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ギリシャの旅, 1983年 夏の1か月 〜 アテネとサントリーニ

1983年4月26日に横浜港からのフェリーで 日本を発ち, あの頃はあった「ソ連」, それから 北欧諸国を経て ヨーロッパ を南下, 7月11日にギリシャに入国。写真は 7月13日, アテネにて 筆者撮影, 「アテナイのアクロポリス」に聳え立つパルテノン。

イタリア共和国(とヴァチカン市国)10日間の旅の後, イタリアの港湾都市ブリンディジから  フェリーで ギリシャ共和国のペロポネソス半島北西部にある港湾都市パトラ に向かい,

ギリシャ「入国」は 1983年7月11日。パトラ に着いて, その足で(って実際は列車だけど!)アテネ に向かった。アテネ 到着は同日夜。アテネ にはだいぶ長く居た。細かいことを書いておくと(いま数えたんだけど, 笑)最初は 16泊17日, そして途中, 7月28日から8月1日まで地中海の島 サントリーニ に 4泊5日滞在し(行き来は夜行, 当たり前だけどそれぞれ 1泊2日のフェリーの旅, アテネをいったん出たのは 7月27日), アテネ に戻ったのは 8月2日。その後, さらに 7泊8日滞在してから, 8月9日に アテネ を列車で発って, 中東の第一訪問国/滞在国トルコのイスタンブールへ(イスタンに着いたのは 8月11日)。

今日の第2章にリンク掲載の note(その第2章)より 

ではでは, ソクラテスプラトンアリストテレス の紀元前の古代ギリシア ではなく, ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか の1976年の日本でもなく, 1983年の夏のギリシャの旅へ, いざ。

ただし 第1章は「ギリシャ」「ギリシア」表記の揺れや「ギリシア数字」の話。ギリシャ(ギリシア)の旅 は 第2章から。


「ギリシャ」なのか, 「ギリシア」なのか? 〜 ギリシア数字 α', β', γ', δ', ε' の話

「ギリシャ」なのか, 「ギリシア」なのか?("因みに"程度の話を)

以下は, 今日の次章にリンクを掲載している筆者の過去 note 第3章(「ギリシャ」なのか, 「ギリシア」なのか? 〜 因みに程度の話を)からの転載。

仮に彼ら自身の言葉(ギリシャ語, ギリシア語)に基づくのなら, 「ギリシャ」もしくは「ギリシア」は Ελλάδα になるようで, 発音は Elláda かな, となれば強いてカタカナ化するなら「エラダ」。

だから「ギリシャ」も「ギリシア」も要するに日本語の世界, 内輪の話ではあるんですね。ググって少し調べてみたけれど, このカタカタ言葉(たち)の語源はさておき, 大雑把に括るなら, 国名だと「ギリシャ」という表記が一般的で, 古典や神話, 文化, あるいは哲学とか言語とか学問系の話題になると「ギリシア」と表記する例が比較的多いようで, 半ば慣行化している側面もあるもよう(いちおう理由, 背景あってのことだけど)。

ただこの note の中では, とりあえず全部, 「ギリシャ」で統一しておきます。

上では "ただこの note の中では, とりあえず全部, 「ギリシャ」で統一しておきます" と書いているけれど, 今日のこの章の見出しや本章次節に既に「ギリシア文字」と。過去は過去, 今日は今日(笑)。今日は「ギリシャ」「ギリシア」, その表記が揺れている。

♫ 本節, ここから先は突如, しばし脱線して「音楽」(と英語)の話。音楽が脳(心?魂?ソウル?)に浮かぶとしばらく止まらなくなる筆者, その脱線に付き合う必要はないので(もちろん!), とりあえず今 Freddi King とかその他もろもろ聴かなくていい皆さんは, 次節に進んでください ♫

今日は「ギリシャ」「ギリシア」, その表記が揺れている。今日の終盤の章(節)の見出しでも, 思い切り揺れている。あんまり揺れると Shake 🎶

緩やかな揺れなら Sway, でもそもそも「表記に揺れがある」は英語では "be spelled [spelt] in several different ways" とか言ったりするようです。「表記の揺れ」なら "spelling inconsistencies" とか "spelling discrepancies" とか "inconsistent spelling" とか "spelling variation" とか "spelling variants" とか, 他にも色々。なんだ, 表現が揺れてるじゃんか。

しっかし, ギリシャとギリシアの話から, なんで, どうして英語の話になってしまったんだ?

