AI時代、ライター・編集者の価値はどこに残るのか〜個性・著作性・継続性が生む「人間が書く意義」とは
こんにちは、水無瀬あずさです。早いものでもう月末が近づいてきました。7月の振り返りを書いたの、ついこの間な気がするんだけど・・・?
さて今回のnoteは、個人マガジン「AIとともに歩く未来」の不定期企画です。
Xでたまたま見つけたnote記事で「Anthropicが編集者を募集しているらしい」という話から、AI時代に求められるコンテンツやライター・編集者像ってなんなんだろう?ということについて、改めて考えたことをまとめます。
AIが出始めた段階から、「多くの仕事はAIによって駆逐されるだろう」と言われてきましたよね。そんな中で、駆逐される職業No.1と言われていたのが、ライター・編集者という仕事でした。
でも実際のところ、仕事は無くなっていない。ただし明らかに減っている。質も変わっている。のほほんと現状維持を貫いていたら、いずれ袋小路に陥ることは明確だと感じています。
ではライター・編集者は、AI時代にどう在るべきなのか、どういう考え方を持つべきなのか。これは答えの出ない永遠の問いと言えるでしょう。だからライターや編集者一人ひとりが自分なりの答えを探し、そこに向けて一歩踏み出す必要があると考えます。
この記事が、AI時代に迷う同業者の皆さんにとって、考えるきっかけの一つになってくれたら嬉しいです。最後までよろしくお付き合いください!
AI企業が編集者を募集し始めたらしい
Xを見ていたら、たまたまあるnote記事が目に入りました。「文化編集者」最所あさみさんの記事で、Claudeで知られるAI企業・Anthropicが高給で編集者を雇おうとしている、という話題から始まる記事。
私がこれを読んだ時に最初に感じたのは、「AIを作っている企業が、何でわざわざ編集者やライターを必要としているんだろう?それこそAIに書かせれば一瞬なのに」ということでした。だって生成AIが出始めたころ、いの一番に「AIに代替される」と言われた職業こそ、私たちライターだったのだから。
でも考えてみればこれ、AI時代における「書く仕事」の本質が表れているのかもしれないと感じました。
AIが日常で当たり前のように使われるようになった今、改めて、コンテンツにおける「人間だからこそ醸成できる価値」に気づいたという方も多いんじゃないでしょうか。私もそう。社会は生産性と効率だけでは語れない。「AIを使っても、私たちの生活が必ずしも“豊か”になるわけじゃないんだ」という現実に、まさに今直面したといえるでしょう。
文章も同じ。最所さんの記事で私が特に印象に残ったのが、「AIが書いたと分かるとなぜ人はがっかりするのか」という考察でした。その理由は、その文章から「あなたのために手間をかける必要はない」と言われているように感じるから。そこに“愛情”を見いだせないからではないか、というのです。
AIによってコンテンツをいくらでも量産できるようになれば、人の注意を引くだけの「アテンション」は、これまで以上に奪い合いになる。だからこそAI企業は、人間の編集者によるストーリーテリングを通じて、単なる注目ではなく「アタッチメント」、すなわち愛情や親しみを生み出そうとしているのではないか――最所さんの考察は、非常に示唆に富んだものであり、興味深く拝見しました。
AI時代に「ライターであること」は、圧倒的“弱者”だと思っていた
実は私、AIが世の中に広がっていくなかで、「ライターという職業は、AI時代においては圧倒的な“弱者”だ」と感じていました。
もちろん好きでライターという仕事を選択し、5年も続けている立場ではあります。でもAIを前にしたとき、ライターは文章を作る速度も処理できる情報量も、圧倒的に敵わない。だからAIに真っ先に仕事を奪われる側だとは知りつつ、わずかばかりのスキマに必死にしがみついていたつもりでした。虚勢もね、大事なんよ!!
ところがどうですか。そのAIを作っている企業が、「AIに仕事を奪われる」と言われていた編集者やライターを必要としているなんて!すごい逆転現象が起きていると思いませんか!
