ソ連・ヨーロッパの旅, 1983年4-8月
のっけから細かいことダラダラ(dollar, dollar, 「アメリカの金をくれないか」)言うと, 1983年4月26日に横浜港からフェリーに乗って「ナホトカ航路」(1961年からソ連が崩壊する1991年まで 横浜港とソ連のナホトカ港を連絡していた国際航路)で 2泊3日の船旅, 4月28日には ソ連に入り … 以下, 細かいことダラダラの続きは 第1章にて。
ソ連・ヨーロッパ 〜 Long Distance Runaround
(本日の前口上からの続き)… その後, ナホトカからは「シベリア鉄道」の支線を走る夜行列車で ハバロフスクまで行き其処で下車, 同地で 1泊(4月29日), 翌日, ハバロフスクで ウラジオストク発(ソ連の軍港都市ウラジオストクは外国人立入禁止)の「シベリア鉄道」本線の列車に乗り, そこから バイカル湖西岸 イルクーツクまで 3泊4日かけて「シベリア鉄道」列車の旅(4月30日〜5月3日), イルクーツクで 1泊した後は 再び「シベリア鉄道」列車の旅(今度は 4泊5日, 5月4日〜5月8日), ようやく着いた首都 モスクワで 2泊3日, その後, モスクワからの夜行列車で(5月10日)フィンランドの首都 ヘルシンキへ(翌日, 同地で 1泊), さらに北欧諸国を巡る旅をしてから南下し, ヨーロッパを 諸国行脚(キリスト教圏で 仏教の修行やら布教やらしていたわけではありません, 笑, そもそも「行脚」は徒歩, 各地で歩きはしたものの, 都市間の移動手段はほぼ鉄道たまにフェリー稀に徒歩), そして, あの旅におけるヨーロッパ最後の滞在国, 1ヶ月滞在した ギリシャ, その首都 アテネを発って 中東(日本から見れば「西アジア」)の第一訪問国/滞在国 トルコ 最大の都市 イスタンブール へと向かう 2泊3日の列車の旅(イスタンに着いたのは 8月11日), 旅はさらに続く ..
なので, 「ソ連・ヨーロッパの旅, 1983年4-8月」の地図としては, 今日のタイトル上の地図は, ソ連の東側部分(大雑把に言うならシベリア方面か?)が不足している。しっかし, これを言うためにここまで文字を使うか(もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵にでも入る気なのか, ノー!)
何はともあれ, 1983年4月から翌84年2月にかけて, 貧乏旅行バックパッカーの身で, ユーラシア大陸「ほぼ」一周, シリア・ヨルダン・パレスチナ(及び 何故だ其処にの「イスラエル」)経由で パレスチナのガザ地区から陸路 エジプトにも行ったから アフリカ大陸の北東端も, さらに 旅の終盤では 韓国・釜山からフェリーで下関に行き帰国, 帰国後には初めての広島の旅もしたから 日本列島の一部も, おいおい長いなこの一文も, 兎にも角にもウサギにツノは生えないが兎に角, そんなこんなの, そこそこ程度には 長い旅をした。
Long Distance Runaround from Yes' 1971 album Fragile
"Long Distance, Run Around" なら「長い距離を走り回って」と訳していいんだろうけど, これは Long Distance Runaround だからなぁ(笑)。
ともあれ, あの曲はアルバム Fragile, 邦題「こわれもの」に収められた曲。
地球は こわれもの です。大事にしましょう。
とりあえず 今日の note は, ソ連・ヨーロッパ の旅の まとめ。ん? ソ連の西側半分くらいは「ヨーロッパ」ではないかと? いや筆者の主観では, 当時は ソ連はあくまで「ソ連」で, 「ヨーロッパ」とは別物。
人生「初」海外 〜 横浜港からのフェリーで日本を発ち ナホトカ へ , その後, ソヴィエト連邦を横断
1983年4月26日, 横浜港からフェリーで ソ連, 今のロシアのナホトカへ
1983年4月26日, ユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行への出発 〜 "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) 歌詞和訳
シベリア鉄道で, ソ連を横断する旅 (1983年4-5月)
ナホトカからハバロフスクはシベリア鉄道ではない鉄道で(細かいこと言うとあれはシベリア鉄道の支線なのか), そして ハバロフスク以降は シベリア鉄道で。
ヨーロッパ 縦断の旅
フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマークの旅 〜 1983年5月
先にきょうび, 今日日, いまどき, 2026年の話題を絡め .. その後に旅の話。
