夜ご飯を残されるとつらい|整えて見守る母になる
夜ご飯を残されるとつらいのは、
栄養が足りないから、子どもの体格が小さめだからではありません。
突き詰めて考えると、
私の責任が果たせなかった気がするからです。
どうも、30代ワーママのbeko(べこ)です。
夫、小4長男、年長次男と暮らしています。
手抜きに罪悪感はないはずでした
ミールキット。
惣菜。
冷食。
ホットクックの味噌汁。
効率は設計できています。
夜は回っています。
以前の私なら、「ちゃんと作らなきゃ」に縛られていたかもしれません。
でも今は違います。
時間も体力も有限。
手抜きではなく、効率化、最適化。
そこに迷いも罪悪感もありません。
それでも。
味噌汁やおかずの野菜を残されたとき
お椀の底に沈んだにんじん。
豆腐だけはきれいに食べられている。
おかずのピーマンも弾かれて残った。
今日も食べさせられなかった。
少しだけ、胸がギュッとします。
栄養バランスが崩れるから不安、というよりも。
「ちゃんとさせられなかった」感覚。
私はいつの間にか作るだけではなく、
きちんと食べさせる役割が負担になっていました。
作る人と食べる人
作るのは大人の責任です。
食卓を整えること。
栄養を考えること。
選択肢を出すこと。
でも、口に運ぶのは誰でしょう。
飲み込むのは誰でしょう。
体をつくるのは誰でしょう。
私だけの仕事でしょうか。
改めて問い直してみると、
少しだけ境界線が見えてきました。
役割を分けることにしました
・作るのは私
・食べるものを選んでいくのは本人
・体をつくるのも本人
ここで線を引きます。
冷たいのではありません。
責任を整理しただけです。
野菜は出します。
学校や保育園でも食育はあるし、
家庭でも必要性はしっかり伝えます。
でも、強制はしません。
信じて任せる、という選択です。
評価軸を変える
これまでの評価軸は、
「全部食べたか」でした。
だから、残されると失敗でした。
どこかで傷ついている自分もいました。
でも評価軸を変えました。
・19:30にお腹いっぱいになれるように提供したか
・できる限り野菜とタンパク質はバランスよく出したか
・私は怒鳴らなかったか
私がコントロールできることだけを、評価する。
すると、不思議と夜の空気がやわらぎます。
完璧な栄養より、続く夜
一食で人生は決まりません。
でも、毎晩の空気は積み重なります。
私はもう離乳食の時のように
口に運んで食べさせる人ではありません。
子どもたちはもう小4と年長。
そろそろ私の仕事は、整えて見守る人です。
にんじんが残る夜があってもいい。
長い時間をかけて、
自分で選び、自分で体をつくれる人になればいい。
そう思えたとき、
少しだけ、夜ご飯が軽くなりました。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
子育ては、全部を背負わなくていいのかもしれません。
整えることと、背負うことは違う。
その線引きを、私は少しずつ練習しています。
夜ご飯も感情ではなく、設計で考えてみる。
完璧じゃないけれど、続く毎日をつくるために。
そんな試行錯誤を、これからも書いていきます。
よければフォローして、一緒に考えてもらえたらうれしいです。

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