AIによって価値を失うのは、案外「ライター」という職業そのものではないのかもしれない。
何を語るのかを自ら選び、自分の経験や思想を言語化し、人の心に届く物語へ仕立てる仕事は、むしろAI時代にこそ重要になっていくのかもしれません。AI時代にライターでありつづけるためには、単に情報を寄せ集めてまとめるだけじゃなくて、総合的に判断して付加価値のある記事を提供できる、そういう方向へシフトチェンジしていく必要があると感じました。
AI企業が求める編集者・ライター像を掘り下げてみる
AnthropicをはじめとするAI企業がどのような編集者・ライターを求めているのか、その部分をもう少し掘り下げてみます。
Anthropicの求人は現在すでに募集を終了しているようですが、保存されている求人情報にある詳しい業務内容がこちら。

それによると、主な仕事は「Anthropic公式サイトに掲載するニュースや発表、研究記事の編集」とのこと。文章の明瞭さや正確性、文体の一貫性を保つだけでなく、編集スタイルガイドの策定・運用、複雑な技術情報の翻訳、Web公開までの工程管理、Claudeを活用した編集ワークフローの整備なども含まれています。
研究者や技術者が持つ専門知識を理解し、一般の読者にも伝わる言葉へ変換する、さらにAnthropicという企業社として社会に向けて発信していくというお仕事なので、なかなかに高難易度ですよ。高収入も頷けます。つまり、企業としての言葉に責任を持てる上級インハウスエディターの募集ってことですね。
ほかにも、ChatGPTを開発するOpenAIも現在求人募集をしているんだとか。役職名は「Technical Community Lead, Pro」。こちらは編集者という名称ではないものの、ユーザーへの取材、活用事例やプロフィールの制作、ニュースレターやSubstackへの寄稿など、編集やストーリーテリングに関わる業務が含まれているようです。

こちらもリサーチから技術理解、情報発信までを横断するような、一部の超有能な人にしか務まらないであろうめっちゃハイレベルなお仕事でした。
こうして見てみると、AI企業が必要としているのは別に「文章を書ける人」でも「AIを使える人」でもない事がわかります。
欲しているのはズバリ、複数の専門性を組み合わせた「ハイブリッド」な人材です。何が注目に値するかを見極める判断力、未知の使い方を探る好奇心、自律的に仕事を組み立てる力、分野や抽象度をまたいで考える幅広さ、そして情報のノイズとシグナルを区別する厳密さまで持ち合わせた人。さすがは世界中から優秀な人材を集めるAI企業、求められるスペックも桁違いであります。
AIは情報を整理して文章に変換してくれるけど、じゃあ情報のどの部分に注目し、異なる情報をどう結びつけ、どのような立場から語るのかを制御するためには、やっぱり人間の判断が必要です。AIを開発する企業とてそれは同じで、技術力だけでなく判断力とか批判的思考、組織としての責任、そういうのをまるっと持った人材を求めているってことですね。
ふと自らを省みるに、規模は全然違うけど、私はエンジニア兼ライターとして働いています。コードを書いたり、Webサイトやツールを作ったり、企業への取材や技術記事を書いたり、あとSEO記事やらゲームレビュー、教育に関するコラムなど、さまざまな分野の文章を書いてきました。
で、AI企業が求めている人物像を見ると、この「いろいろな領域にまたがっていること」って、実はAI時代にこそ強みになるかも!と思えてきたわけです。これまで別々の仕事として積み上げてきた経験が、今だからこそ少しずつ一つの能力としてつながり始めている気がしたんですよね。いい流れ。
この能力をさらにさらに磨いていけば、もしかしたらいつかAI企業で、編集や情報発信の仕事をしている未来だってある・・・かも!?