以下の写真は, 1983年5月22日, デンマーク・コペンハーゲンにて筆者撮影。
写真は, 1983年5月22日, デンマーク・コペンハーゲンにて筆者撮影。同年4月26日, 横浜港からのフェリーで 日本を出て, その後は シベリア鉄道で 今は無き国ソ連, ソヴィエト社会主義共和国連邦の旅, ソ連の旅の後は, モスクワを夜行列車で発ち ヨーロッパへ。
1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅 を始めてまだ1か月も経たない時期の, 北欧・スカンディナヴィアの旅。訪れた国は, 順にフィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク。
43年前の今日, 1983年5月18日は, 夜行列車で ノルウェーの首都オスロを発ち, 次の訪問国 デンマークの首都コペンハーゲンに向かった日。
ドイツの旅, part I(「西ドイツ」「東ドイツ」) 〜 1983年5, 6月; 10泊11日
写真は 1983年6月1日撮影, まだベルリンに壁があった時代, 当時の「東ドイツ」(「ドイツ民主共和国」)の首都「東ベルリン」(正式名称は "Berlin, Hauptstadt der Deutschen Demokratischen Republik (DDR))", 日本語にするなら「ベルリン, ドイツ民主共和国の首都」)にて, フランデンブルク門 の前で ひと休みする筆者, 1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅 を始めてから 37日目, 当時22歳と8ヶ月と3週間ほどの日本人バックパッカー。
1983年4月26日に 横浜港からのフェリーで 日本を出, 2泊3日の船旅の後は シベリア鉄道で 今は無き国「ソ連」(「ソヴィエト社会主義共和国連邦」)の旅, 「ソ連」の旅の後は モスクワを夜行列車で発ち ヨーロッパへ, その後, 北欧諸国を旅してから 当時の「西ドイツ」(正式名称は今のドイツと同じで「ドイツ連邦共和国」)に入ったのは, 同年5月23日。
ドイツ(ほとんど「西ドイツ」, 「東ドイツ」は「西ベルリン」から日帰りの旅をした「東ベルリン」のみ)で 10泊11日の旅をした後, フランス, スイスを旅してから, 再度 ドイツへ。
今日のノートは, 1983年初夏のドイツの旅, その前半部, 10泊11日の分。
初めての パリ, フランス (日帰りでヴェルサイユにも) 〜 1983年6月の 10日間
写真は 1983年6月9日, 日本を出てから45日目, パリ滞在 7日目, Pont Notre-Dame, ノートルダム橋, 筆者撮影。
当時22歳(から23歳)バックパッカー一人旅の筆者(2026年6月現在, 既に65歳!), 西ドイツの(今は無き「西ドイツ」の, そして国の正式名称としては当時も今もある「ドイツ連邦共和国」の)ケルンからの夜行列車で, 1983年6月3日朝 6:30頃, フランス(括弧多くなるが成り行き上こっちも書くか, 正式名称「フランス共和国」)の首都, パリに着。
パリ北駅だったのか, パリ東駅だったのか, 当時の日記にも到着した駅の駅名までは書いてなくて, そのどちらだったのかは 調べないと分からない(調べない, 笑)。ともあれ, その 6月3日朝 6:30頃から 6月12日夜11時59分(そこまで細かく日記に書いてあった, 「54分」にも見える筆跡だけどそれはやっぱ細かい話だな, 笑)発の夜行列車で パリの(これは日記によれば)リヨン駅を発って スイス(これも成り行きだ, 正式名称は「スイス連邦」, まずはジュネーヴ, ついで, ついジュネーヴがスイスの首都のような気がしてしまうが, スイスの首都はベルン, これじゃほとんど「ひとりごと」, 「ひとりごと」はあのアルバムの正式な邦題!)に向かうまで, 10日間 パリに滞在した。
括弧多いな, これも成り行きなのだ。で, あの旅も成り行きだった(笑)。
スイスの旅 〜 1983年6月, たったの 3日間
写真は 1983年6月14日のマッターホルン, 日本を出てから50日目, 筆者撮影。
ドイツの旅, part II(「西ドイツ」 ハイデルベルク, ライン下り, ノイシュヴァンシュタイン城, ダッハウ [ナチスによる強制収容所跡]) 〜 1983年6月中旬, 7日間
当時の「西ドイツ」(正式名称は今のドイツと同じで「ドイツ連邦共和国」)の旅。写真は, ドイツ最古の大学がある街, ハイデルベルク, 1983年6月16日, 43年前の今日。
流れていた, そして今も流れているはずのあの川は, ライン川の支流, ネッカー川。生憎の大雨の後で 川の水は濁っていて, 空もまだ曇りがちだった。まぁしかし, 空の色がセピア色なのは単に写真が古いから!
