それは不自由でもあった。家族や地域との関係から簡単には逃げられない。人付き合いを面倒だと感じても、付き合わなければ生活そのものが成り立たない。
現代社会は、そこから個人を解放してきた。
テクノロジーとサービスの発達によって、生活を成立させるための多くの行為が、人間同士の直接的なコミュニケーションを必要としなくなった。
仕事ですら、リモートワークという選択肢がある。仕事内容によっては、一日誰とも話さずに仕事を終えることもできる。
これは間違いなく便利になったということだ。
ただ同時に、社会は**「人と関わらざるを得ない理由」**を、一つずつ取り除いてきたとも言える。
人間にとって最も身近な娯楽は、会話だったのではないか
もう一つ、大きく変化したものがある。
娯楽だ。
人類の歴史の中で、余暇が増え、経済的な余裕が生まれるにつれて、祭事やイベント、演劇やスポーツなど、さまざまな娯楽が生まれてきた。
ただ、それらが日常のすべてを覆い尽くしていたわけではない。
祭りは毎日あるわけではない。芝居や興行も常に見られるわけではない。少し前までのテレビですら、見たい番組の放送時間を待つ必要があった。
毎年のお楽しみ。週末のお楽しみ。夜のお楽しみ。
娯楽には一定の周期があった。
その間の日常を埋めていたものの一つが、身近な人との会話だったのではないだろうか。
家族と話す。近所の人と話す。仕事仲間と話す。酒を飲みながらくだらない話をする。
もちろん、それらは純粋な意味での「娯楽」ではない。
それでも、暇をつぶし、刺激を得て、笑い、感情を動かし、時間を消費する重要な活動だった。
必要があったから人と会話をしていた。そして時間があったから、人と会話をしていた。
現代では、その役割をメディアやコンテンツが強烈な勢いで代替している。
私たちは「飽娯楽」の世界に生きている
現代は、飽食の時代だと言われる。
食べ物が不足していた環境に適応してきた人間の身体は、食べ物が無限に手に入る環境に必ずしも適応できていない。そのミスマッチが、生活習慣病という形で現れる。
同じようなことが、娯楽にも起きているのではないか。
現代は、**「飽娯楽」**の世界でもある。
スマートフォンを開けば、自分の好みに合った動画、音楽、漫画、ゲーム、ニュースが際限なく供給される。
しかも、娯楽としての品質は極めて高い。
誰かと話して面白い時間を過ごせる保証はない。しかし動画配信サービスを開けば、自分が好きな作品をすぐに見られる。
人間関係には摩擦がある。相手の話も聞かなければならない。予定も合わせなければならない。思い通りにならないこともある。
コンテンツには、それがない。
退屈した瞬間にスマートフォンを開けばいい。
かつてなら、
退屈する → 人を求める → 会話する
という流れがあったのかもしれない。
今は、
退屈する → コンテンツを見る
で終わることができる。
孤独でも、そこそこ楽しく生活できてしまう。
だからこそ、自分が孤独であるという環境認知が劣後しやすい。
娯楽は、孤独を治しているわけではない
ただし、画面の内側と外側には、越えがたい壁がある。
動画を見て笑うことはできる。ドラマを見て泣くこともできる。配信者に親近感を覚えることもある。
しかし、こちらがどれほど相手を知っていても、基本的には相手は自分を知らない。
自分が笑っても、画面の向こうの人間の世界は何も変わらない。
娯楽は、刺激や楽しさ、暇つぶしという、人との交流が担っていた機能の一部を驚くほど高品質に代替できるようになった。
しかし、関係性そのものは代替できない。
現代の娯楽は、孤独の治療薬というより、鎮痛剤に近いのかもしれない。
孤独の痛みを弱めることはできる。しかし、孤独そのものをなくしているわけではない。
そして痛みが弱いからこそ、人は長い間その状態を維持できてしまう。
孤独の問題は、「私人としての自分」が存在しないことなのかもしれない
では、そもそも孤独とは何なのだろう。
単に会話が少ないことではないと思う。
