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モネはバナナをどう食べたのか?当時の最先端フード「バナナ」とモネのデザート|再現レシピ

クロード・モネと料理ノート

印象派の画家クロード・モネは、ノルマンディーの小さな村ジヴェルニーで庭造りと絵画制作に没頭する一方で、パリの有名レストランに足繫く通い、自宅での食事にも強いこだわりを持っていました。美食家としての一面を持っていたことも知られています。ジヴェルニーの自宅には腕の良い料理人がおり、家族と、時には友人や知人を招いて、豊かな食卓を囲んでいました。

モネが愛した料理の数々は、長年にわたり妻アリスによって複数のノートに記録されていました。それらのノートは、アリスの長女マルト、そしてその子孫へと受け継がれ、1989年に編纂され書籍として出版されています。

今回はモネの料理ノートに収められたレシピから、バナナを使った少し珍しいデザート「Daube de bananes(ドーブ・ド・バナーヌ/バナナの赤ワイン煮)」を実際に再現してみました。

記事の前半では、当時のフランスにおけるバナナ事情といった時代背景を、後半では今回作ったドーブ・ド・バナーヌのレシピをご紹介します。

レシピのみを知りたい方は、目次より「現代版ドーブ・ド・バナーヌのレシピ」をご覧ください。


モネの食卓とデザート

モネの料理ノートを元にした書籍には、180点以上のレシピが掲載されていますが、その中でもデザートや菓子類の割合が高いのが特徴の一つです。書籍の著者であり、アリスの曾孫の妻でもあるクレア・ジョイスによると、モネの家ではメインの食事である昼食のデザートは、毎日必ず異なるものが用意されていたといいます。さらに午後にはティータイムの習慣があり、昼食後はお茶と共に菓子を楽しんでいました。

レシピノートには「デザート(Dessert)」とは別に「お茶のために(Pour le thé)」という項目が設けられており、お茶菓子だけがまとめられています。こうしたことからも、モネが甘いものを好んでいた様子がうかがえます。

モネのデザートには果物を使ったものが多く見られますが、今回注目した「バナナ」のデザートは次の3種類です。

Bananes au gratin (バナナグラタン)
Daube de bananes (ドーブ・ド・バナーヌ/バナナの赤ワイン煮)
Glace aux bananes (バナナのアイスクリーム)

この「バナナ」は、現代に生きる私たちとっては最も手ごろで身近なフルーツの一つです。しかし、モネが生きた時代のフランスでは、その位置づけが現代とは大きく異なっていました。

フランスにはいつバナナが届いたのか?フランスにおけるバナナの流通史

モネが経済的に厳しい時期を脱し、ジヴェルニーに暮らし始めたのは1883年、43歳の時のことでした。実は、フランス本土でバナナが流通し始めたのもちょうどこの頃です。

バナナはカリブ海の植民地限定の食べ物だった

バナナとヨーロッパ諸国との出会いは意外に古く、15世紀の大航海時代までさかのぼります。ポルトガルの船乗りたちが西アフリカでバナナを発見、カナリア諸島に持ち帰って栽培を始めました。さらに16世紀には、ポルトガルの修道士によってカリブ海にも持ち込まれ、栽培が広がっていきます。

フランスはカリブ海に植民地を持っており、18世紀にはフランス領マルティニークで300万本のバナナが栽培されていたそうです。しかし当時の輸送技術では、生鮮食品であるバナナをヨーロッパ本土まで運び、流通させることは困難でした。そのため消費の中心は現地に限られ、一部は船員の食糧として利用されるにとどまっていました。

19世紀になり、蒸気船の登場によって輸送環境が改善されると、ようやくバナナがヨーロッパ本土に届くようになります。

19世紀末「珍品」としてのバナナ

1944年に発表された、フランスでのバナナ流通に関する論文には、その普及の過程が詳しく記されています。以下では、この論文の内容をもとにフランスでのバナナの広まりを見ていきます。

フランスでは1880年頃から、カナリア諸島やマデイラ諸島を訪れた船員や乗客が土産として持ち帰り、余ったものを販売するという形で、バナナがごく少量ながら入ってくるようになりました。1890年代に入ると、ボルドーやマルセイユ、さらにはパリの高級エピスリーでも稀にバナナが売られるようになりますが、まだ安定した流通網が確立していたわけではなく、非常に珍しい品という位置付けでした。

19世紀フランスのバナナ体験「ジュール・ルナールの日記」から

『にんじん』で知られるフランスの作家ジュール・ルナールは、1884年の日記に、初めてバナナを食べたときのことを記しています。

4 février 1884.
Goûté une banane pour la première fois de ma vie, je ne recommencerai pas, jusqu'au purgatoire.