やり過ぎた。しかしまぁ,

では, ようやく, 次節へ。

「ギリシア数字」 α', β', γ', δ', ε' の話

α は「アルファ」, β は「ベータ」, γ は「ガンマ」, δ は「デルタ」, ε は「エプシロン(イプシロン)」… これが ギリシア文字

それぞれに アポストロフィー(')を付けると, α', β', γ', δ', ε' … 次章以降の見出しに現れるこれらの文字記号は, イオニア式のギリシア数字。

折角のギリシャ(ギリシア!)旅 note, その 1, その 2 とか part I, part II とか, a) b) c) とかではなく, ギリシア文字, ギリシア数字を使いたかった, というわけで,

ではでは, ようやくのこと, 

ソクラテスプラトンアリストテレス の紀元前の古代ギリシア ではなく, ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか の1976年の日本でもなく, 1983年の夏のギリシャの旅へ, いざ。

ギリシャ, アテネ part α' 〜 1983年7月11-14日, シンタグマ広場, アクロポリスとパルテノン神殿, リカヴィトスの丘 (写真16枚)

ここでは, 本章の最後にリンクを置く note の掲載写真 16枚の中から, 10枚。

1/10 アテネの街の中心部にある, シンタグマ広場。別名「憲法広場」(そもそも「シンタグマ」が ギリシャ語では「憲法」)。隣接して国会議事堂, 無名戦士の碑などがある。ここは市民にとっても観光客にとっても「溜まり場」。

2/10 以下では, 下掲 note に掲載の際のキャプション(にしては長い!)をそのまま転載。

アテナイのアクロポリスアクロポリス はギリシャ語の意味は「高いところ」, 古代ギリシャのポリス(もともと都市, 都市国家, 市民権, 市民による政体を意味するギリシャ語であるようで, ここで言うポリスは古代アテナイなど, 古代ギリシャの「都市国家」)のシンボルとなった小高い丘で, 大抵の場合, その丘の上には神殿や砦が築かれていた。アクロポリス はギリシャに多数あるけれど, アテナイのアクロポリス は, 「アクロポリス」と言えばこれを指すくらいに世界的に有名なもの。

パルテノン は, 古代ギリシャ時代の古代アテナイ(アテネの古名だから古代に決まってるんだけど!), その アクロポリス の上に建てられた, ギリシャ神話の女神アテーナー(アテナイの守護神, そもそもアテナイの名の由来はこの「アテーナー」であるようで!)を祀るための神殿。着工は紀元前447年, 竣工は紀元前438年。その後も装飾などが紀元前431年まで続けられたとのこと。神殿は古代ギリシャ, 民主政アテナイの象徴として, 世界史上重要な文化遺産と見做されている(もちろん「世界遺産」)。

要するにここって「民主主義」が生まれた場所のシンボルとも言えるようなところで, 民主主義にとって, 遥か昔の時代にあった故郷みたいなところか(まぁ当時は奴隷制度がまだあったりとか, 当然ながら近代の民主主義と様相は異なるけれど)。

 

前章でも書いた通り, アクロポリス, そして丘の上の パルテノン神殿, 共に素晴らしかった。パルテノン の柱と柱の間から見える透き通った青空は, 何というか悠久の歴史を遡って古代ギリシャに流れていた時間につながっていくような感じ。1983年7月13日, ここで, この空の下で古代ギリシャ, 古代アテナイの人々は .. なんて想像していたような気がする。丘からの「現代の」アテネの街の眺望も見事だった。

「前章でも」とは 下掲 note における「前章」

3/10

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7/10 リカヴィトスの丘 を眺める(写真中央・後方)。

8/10 リカヴィトスの丘 を眺める(写真右側・後方)。

9/10 1983年7月14日, リカヴィトスの丘に登った。海抜277メートルだからそれほど高いわけではないが, アテネの市街地では最も標高が高い。因みにアクロポリスの方は 海抜150メートル。どちらも見晴らしが良い。

あの女性, 誰だっけ? .. Persephone?

Persephoneペルセポネー)は, ギリシア神話における女神, 冥界の女王, 春の女神, 豊穣の女神, 四季の起源。

Persephone by Wishbone Ash 歌詞和訳

10/10

ギリシャ 旅 note その 1 〜 写真(アテネでの写真は 16枚)やら 旅日記やら, そのほか諸々。

ギリシャ, アテネ part β' 〜 1983年7月15-16日, 古代ギリシャ・アテナイのアゴラ(広場、市場), そして 「現代」1983年のギリシャ・アテネの市場 (写真14枚)

ここでは, 本章の最後にリンクを置く note の掲載写真 14枚の中から, 9枚。

ソクラテス(アテナイ[アテネの当時の名前]出身の古代ギリシャ哲学者: 紀元前470年頃 – 紀元前399年)がここでアテナイの人達との問答を行なったという, アテナイのアゴラ。「アゴラ」とは古代ギリシャのポリス(都市国家)における公共の広場を指し, そこに人が集まって商取引も為されるようになった結果, 市場としての役割も果たしたというところ。

因みに「アゴラ」(古代ギリシャ語: Ἀγορά, Agorá)は, 後のローマ時代のラテン語においては "Forum", カタカナ書きするなら「フォルム」になるということで(公開討論会などを意味する英語の Forum の語源, 英語のカタカナ書きは「フォーラム」), そしてラテン語の "Forum Romanum", カタカナ書き「フォルム・ロマヌム」のイタリア語読みが "Foro Romano", つまり「フォロ・ロマーノ」。

ギリシャに行く前のイタリア, ローマで観た「フォロ・ロマーノ」(古代ローマの遺跡群), コロッセオ, などは こちら(写真 8枚, note タイトル上の写真はコロッセオ).. ヴァチカン市国(写真3枚)はイタリアのローマ市内にあるのでついで!

