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“未知の思想”を遥かに求めて──『世界哲学史1(9〜10章)』読書感想文

『世界哲学史』の一巻、ようやく読み切りました!!
9章はギリシア・ローマの「間」のマイナーな時代、ヘレニズム期の哲学。
10章はインドとギリシアの思想交流について。

知識のない人間が絶賛お勉強中というステータスなので、この記事の内容は(わたしの主観を含んだ)本の要約がメインです。


第9章 ヘレニズムの哲学(荻原理氏)

ヘレニズム期はギリシア古典期とローマ期の間の前三二二年頃〜前三〇年頃を指す。
※参考:アリストテレスは前三二二年没、アレクサンドロス大王は前三二三年没。

著名な哲学者がおらずぱっとしない、文献の残存数が少ない、神や魂まで物体として捉える哲学はキリスト教的視点から見て傲慢の極みでしかない──このようなネガティブな印象を持たれがちだというこの時代の哲学の代表学派として、本章では主にストア派、エピクロス派が取り上げられる。
この二つの学派が「世界において何であったのか」について、内部の実像と外部の視点を織り交ぜながら語ることを、『世界哲学史』におけるヘレニズムの哲学と著者は位置付ける。

ストア派

ストア派の存在論は物体主義である。
自立的に存在するものは全て物体であり、物体である世界の中に、物体であるロゴスがまじりあい、いきわたっている。生物とは、身体という鈍重な物体の中に、魂という軽やかな物体がいきわたったものである。

ストア派によれば、世界はロゴス(理法・理性)によって支配されているものだという。
この世を司るという意味でロゴスは神や自然とも言い換えられるが、人間のふるまいに感情や思念や行動で反応する神ではなく、世界の展開プログラムのような立ち位置。

人間もまたその世界の一端であるが、それ自身がロゴスをもつことによって特別な位置を占める。自らの理性をよい状態におきこれをよく働かせることは、ロゴスによる世界支配に積極的に参加することを意味し、そのように生きることが人生の目的・幸福である。

(p.246の要約)

ストア派が真の意味で善いとするのはこのロゴスと合致して生きる徳だけ。真に悪いのは悪徳だけである。それ以外のもの(健康・病気、財産・貧困、美貌・醜さなど)は、価値の区別はあるが善くも悪くもない。
情念から自由な状態が理想であり、幸福である。

エピクロス派

エピクロス派では宇宙全体の中に世界と呼ばれるまとまりが多数あるとされる。宇宙は無限大であり、その構成要素は無限個の原子と空虚である。
宇宙は永遠であり、原子は不生不滅である。原子は運動する。原子群をつくり、それがこの世界で人間が目にする物体となる(密度が違うので見え方が異なる)。原子の運動は基本的に垂直落下だが、例外を持たせている。魂を構成する原子は、意志によって動かすことができる。

エピクロスによれば、善いとは、快いか、快を生み出しうること、悪いとは、苦痛であるか、苦を生み出しうることである。
快は「身体の快」と「魂の快」、苦を取り除く過程で生じる「動的快」と取り除くべき苦がそもそもない「静的快」に区別される。

幸福とは、アタラクシアー(無動揺)、すなわち、心身が苦痛でかき見出されていない静的快の状態である。

(p.260)

そして哲学はこのアタラクシアーを実現するための手段だとする。

  • 神罰への恐れ → 哲学による原子論的自然学で説明

  • 死への恐れ → 下記の議論で説明

人間をアタラクシアーから遠ざけている要因は主に上記の二つで、人が何かを恐れるのが理にかなっているのは、それが害、つまり苦痛をもたらす場合に限られる。だが人が死ぬことは、人になんの害ももたらさない。生きている間、死は害をもたらさない。死はまだ来ていないからだ。死んでからも死は害をもたらさない。その人はもういないからだ。

9章の感想

人間の根源的な問い(苦悩)の解決手段として今の科学の原子論に近い形で論理的に世界を説明する方法をとっているところが興味深いエピクロス派。

淡々と二つ(厳密に言えば懐疑派もちらっと説明されるので三つ)の学派の世界の見方が説明されて終わる章だった。
ここに取り上げられているのは各派の主張や思想の一部に過ぎないだろうが、ストア派の「よく生きるとは何か」、エピクロス派の「人はなぜ恐れるのか」といった命題とそれぞれ解は現代に通じるものがある。というか、現代でも解決策は同じ。

いずれにしても世界を正しく(この「正しく」という言葉も他者に正確に伝えるにはおそらく一万字くらいの注釈がいると思うが)知ることが、人間としての一生の価値を底上げする。それは古代にも現代にも通底する考え方なのだろう。