訳)1884年2月4日
人生で初めてバナナを食べた。私は二度とそれを口にしないだろう。煉獄に行くまでは。

Jules Renard, Journal

ジュール・ルナールがバナナを食べたのは、フランスにおいて比較的早い体験だったと考えられます。「死ぬまで二度と食べたくない」とまで書いていることから、彼が食べたバナナはまだ青くて渋かったのか、あるいは熟しすぎて傷んでいたのかもしれません。いずれにせよ、どの状態で食べるのが「正解」か分からないほど珍しい果物であり、当時はまだ熟度や流通が安定していなかったため、美味しい状態で食べることが難しかったことがうかがえます。

1900年前後にバナナの流通が急増、安定供給へ

このように、フランス人にとってバナナは長い間「知ってはいるが、非常に限られた珍しい存在」でした。しかし19世紀の終わり、フランスのバナナ史において大きな転換点が訪れます。

1896年、Hollierという人物がパリにバナナの追熟施設(mûrissoir)を設立し、比較的安定した品質のバナナを大量に流通させることが可能になりました。これ以降、わずか数年でフランスのバナナ輸入量は急増し、1900年時点で400トン、1910年代には英米企業の参入もあり3万トンに達します。この頃には、バナナは流行の新食材としてフランス社会に受け入れられていたと考えられます。

当時のバナナはどれほど高級だったのか?

バナナは当時、「新しい最先端のフルーツ」だったと述べましたが、実際の価格はどの程度だったのか、当時のパンの価格と比較しながら見てみます。バナナの価格は先ほどと同じ論文、パン価格は以下の論文より引用しました。

https://www.numdam.org/article/JSFS_1937__78__105_0.pdf

1896年 バナナ1本0.15~0.3フラン/パン1㎏あたり0.33フラン
1902年 バナナ1本0.05~0.2フラン/パン1㎏あたり0.33フラン

1896年時点ではバナナ1本がパン約0.5㎏~1㎏と同程度の価格でした。これを現代と比較すると、2025年のフランスにおけるバゲット1㎏あたりの平均価格は4.05ユーロとされています(INSEE/フランス国立統計経済研究所データより)。単純に換算すると、当時のバナナは1本あたり2〜4ユーロ程度に相当します。

さらに当時は日給3~5フランほどであり、現代よりも食費が占める割合が高かった点も考慮する必要があります。仮に1房を6本とすると、12~24ユーロ、日本円だと約2200~4400円ほどになります。現代日本の感覚で言えば、宮崎マンゴーや高級メロン、シャインマスカットに近い位置づけだったと考えられるでしょう。1896年以前は、さらに高い値段だった可能性もあります。

その後、輸入量が増え始めた1902年には価格が大きく下がり、現代の感覚に置き換えると1本あたり約0.7ユーロ~3.5ユーロ程度になります。安いものだと、1房(6本)でも4ユーロ代と、庶民でも手にできる価格帯に近づいています。それでも、日常的に消費される果物としては高価だったと思われます。

パンの価格と比較することで、19世紀末当時のバナナは、現代の高級フルーツに相当する存在だったということが明らかになりました。現在のフランスでは、バナナの価格は1㎏あたり1.5~2.5ユーロ程度です。現代に生きる私たちと当時のフランスの人々とでは、バナナに対する距離感が大きく異なっていたことが分かります。

モネとバナナ「珍品」から「新しい食材」へ

モネに話を戻すと、モネがジヴェルニーに移り住んだのが1883年のことです。その後、経済的にも安定し、長く同居していたアリスと1891年に正式に結婚。そして、アリスが亡くなったのが1911年です。モネの料理ノートは主にアリスによって記録されており、その多くは1883年以降から1910年頃にかけて書かれたものだと考えられます。

この期間は、ちょうどバナナがパリの高級店でごく稀に売られ始めた段階から、やがて流行し、安定的に流通するようになるまでの過渡期と重なっています。

食べることを愛し、甘いものにも目がなかったモネ。さらに彼は珍しい植物にも強い関心を持ち、自宅の庭や菜園でさまざまな外来植物を育てていました。南国から運ばれてきた鮮やかな黄色い皮のバナナ。この甘くてクリーミーな新しい果物は、モネの目にもひときわ魅力的に映っていたのではないでしょうか。

おそらくモネは、フランス人の中でも早い段階、すなわち1880〜1890年代にはバナナに出会い、いち早く食卓に取り入れていたと考えられます。そして1900年以降、「異国の珍品」から「新しい食材」へと変わりつつあったバナナ。そのレシピがモネのノートに多く見られるのは、モネの食卓がそうした時代の変化を敏感に取り入れていたことの表れとも言えるでしょう。


