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管理職は、部下ではなく「会社の人的資本」を預かっている

人事評価では、評価される側の能力や成果ばかりが問われる。

しかし、その人が発揮したパフォーマンスは、本当に本人の能力だけによって決まったものなのだろうか。

目標設定の明確さ、役割との適合、与えられた裁量、情報共有、意思決定の速さ、心理的安全性。こうしたマネジメントの質によって、人が発揮できる能力は大きく変わる。

それにもかかわらず、評価者は自分のマネジメントによって割り引かれた可能性のあるパフォーマンスを、その人本来の能力として評価できてしまう。

この構造は、あまりにもいびつではないだろうか。

観測された成果は、本人だけの成果ではない

同じ人が、同じ評価期間に二つの仕事を担当し、それぞれ異なる評価を受けることがある。

その場合、一般的には、仕事内容と本人の強み・課題との相性によって評価が分かれたと解釈される。

もちろん、それも一つの要因だろう。

しかし本来は、それに加えて、それぞれの仕事においてどのようなマネジメントを受けていたかも考慮しなければならない。

観測された成果は、本人の能力や努力だけではなく、仕事との適合、組織環境、そして評価者のマネジメントが組み合わさった結果である。

それにもかかわらず、評価者が自分の影響を顧みることなく、目の前に現れた結果をそのまま本人の能力だと判断すれば、自分が作った環境の影響まで被評価者へ帰属させることになる。

評価者は、単なる観察者ではない。

被評価者のパフォーマンスを左右する当事者でもある。

評価者は、自分が見ている世界を作っている

評価者が見ている被評価者の姿は、評価者自身のマネジメントを通じて現れた姿でもある。

目的や期待値が曖昧だった。必要な情報が渡されなかった。意思決定が遅かった。過剰な介入によって裁量が奪われた。方針変更による手戻りが繰り返された。

こうした環境で十分な成果が出なかったとしても、その結果を本人の能力不足として評価することはできる。

さらに評価者によっては、会社に対してどれだけ成果を出したかではなく、自分の思った通りに動いたかどうかを無意識に評価している場合もある。

すると評価対象は、組織への貢献ではなく、評価者のやり方への適応度へと変わってしまう。

それでも被評価者がマネジメント上の問題を指摘すれば、「他責的である」「自己認識が不足している」と受け取られる可能性がある。

評価者のマネジメント不全によって生じた不利益であっても、立場の弱い現場ほど、自分自身の評価として飲み込まざるを得ない。

階層構造の中で発生した歪みが、最終的に最も異議を唱えにくい下位者へ流れている。

管理職に貸与されているのは、会社の人的資本である

管理職は、自分一人の能力だけで成果を出すことを求められているわけではない。

会社から他の人材を一時的に預かり、その能力にレバレッジをかけることで、個人では実現できない成果を生み出すことを求められている。

つまり、部下は管理職が自由に動かしてよい私的なリソースではない。

会社から貸与された経営資源である。

管理職には、その人材の能力を引き出し、組み合わせ、育て、組織として成果へ変換する責任がある。

同時に、預かった人的資本の価値を不必要に毀損しない責任もある。

短期的な成果を達成したとしても、現場へ過負荷をかけ、心理的余力を奪い、自律性を低下させ、成長機会を失わせ、将来の離職リスクを高めたのであれば、単純に優れた成果とは言えない。

それは、人的資本へレバレッジをかけたのではなく、人的資本を取り崩して短期成果へ変換した可能性がある。

成果とマネジメントは、分けて評価する必要がある

職階や役割が上がれば、マネジメント力が自動的についてくるわけではない。

プレイヤーとして成果を出す能力と、他者の能力を引き出す能力は別である。さらに、人を適切に評価する能力もまた別の能力である。

しかし多くの組織では、昇格と同時にこれらすべてが備わったものとして扱われる。

その結果、管理職本人が成果を出していれば、マネジメントも適切だったと推定されやすい。

だが、同じ成果であっても、その作られ方はまったく異なる。

チームの能力を引き出し、組織能力を高めながら生まれた成果もあれば、優秀な現場が管理職の不足を補った成果もある。過剰な負荷によって達成された成果もあれば、管理職本人の個人技で無理やり成立させた成果もある。

