絵画と広告のあいだに生きた人 ── 特別展『山崎隆夫 その行路』(芦屋市立美術博物館)
いまや誰もが、ブランドとアーティストの境界が溶け合った広告を目にし、そのプロダクトを手にしている。
街を歩けば、それはもう特別なことじゃなく、日常のカルチャーとしてそこにある。
モダンデザインやアートの歴史を振り返れば、芸術と広告はたびたび交差してきた。
19世紀末のパリでは、ロートレックが夜のキャバレーを描き、ミュシャの華やかなポスターが街を彩った。20世紀に入れば、カッサンドルが鉄道や蒸気船のポスターに大胆な構図を持ち込み、時代のスピード感そのものを象徴した。
いずれも芸術作品として鑑賞されながら、人々の暮らしに静かに溶け込んでいった。
その系譜を日本にたどるなら──山崎隆夫(1905–1991)の存在を、やっぱり外せない。
芸術と広告の“二重奏”を生きた人
その旋律は、戦後の日本に新しい風を吹き込んだ。
山崎は、戦前に小出楢重に学んだ正統派の洋画家だった。
けれど戦後、三和銀行の広報に抜擢され、人生はまるで“二重奏”を奏でるように変わっていった。
広告が社会で新しい役割を担いはじめた時代。
山崎は芸術仲間の写真やイラストを積極的に起用し、宣伝を“文化の香り”をまとうビジュアルへと変えていった
その後、寿屋(現サントリー)に宣伝部長として招かれる。
そこで彼は、コピーライターの開高健や山口瞳、イラストレーターの柳原良平ら──今となっては夢のようなチームを率いた。
合言葉は「ほん機嫌よう遊びなはれ」。
彼らが手がけたのは、戦後間もない日本に登場したウイスキー「トリス」。
街にはキャラクター『アンクルトリス』が踊り出し、PR誌『洋酒天国』が配られる。そこに描かれていたのは、単なる商品宣伝ではなく、「モダンな暮らし」のイメージそのもの。
ウイスキーを飲むことが、暮らしの新しいスタイルになる──。
その仕掛けを動かしていたのは、絵筆を握る画家でもあった山崎だった。
そして1970年、大阪万博。
サントリー館の総合プロデューサーとなり、建築・映像・展示をまとめあげ、企業広告を超えた「文化のショーケース」をつくり出す。
まさに“異能の人”。
広告=文化、という思想が残したもの
山崎は、情熱あふれる青年時代に戦争を経験し、戦後から高度経済成長期は広告の仕事をしながら絵を描き続けた。ファインアートに専念できたのは、ようやく70歳を迎える頃だったという。
アートと広告を行き来することは、いまや特別なことじゃない。
今なら、広告とアートの境界なんて誰も気にしていない。
けれど1950年代から70年代にかけて、それを“文化の創造”としてやり遂げた山崎を思うと、その先見性と大胆さに驚かされる。
……「ほん機嫌よう遊びなはれ」。
その言葉どおり、時代を軽やかに遊んでみせた彼の姿勢は、いま見てもやっぱり格好いい。
もしこの秋、阪神間を訪れるなら──。会場を歩くその瞬間、広告とアートが手を取り合っていた時代の空気を、ちょっと肌で感じてみてほしい。
🖼展覧会情報
特別展「山崎隆夫 その行路 ―ある画家/広告制作者の独白」
会場:芦屋市立美術博物館
会期:2025年9月20日(土)~11月16日(日)
休館日:月曜(祝日の場合は翌日休館)
開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
公式サイト:https://ashiya-museum.jp/
※会場で紹介されている作品の一部は、芦屋市立美術博物館プレスリリース(PDF) からもご覧いただけます。
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