Daube de bananes (ドーブ・ド・バナーヌ)

モネのレシピ「ドーブ・ド・バナーヌ」とは

モネの料理ノートに記されたバナナのレシピの中から、ひときわ珍しい「Daube de bananes(ドーブ・ド・バナーヌ)」を作ってみました。作り方は、縦半分に切ったバナナをバターでソテーし、少し煮詰めた甘い赤ワインソースで煮る、というものです。

Daube(ドーブ)とは南仏の郷土料理で、通常は牛肉などを赤ワインで煮込んだ料理を指します。それを当時まだ新しい食材であったバナナに応用し、デザートに仕立てるというのは、非常に自由で創造的な発想だと思われます。

これはモネの発案で、料理人のマルグリットがレシピとして仕上げたモネ家オリジナルのメニューだったのでしょうか。それとも当時のパリのレストランでは、既に似たようなメニューがあったのでしょうか。どのようにしてこのレシピが生まれたのか、想像がふくらみます。

モネの料理ノートに書かれたレシピの手順は以下の通りです。

Daube de bananes (ドーブ・ド・バナーヌ)
人数分のバナナを用意する。皮を剥き、縦半分に切ってバターでソテーする。良質な赤ワインを用意する。赤ワインは、人数分のバナナに十分に絡む量を使う。赤ワイン0.5リットルに対し、砂糖大さじ3、シナモン少々を加え、弱火で10分煮詰める。10分後、バナナを戻してさらに10分ほど煮る。温かいうちにサーブする。

バナナをバターでソテーした後、さらに10分煮るとなると、現代の感覚だと煮崩れてしまいそうに思えます。実は、モネの時代のバナナは、現代のものとは少し異なるものでした。

当時のバナナ「グロス・ミッシェル種」と現代のバナナの違い

モネの時代の生食用バナナは、「グロス・ミッシェル種」という品種のバナナが主流でした。しかし1950年代、パナマ病と呼ばれる病害が世界的に広がり、この品種はほとんど栽培されなくなります。その後、病害に強いキャベンディッシュ種へと置き換えられ、現在日本で流通しているバナナのほとんどがキャベンディッシュ種です。

グロス・ミッシェル種は、キャベンディッシュ種と比べて果肉の澱粉質がしっかりとしており、長時間加熱しても煮崩れにくかったとされています。また、甘味と香りも強く、現代の一般的なバナナとは異なる風味を持っていたと言われています。

現在では、タイのホムトンバナナがグロス・ミッシェル系統の一つとして知られており、日本でもコープやパルシステムなどで入手できるようです。

今回は、日本で一般的に手に入るキャベンディッシュ種のバナナを使い、煮崩れを防ぐために手順を少しアレンジして作ってみました。


現代版 ドーブ・ド・バナーヌのレシピ

<材料(1人分)>
バナナ 1本
バター 一かけ
赤ワイン 50ml
砂糖 小さじ1
シナモン  少々

<作り方>

① バナナを縦半分に切る。フライパンにバターを溶かし、バナナを入れて両面をソテーする。表面がきつね色になったら取り出す。崩れやすいので、加熱しすぎないように注意する。

②フライパンを一度火から下ろす。同じフライパンに赤ワイン50ml、砂糖小さじ1、シナモン少々を加えて弱火にかける。煮詰まってとろみがついてきたらバナナを戻し、上下を返しながらソースを絡める。ここでも加熱しすぎないように注意する。全体にソースが絡んだら器に盛り、温かいうちにいただく。

できあがり

あたたかいドーブ・ド・バナーヌに、バニラアイスを添えてみました。

肝心の味ですが、バターのコクで赤ワインの渋みと酸味がやわらぎ、バナナのクリーミーな甘さとよく合います。シナモンも良いアクセントとなっていて、グリューワインを思わせるまとまりのある風味に仕上がりました。バナナが一気に大人のデザートへと変わりました。

バナナと赤ワインという組み合わせに、どのような味になるのか少し不安もありましたが、想像以上に完成度の高い一皿でした。バニラアイスは、ぜひ添えることをおすすめします。

おわりに

バナナは現代の私たちにとって、最も身近で手頃な果物のひとつです。しかし、19世紀末のフランスに生きたモネにとっては、新しく、高価で、魅力的なフルーツでした。そうした時代背景に思いをはせながら、丁寧に調理して味わうことで、当時の空気をわずかに追体験できたような感覚があります。

今回はモネの料理ノートに記されたレシピから、ドーブ・ド・バナナを再現してみました。今後もこの料理ノートを手掛かりに、様々な角度からモネの食卓を考察していきたいと思います。


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