文章制作は何をもって「自分が書いた」と言えるのか
最近、avex会長・松浦勝人さんのnoteが話題になりました。Xでもかなり取り上げられていたので、読んだという方も多いのではないでしょうか。
私もたまたま見かけてこの記事を読み、「なるほど大物プロデューサーともなれば、人付き合いについてもいろいろと考えることも多いもんだよなあ」と考えさせられました。
ところが後日になって、松浦氏が「これらのnote記事はほぼAIで作ったものだ」と明かしたものだからさあ大変。Xでは驚きや称賛の声が上がる一方、「本人の言葉だと思って読んでいたのに!」「だまされた!」みたいに怒っている人を見かけました。
ただ、松浦氏によれば、AIには自身の60年分のデータを与えており、記事に書かれている内容はすべて実際にあった話だといいます。
それでも、文章を組み立てたのがAIだった場合、これは「松浦氏の文章ではない」のでしょうか。執筆の一部をAIが担っていたとしても、インプットの部分は本人のものであり、さらにAIによるアウトプットを本人が精査したうえで記事を出したのであれば、それは立派な「本人の文章」なんじゃないのかな、と私は思いました。
そもそも私たちは、何を持って「本人が文章を書いている」と判断しているんでしょうか。
「文章を書く」を分解すると、三層に分けられる
この問題を考えるためには、「文章を書く」という行為に対して、三層に分けて考える必要があると思います。
三層とはすなわち、①材料②制作③責任の3つ。
まず①材料。そもそも文章の核となる経験、知識、感情、思想、問題意識のようなものです。松浦氏のnoteでいえば、60年間に起きた出来事や、そのなかで培われた価値観がこれに当たります。松浦氏本人にしか経験しえない体験そのものであり、ここはAIには絶対に代替できない部分ですね。
②制作は、集めた材料を取捨選択し、構成を考え、具体的な言葉や表現へ落とし込む工程です。松浦氏の件でいうと、ここの大部分を生成AIに任せていたことがうかがえます。AIが登場するまでは、構成案の作成、下書き、言い換え、推敲などの工程も執筆者本人が担っていましたが、今は松浦氏のように大部分をAIに任せている方、何ならすべて自動化しているなんて方もいるかもしれません。
③責任は、出来上がった文章の内容を確認し、必要なら訂正し、自分の名前で公開する工程です。さらに誤りや批判があったときには、文章を公表した者としての責任を一手に引き受けることが求められます。AIが出力する内容は必ずしも正しいものばかりではないので、「何を掲載し、何を削り、どこまでを自分の発言とするのか」を判断することは何より重要です。
従来であれば、①材料②制作③責任はすべて執筆者に集約されていることが多かったため、私たちは文章を読むとき、「執筆者本人が経験し、本人が言葉を選び、本人が内容を保証しているものだ」と考えがちだと思います。
この前提が、AIの登場によって分業され始めたわけです。最近発表される文章の中には、材料を人間が提供し、制作はAIに任せ、最後に人間が責任を引き受ける、松浦氏の記事のような流れで成り立っているものも多いと考えられます。
三層すべてを人間が担うことが「文章の主体」ではない
では、制作の一部、あるいは大部分をAIに任せた時点で、その文章は「自分の文章」ではなくなるんでしょうか。私は、そう単純には割り切れないと思うんですよね。
たとえば政治家や経営者のスピーチには、以前からスピーチライターが関わってきたわけだし、書籍にも編集者やブックライターが入り、本人への取材をもとに文章を組み立てることもあります。本人が文章を書かなかったとしても、語られている考えが本人のものであり、本人が内容を確認して公に発言すれば、一般にはその人の言葉として受け止められてきました。
逆に、本人が書いたものであったとしても、他人の情報をつなぎ合わせただけのもの、事実確認をせず公開されたものは、「本人が書いた文章」とは言えないでしょう。
つまり、「誰が文章を書いたか」だけで、文章の主体は決まらない。AIでも同じで、「AIを使ったかどうか」だけで文章の価値を判断するのではなく、誰の考え方が表現されたもので、誰がその内容に責任を持っているのか、三層それぞれの中身を見る必要があります。
ただ、松浦氏の例に関しては、読者からすると「これまであまり語られることのなかったエピソードだから、本人が時間をかけて直接紡いだ文章に違いない」という期待が多分にあっただろうと想像できます。
となると、松浦氏が後になって「実はAIで作ってました、テヘ」とネタバレすること自体は全然問題ないとしても、読者の中には傷つく人がいるかもしれない、くらいのことは考えるべきだったのかもしれません。「ガッカリした」の本質は、むしろ信頼を裏切られたことへの落胆だったのだと思います。
AI時代のライターに残された価値――個性・著者性・継続性
私はかねてから「AI時代のライターの生存戦略!」とかいって、どんなスキルを持っていればライターは生き残れるかみたいなことを記事にしたためてきました。
その根本的な考え方は変わっていないのですが、最近になって、AI時代のライターに残された「人間としての価値」は3つあると考えるようになりました。それが、「個性」「著者性」「継続性」です。
「個性」は、そのまんま個性。パーソナリティ。いびつでも、人間臭い文章を書ける力。結局、最終的に人を惹きつけるのって情熱だと思うんですよね。そうパッション!「これが好き!」「これだけは譲れない!」という強い欲望こそが、私たち人間を駆り立てる唯一無二の力なのである!!