短期的な財務成果だけを見れば、すべて同じ「目標達成」に見える。

しかし会社に残るものは違う。

人材の成長、自律性、再現性、後継者、組織の余力が残る場合もあれば、疲弊、属人化、離職リスク、挑戦回避だけが残る場合もある。

だから管理職は、事業成果とマネジメント成果を分けて評価される必要がある。

問うべきなのは、単に何を達成したかではない。

与えられた役割、期待値、人的資本に対して、どれだけレバレッジを効かせられたか。そして、その過程で将来の組織能力を高めたのか、毀損したのかである。

管理職には、人的資本の受託責任がある

管理職を、担当領域の成果責任者とだけ定義するなら、数字さえ出せばよいことになる。

しかし、管理職が会社から人的資本を預かる立場であるなら、そこには受託責任が発生する。

どのような状態で人材を預かり、どの能力を活用し、何を成長させ、どの程度の負荷をかけ、どのような状態で会社へ返したのか。

管理職は、その管理・運用結果を会社へ報告し、評価を受けるべきである。

システムが期待通りに動かなければ、利用者の能力不足だけでなく、設計や保守運用の問題が検証される。

設備の生産性が低下すれば、設備そのものだけでなく、運転方法や保守状況が問われる。

それなのに、人間が期待したパフォーマンスを発揮しなかった場合だけ、本人の能力や意欲へ原因を帰属させるのは不自然である。

人間はシステムより複雑であり、原因を完全に切り分けることはできない。

しかし、直接観測できないから見過ごしてよいということにはならない。

重要であるからこそ、不完全であっても観測し、分析し、改善する努力を続けることが経営の責任ではないだろうか。

被評価者を評価する前に、評価者自身を評価式へ入れる

被評価者の評価においても、評価者は自分自身を評価式の外側へ置くべきではない。

期待した成果が出なかった場合、まず本人以外の要因を分析する必要がある。

期待値は明確だったか。必要な情報や権限を渡したか。役割と本人の強みは適合していたか。意思決定や組織運営が阻害要因にならなかったか。評価者自身の関与によって、手戻りや萎縮を生んでいなかったか。

そのうえで、それでもなお本人固有の課題が残るのかを説明する。

評価者に求められるのは、反省の姿勢だけではない。

低い成果を本人へ帰属させるための、原因分析と説明責任である。

現在の評価制度では、被評価者の評価履歴は長く残る一方で、その評価を下した側の評価履歴はほとんど残らない。

だが、人のキャリアに影響する判断を下す以上、評価者にも評価責任がある。

その評価者の下で働いた人材が、どのように評価され、成長し、異動後にどのような成果を出したか。特定の評価者の下でだけ複数人の評価が下がっていないか。過去に指摘した強みや課題は、その後の環境でも再現されたか。

評価者が下した評価は、出しっぱなしにされるのではなく、後から妥当性を検証されるべきである。

そしてその結果は、評価者本人の評価へ反映されなければならない。

下位者の観測は、未成熟だから無効なのか

360度評価など、下位者から上位者を評価する制度も存在する。

しかし多くの場合、その結果は本人への参考情報や能力開発の材料に留まり、昇格や報酬へ強く反映される正式な評価にはなりにくい。

その背景には、下位職は経験や視座が不足しており、上位職を適切に評価できないという前提があるのかもしれない。

たしかに下位職には、経営判断のすべてを理解できない部分がある。

しかし、それと日常のマネジメントを評価できないことは同じではない。

指示が明確だったか。意思決定が速かったか。不要な手戻りが発生していなかったか。誰に負荷が集中していたか。チームが自律的に動いていたのか、過剰な緊張や長時間労働によって動かされていたのか。

これらは、上位者のさらに上位にいる人よりも、日常的にそのマネジメントを受けている下位者の方がよく知っている。

下位者は上司のすべてを評価できなくても、下位者にしか観測できない領域を持っている。

その情報を、未成熟であるという理由だけで弱く扱えば、マネジメントの実態を最もよく知る人の観測が制度から排除される。

なぜ組織・人材マネジメントは、おざなりにされるのか

企業は財務KPIを細かく管理する。

一方で、その財務成果を生み出すための組織運営や人材開発については、能力開発の機会も評価の機会も驚くほど少ない。

組織や人材の状態は、効果が表れるまでに時間がかかり、成果との因果関係も見えにくい。反実仮想を置くことも難しく、単一の数字で比較することもできない。

だから企業は、測定しやすい結果だけを管理し、その間にあるマネジメントをブラックボックスとして扱ってきた。

しかし、これだけ経済や経営管理の仕組みが発展した中で、数字に直接表れるものしか評価できないとするなら、それは測定技術の限界だけではなく、思考を止めた怠慢でもある。

人的資本が重要だと言いながら、その運用責任を評価しない。

人材育成が重要だと言いながら、それを担う管理職の能力開発を十分に行わない。

人材不足を問題視しながら、限られた人材の能力を引き出せない管理職を、短期成果だけで評価する。

この矛盾を放置したままでは、人的資本経営という言葉だけが空洞化していく。

AIと人材不足の時代に、管理職の責任はさらに重くなる

これからAIが普及し、人間の役割は見直されていく。

定型作業や情報処理の一部がAIへ移るほど、人間には判断、創造、協働、関係構築、曖昧な状況への対応といった役割が残る。

これらの能力は、単純な命令や管理強化では引き出しにくい。

適切な裁量、心理的安全性、役割設計、学習機会、信頼関係といったマネジメントの質が、これまで以上に重要になる。

同時に、少子高齢化と人材不足も進む。

人材を大量に採用し、合わなければ入れ替えるという運用は成立しにくくなる。限られた人材を集め、育て、組み合わせ、その能力を最大限に引き出すこと自体が、企業の競争力になる。

人材不足の時代に本当に恐れるべきなのは、採用できないことだけではない。

採用した人材の価値を、経営が十分に引き出せないことである。

管理職を人的資本の管理・運用責任者として定義し、その成果を評価できない企業は、人的資本経営をしているのではない。

人的資本の消費量を管理しているだけなのかもしれない。

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管理職の役割を、成果だけでなく心理的安全性のインフラづくりから見たい方はこちら。

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