「佐々木建仁のゲェム放浪記」 Vol.03 ─ 「パシフィックコーストラリー」開発前に強行したアメリカ取材旅行 ─
2025年に30周年を迎えた「セガラリー・チャンピオンシップ」。ナムコで「リッジレーサー(1993年)」を手がけた後、セガに移籍した佐々木建仁氏が「セガラリー」を生み出した経緯とその後については、こちらのインタビュー記事でお届けしていますが、
当時の詳細な裏話については、佐々木建仁氏自らの回顧録コラム「佐々木建仁のゲェム放浪記」で継続的に連載をしています。
▼30年前に「セガラリー」の最初の企画段階に社内プレゼンで使われた本邦初公開の画面も掲載している「第1回」はこちらから!
▼初公開の当時の資料とともに初期企画の変遷を振り返る第2回はこちら!
今回は開発が本格化する前に急遽強行されたアメリカ現地への取材旅行とそこで得られた素材の数々を当時の写真とともにお届けします。ぜひご覧ください。
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新たなメンバーといきなりの展開に
プロジェクトの本格始動後、ゲームの構成やシーケンスを設計したり……企画的な仕事がどんどん増えてきました。
併行してMODEL2の絵作りのデータ試作や開発環境の構築なども続けていて、私は相変わらず多忙な日々を過ごしていました。

このタイミングでビジュアル担当デザイナーとしてAM3研(第3AM研究開発部)から山縣(誠一)さんと新井(健二)さんがプロジェクトに配属されました(※新井さんは車やモータースポーツに詳しいデザイナーということでこのプロジェクトに配属されました。ちなみに「セガラリー」の後、プロデューサーとして「頭文字D」シリーズを筆頭にたくさんのレースゲームを手掛けています)。
この頃は、水口(哲也)プロデューサーが室長をしていた情感デザイン研究室とAM3研は別部署という雰囲気が漂っていて、2つの部署の混合プロジェクトのような雰囲気だったと思います。私もまだ入社してそんなに時間が経っていませんでしたし、当時のセガは別部署との交流があまりない会社でしたのでまだスタッフのみんながよそよそしくて、若干ギクシャクしている印象でした。
そんな状態のある日、プロジェクトのみんなでコース風景のイメージについての打ち合わせをしていたのですが……
あがってきたコンセプトビジュアル案を見た時に違和感を感じました。
アメリカが舞台のゲームのはずなのに日本の海岸のように松林があり、ウェストコーストの乾燥した空気感も感じられず、どう見ても「日本の海」のイメージだったのです。
そのビジュアル案を見た水口プロデューサーが突然
「これは現地へ取材に行ったほうがいいな!」
と言い出しました。
まさかこのタイミングで取材!?
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