AIみたいに整った文章を書くわけじゃないけど、失敗したときの悔しさとか、どうしても許せなかったこととか、理由を説明しきれないくらい大好きなものとか、そういう気持ちを爆発させれば、その言葉はきっと人の「心に」届く。理屈じゃなくて、ココロが受け取るものだから。
だから私も、この内に秘めたる思いをいかに爆発させれば伝わるかを最近いろいろと考えています。その第一弾の記事こそ、こちら!ファミ通に掲載された、『ペルソナ5X』の記事です。
友だちにファミ通の記事を読んでもらったら、「とりあえず水無瀬さんがそのゲームをめっちゃ好きなことは伝わった」と言われました。うん、それでいい!それがいいのだ!!パッションだから!!
つづいて「著者性」。Webコンテンツを読んでいて、「このライターさんの記事、面白いから他のも読みたい」ってなること、ありますよね。それって、もちろん文章が素晴らしいというのはあるとしても、そのライターの持つ独自の視点が面白いとか、考え方に共感したからだと思うんです。
これこそが、著者性。文章の背後に透けて見える、著者のキャラクター性。そういう行間から透けて見える書き手の意思や思いが、AI時代こそ大事だと考えます。なぜなら、AIには一本筋の通った意思や信念がないから。
文章が誰にでも作れるようになったからこそ、「何が書かれているか」だけでなく、「誰が、どのような経験をもとに書いたのか」の価値は高まっていくんじゃないでしょうか。
最後が「継続性」。ライターの個性や著者性は、たとえば一つの記事を書いただけで完成するものではありません。同じテーマについて考え続け、書き続けることで、過去には孤立して見えた出来事が少しずつ繋がっていくのです。点と点をつないで線にするみたいなイメージ。筋を通して長く続けることは、それだけで大きな価値があると考えます。
ライターとして信念を持って記事を書き続けることは、過去の自分が残した点を拾い直し、新しい意味を与えていく。そしてその蓄積が、ほかの誰にも真似できない視点を作ってくれる。だから今はとにかく無心に続けようともがき続けている、今日このごろの私です。
結び|ライターであることはAI時代の武器になるのかも!
AIが当たり前になって、ライターという仕事は生存戦略における武器ではなくなったと感じていました。でもAI企業がライターを募集しているという話を受けて、「書くこと」の価値が下がったとしてもライター・編集者の価値が下がったわけではないんだなということが分かり、パッと目の前が明るく広がったような気がしました。
もちろん商業ライターの置かれている立場はなかなか厳しく、経験があってもなかなか稼げない時代になっていることは確かです。明らかにAIの影響によって。
でも、「だからライターはもうダメだ」ともなっていなくて、戦略をしっかり練ったうえで、切り開いていく方法はまだいくつかあるとも思うんですよね。ライターはまだイケる、たぶん。
ただ、その成功パターンが見極められていないので、これからも続く執筆の中で少しずつ視野を広げ、AI時代にも選ばれるライターとして根を張っていくことで、AI時代の真の勝ちパターンは何かを見極めていきたいと思います。そしてその知見を、noteで少しずつでも共有していけたらいいなっていうのが、今のところの私の目標ですかね。
・・・といったところで。ライター仲間の皆さま、引き続き頑張っていきましょう!今回はこれにて!
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