1983年4月26日に 横浜港からのフェリーで 日本を出て始めた「ユーラシア大陸ほぼ一周の旅」, 今回は「ドイツの旅, 1983年 part I」(「西ドイツ」 ハンブルク, ボン, トリーア, ケルン, 「西ベルリン」, そして「東ドイツ」「東ベルリン」)の続編。
オーストリア ⇄ 旧「ユーゴスラヴィア」の旅 〜 1983年6月下旬, 9日間
写真は 1983年6月25日, 旧「ユーゴスラヴィア」, つまりヨシップ・ブロズ・チトー(1892年5月7日生まれ, 1980年5月4日他界)のユーゴ, 要するに(でもないか)1943年から1992年まで存在した「ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国」の首都で, 同「共和国」の中の 6つの共和国のうちの 1つ, 「セルビア社会主義共和国」の首都でもあったベオグラード, その街中にあった市場にて, 筆者撮影。
当時22歳9か月と2週間(細かい!)の日本人バックパッカーも 既に還暦を過ぎて 5年9か月余, When I'm Sixty-Four 🎶 のその現実(だいたい歌の通りだ, 笑)からも 1年以上, 今日は オーストリア ⇄ 旧「ユーゴスラヴィア」往復の旅, 43年前の今頃, 1983年6月下旬, 同年4月26日に日本を出てからおおよそ 2か月経過した時期の 9日間を振り返り。
まずは本題(今日の第3章まで, その後は延々と付録)に入るその前に, 以下, オーストリアに向かうまでのあらましを(しかしあらましにしてはごちゃごちゃ書き過ぎた, 毎度ながら)。
1983年4月26日に 横浜港からのフェリーで 日本を発ち, いざ行かん(?行かんと言っても行ったのだ, 笑)と始めた「ユーラシア大陸ほぼ一周の旅」, さらばシベリア鉄道 🎶 のソ連(1917年のロシア革命・十月革命を経て1922年から1991年まで存在した「ソヴィエト社会主義共和国連邦」, CCCP; Союз Советских Социалистических Республик, 英語にするなら Union of Soviet Socialist Republics, 略称 USSR, Back in the U.S.S.R. 🎶), そして フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, それからドイツ(「西ドイツ」とちょっとだけ, Just a Little Bit 🎶 の「東ドイツ」, それぞれ正式名称は?何年から何年まで存在した?もういいや面倒くさい, 笑), その後は フランス, スイス, そして再びのドイツ(「西ドイツ」!)を巡る旅をし, 同年,
もうここまで文字使い過ぎ(それって もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵), 同年とは 1983年のことです, その 6月21日に当時の「西ドイツ」ミュンヘン で乗った夜行列車で オーストリアの首都ウィーン に向かい, ウィーンに 6月22日 の朝, 着。ウィーンで 1泊した後, 翌 6月23日の夜行列車で当時の, つまり上記の 旧「ユーゴスラヴィア」の首都ベオグラード に行き 3泊4日, その後, 6月27日 に旧「ユーゴスラヴィア」ベオグラードをまたまた夜行列車で発ち, 翌 6月28日 朝, 再びのオーストリア, ウィーンに着。前回のウィーンは 1泊2日, 再びのウィーンでは 2泊3日, 合計すると 3泊5日, それがどうした, 何はともあれ, その次はイタリアの10日間, それは次回。
イタリアとヴァチカンの旅(ヴェネツィア, フィレンツェ, ローマ, ヴァチカン, ポンペイ遺跡, ナポリ, ブリンディジ) 〜 1983年7月初旬, 10日間
写真は 1983年7月5日, ローマ, トレヴィの泉にて, 同年4月26日に横浜港からのフェリーで 日本を発ち, あの頃はあった「ソ連」, それから 北欧諸国を経て, ヨーロッパ を南下中の筆者が撮影。