仕事をしていれば、毎日多くの人と話す人もいる。顧客から頼られ、同僚から必要とされ、組織の中で重要な役割を担っている人もいる。
それでも孤独を感じることはある。
ここには、「誰かにとっての自分」に二種類あるのではないかと思う。
仕事では、多くの場合、能力や役割を通じて必要とされる。
担当者として必要とされる。知識があるから必要とされる。仕事ができるから必要とされる。
これは、公人としての自分である。
もちろん、それにも大きな意味がある。
しかし、孤独を埋める「誰かにとっての自分」は、それとは少し違うのではないだろうか。
趣味の友達、学生時代の友人、家族、パートナー。
そこでは、何かができるからその人であるとは限らない。
少しくらい使えなくてもいい。ポンコツでもいい。何かを生産しなくてもいい。
ただ、その人だから会いたい。その人だから話したい。
孤独を埋めるのは、有用性ではなく固有性なのかもしれない。
仕事で自分がいなくなれば、業務が困る。しかし時間をかければ、誰かが引き継ぐことができる。
一方、友人がいなくなったからといって、同じくらい面白い人を一人補充すれば元通り、とはならない。
孤独とは、
「私は社会に必要とされているか」ではなく、「私は私人として、誰かの世界の中に固有の場所を持っているか」
という問題なのかもしれない。
楽しいだけでは、人間には足りない
ここまで考えると、現代社会の奇妙さが見えてくる。
現代は、人間関係から「楽しい」という報酬だけを切り離して供給できるようになった。
人と何かをする。一緒に笑う。そして関係が続いていく。
かつては一体だったものが、
コンテンツを見る。楽しい。
というところまで切り出された。
文明は、楽しさを人間関係からアンバンドルすることに成功した。
しかし、人間が必要としていたものが本当に「楽しい」という感情だけだったなら、それで幸福になれるはずだ。
実際には、そうではないように思える。
自分の存在によって相手が笑う。自分が来ることを誰かが待っている。自分だから話したいと思う人がいる。
人間は「楽しい」を感じるだけではなく、他者との関係の中で生きてきた動物でもある。
どれだけ文明が発達しても、その部分まで急速に変化したわけではない。
孤独でも生きられるからこそ、孤独は深刻になる
そして、ここに現代の孤独の逆説がある。
社会は高度に発展し、孤独を感じにくくし、孤独でも生活できるようになった。
食事もできる。仕事もできる。買い物もできる。娯楽もある。
何も問題なく日常は回っている。健康でもあるかもしれない。
だから孤独は、長い間「解決しなければならない問題」として認識されない。
しかし、あるとき本当に孤独を感じたとしても、人間関係はAmazonで翌日に届けてもらうことができない。
友人は注文できない。
信頼関係も、居場所も、一日では作れない。
人間関係とは、時間の蓄積だからだ。
孤独になるまでの坂道は、テクノロジーによって驚くほど緩やかになった。
しかし孤独から戻る坂道は、むしろ急になっているのかもしれない。
文明の進歩と、人間という動物の間に
これは、昔の共同体に戻るべきだという話ではない。
共同体には不自由さもあった。家族や地域に縛られないことも、個人が自由に生き方を選べることも、現代社会が獲得してきた大切な進歩だと思う。
テクノロジーを捨てるべきだとも思わない。
問題は、文明の進歩と、人間という動物の性質が、必ずしも同じ速度で変化していないことなのではないか。
現代は飽食によって、身体的な生活習慣病を生み出した。
そして飽娯楽によって、孤独という社会的な生活習慣病を慢性化させる環境まで作りつつあるのかもしれない。
私たちは、孤独でも困らない社会を作ることには成功した。
しかし、孤独でも幸福でいられる人間へと進化したわけではない。
文明の進歩と、動物としての人間。
現代の孤独という問題は、その二つの間に落ちてしまった問題なのかもしれない。
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