この世には絶対的真理が存在し、そこに行きつければおそらく人間は無動揺状態になれる。けれど、人間の肉体・視点ではそれらをすべて見通せないし説明できない。人間は真理を説明する術をずっと探し続けているのだなあと思う。

第10章 ギリシアとインドの出会いと交流(金澤修氏)

ギリシアとインドの思想の交流。その合流地点を還りみるところから本章は始まる。
二つの文化の出会いは、アレクサンドロス大王の遠征に始まる。
大王の死後も中間地点、バクトリア(アフガニスタン周辺)やペルシアの盛衰に影響されながら、二つの文化の接触、交流は続く。

ピュロンとインド思想

アレクサンドロス大王の東征には、懐疑主義の祖であるギリシア哲学者ピュロンも同行していた。ピュロン(懐疑派)の思想の特徴である「把握不可能性」「判断保留」にインド哲学の影響は見られるのだろうか、というのが本章の一つ目の切り口である。
以下、三つのインド哲学についての著者の考察まとめ。

  • サンジャヤの懐疑主義
    仏教が起こった時代の反権威主義的思想のひとつ、サンジャヤが率いる学派の思想。「日常を離れた問題に対し自身の立場を保留する」というインドにおける懐疑主義的な態度が垣間見えるが、ピュロンへの影響を立証する資料は存在しない。

  • 仏教
    上記のような「日常を離れた問題に対し自身の立場を保留する」態度は仏教において【無記】という。『マッジマ・ニカーヤ』において「世界は永遠か否か、有限か無限か、生命と身体は同じか異なるか」などの疑問に対してブッダは答えない。

  • ジャイナ教
    始祖ニガンタ・ナータプッタは議論において一義的な断定を避ける主義であったという面で思想的には類似しているが、中心的な教義の「不殺生」の対象が生物であり、それを無生物と区別する規定が存在する点は、懐疑的な立場とは相反する。

いずれも「直接の影響を強く受けている」とは言い難いという結論である。
そして、ピュロンがインドの影響を受けていると認めうるのは、むしろその行動──隠棲的生活態度にあるという。孤独のうちに哲学的生を営むことは、対話を重んじたソクラテスやその学風を引き継ぐプラトン、アリストテレスなどからは考えられないことだからだ。

二つの書にみるギリシア思想とインド思想の交流

二つ目の切り口として取り上げられるのは、『アショーカ王碑文』『ミリンダ王の問い』である。

まず『アショーカ王(※1)碑文』について。

※1アショーカ王(在位:紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)
マウリヤ朝三代目の王。軍事活動に積極的で、隣国カリンガとの戦争を遂行したが、結果的に多くの死者を出し、後悔した。それ以降、仏教への信仰を強くし、軍事的統治を放棄し、「仏法」に基づいた統治へと政策を転換する。

本文の紹介より

アショーカ王は、戦争への反省や自らが進める統治理念を各地(インド、ネパール、アフガニスタン、パキスタン)に碑文として残した。
この碑文の中には、ギリシア語で書かれたものも見つかっている。そしてその文章には、アショーカ王の仏教理念に寄り添いながらも、ギリシア哲学に通暁している翻訳者の姿が見てとれるという。
具体的には、ギリシア文脈でアショーカ王の有徳者ぶりを説明しようとする工夫が見られたり、輪廻転生の思想理解とそれをギリシアの地で理解しやすくするために思想の近しいピュタゴラス派の語句を用いている、など。

次に、『ミリンダ王(※2)の問い』について。

※2ミリンダ王(在位:紀元前150年頃 - 紀元前130年頃)
バクトリア周辺のギリシア王の一人。自身の疑問を解決すべく、インドを訪れ、仏教僧ナーガセーナと対話した。

本文の紹介より

この作品は、有我説を前提とするミリンダ王と無我説と輪廻説を思想の主とするナーガセーナの対話篇である。双方の立場が異なるため、ミリンダ王の問いの本質とナーガセーナの解答はズレが生じているという。しかしギリシア思想とインド(輪廻)思想をぶつけ合うこの対話篇は、双方の思想の一致点と不一致点を明らかにする貴重な資料である。

10章の感想

半ば伝説のように耳に入る遥か遠い地域の思想(古代におけるその距離は、現代における距離とは全く意識の違うディスタンスだろう)。
文字通り、それを求めるのは人生を賭しての旅になる時代、古代を生きる哲学者たちの知を求める気持ちの強さに畏敬の念を感じざるを得ない。

ロマンという一言だけでは片付けられない、しかし人の心を熱くするその意気は、数千年たった今も消えずに文字として残っている。



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