ギリシャの旅(アテネとサントリーニ) 〜 1983年 夏の1か月
1983年4月26日に横浜港からのフェリーで 日本を発ち, あの頃はあった「ソ連」, それから 北欧諸国を経て ヨーロッパ を南下, 7月11日にギリシャに入国。写真は 7月13日, アテネにて 筆者撮影, 「アテナイのアクロポリス」に聳え立つパルテノン。
イタリア共和国(とヴァチカン市国)10日間の旅の後, イタリアの港湾都市ブリンディジから の フェリーで ギリシャ共和国のペロポネソス半島北西部にある港湾都市パトラ に向かい,
ギリシャ「入国」は 1983年7月11日。パトラ に着いて, その足で(って実際は列車だけど!)アテネ に向かった。アテネ 到着は同日夜。アテネ にはだいぶ長く居た。細かいことを書いておくと(いま数えたんだけど, 笑)最初は 16泊17日, そして途中, 7月28日から8月1日まで地中海の島 サントリーニ に 4泊5日滞在し(行き来は夜行, 当たり前だけどそれぞれ 1泊2日のフェリーの旅, アテネをいったん出たのは 7月27日), アテネ に戻ったのは 8月2日。その後, さらに 7泊8日滞在してから, 8月9日に アテネ を列車で発って, 中東の第一訪問国/滞在国トルコのイスタンブールへ(イスタンに着いたのは 8月11日)。
ではでは, ソクラテス や プラトン や アリストテレス の紀元前の古代ギリシア ではなく, ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか の1976年の日本でもなく, 1983年の夏のギリシャの旅へ, いざ。
ただし 第1章は「ギリシャ」「ギリシア」表記の揺れや「ギリシア数字」の話。ギリシャ(ギリシア)の旅 は 第2章から。
ギリシャ から トルコへ, 飛んでイスタンブール, じゃなくて, アテネ から イスタンブール 2泊3日 列車の旅, Maneaters に襲われた夜 / 地中海の舞踏 〜 1983年8月9-11日
以下では, 前節にリンク掲載した「ギリシャの旅」note から, その最後の 2章分をまとめて "ほぼ" そのまま 転載。
1983年8月9日 夜11時, それまで 1ヶ月滞在した国 ギリシャ の首都 アテネ を発って, 中東(こっちから見れば「西アジア」だよ)の第一訪問国/滞在国 トルコ 最大の都市 イスタンブール へと向かう 2泊3日の列車 旅(イスタンに着いたのは 8月11日 朝)。
飛んでイスタンブール, じゃなくて 列車で アテネ から イスタンブール 〜 1983年8月9-11日
1983年8月10日, Maneaters に襲われた夜
They'll only come out at night
The lean and hungry type
Nothing is new
I've seen them here before
Watching and waiting ..
Maneater 〜 Hall & Oates (Daryl Hall & John Oates, 1982)
She'll only come out at night
The lean and hungry type
Nothing is new
I've seen her here before
Watching and waiting ..
とまれ(ともあれ!), ソ連・ヨーロッパの旅の最後は,
何かにつけ「ヨーロッパ」の中に入っていたりもしながらその実「中東」いや日本から見たら「西アジア」の国 トルコ 最大の都市 イスタンブールに, 列車で向かったのだ,
エーゲ海・地中海を眺めながら ..
地中海の舞踏, 地中海の太陽の踊り 〜 Mediterranean Sundance by Al Di Meola (born July 22, 1954) and Paco de Lucía (December 21, 1947 – February 25, 2014), from Al Di Meola's 1977 album Elegant Gypsy 🎶