話が逸れた!

下掲 note に掲載のテキストから転載

古代ギリシャ アゴラ は「民会」が開催される場所でもあったということで, これは古代ギリシャの都市国家ポリスで行なわれていた市民総会のことになるわけだけれど, アテナイは既に紀元前5世紀には直接民主制を確立させていたわけなので, アテナイの民会が開催されたアゴラは真に「民主主義」の故郷みたいなところと言えるのかもしれない。

ただ, アゴラ そのものの歴史はさらに古く, 紀元前8世紀末, 古代ギリシャの吟遊詩人ホメーロス(と言っても叙事詩「オデュッセイア」Odyssea [英語の Odyssey] の作者とされるホメーロスは一方で作者であるということだけでなく実在したのかも断定できないらしいけれど!)の時代辺りまでにはポリスにある公共の広場として確立した存在になっていたとのこと(かな〜りウィキペディア参考, だから引きみたいなもの, まぁ現代人は古代ギリシャの時代に生きた彼らの「曽々々 ... [々, 何回繰り返せばいいんだ?] ... 」の世代に当たるわけで!)。

最も有名なアゴラはもちろんアテナイのアゴラで, これは要するに実にいろいろな用途の公共施設を設置していた広場であり, 上述の通り市場としても機能し, アテナイ市民の交流の場ともなっていた場所。

何しろ, 様々な施設が あったようで

下掲 note に掲載のテキストから転載

さてさて,

例によってスマホのない時代, ジュラ紀(笑)ぐらい昔の「貧乏旅行」バックパッカーとして写真はあんまり沢山撮ってないけれど, 以下は 1983年7月16日アテネ で撮った写真。古代ギリシャアテナイ広場でも市場でもあった「アゴラ」や, 現代, と言っても1983年当時のギリシャアテネ市場 などで撮った写真。

下掲 note に掲載のテキストから転載

以下も, 下掲 note に掲載の際のテキスト(キャプション)をそのまま転載。

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これは アッタロスの柱廊。アテナイのアゴラ内にあった柱廊。もともと紀元前2世紀の建造だったようだけれど, 紀元3世紀(時は既にローマ帝国時代)に侵入した外部勢力によって破壊されている。残った部分はアテナイの城壁の一部として使用されていたということだけど, 現在あるこの「アッタロスの柱廊」は 1950年代に再建築されたもの。したがって古くはないのだが, 古代ギリシャの建築物を当時の様式そのままに忠実に現代において復元させたもので, 考古学上, 非常に重要な建築ということになるようだ(建物自体は 古代アゴラ博物館 の収蔵品展示の場所として使われている)。

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写真の左側に一部見えるのは 古代アゴラ博物館 の収蔵品。

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アテナイの アゴラ, ここで古代ギリシャの人々は, ソクラテスは ... なんて考えるのは現代人, 現代の人々の「自由」。

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6/9 上は 古代ギリシャのアテナイの広場であり市場であったアゴラだけど, ここからは突如 趣 が変わって, しかしこちらも「市場」, 現代(ただし1983年当時)のアテネの市場

7/9 兄ちゃん, 43年後の今も元気にしてるよな, もちろん!

8/9 この人たちのその後の人生が, 幸せな人生でありますように!

9/9

アテネの夏はとにかく暑いのだ, 上半身裸は容赦してくれ。と言っても彼は筆者ではない, 筆者は少なくとも当時もっと締まっていて(笑), この写真を撮ったのが筆者!

さてさて, 1983年のアテネで撮った, ギリシャの食べ物の市場の写真を見たところで, この後はギリシャ料理のレストラン「タベルナ」に因んで, ほぼ同時代, あの時代の日本のパンクの曲「メシ喰うな!」を聴いてみよう(笑)♫

それは下掲 note 第5章 "ギリシャ料理のレストランはギリシャ語で「タベルナ」 〜 あれ, 聴いてみよう, 町田町蔵(町田康)の「食べるな」, じゃなくて, 「メシ喰うな!」" で。同じようなことは ここでも載せてる。いや, この際, 1981年リリースのあの曲の音源リンクも, 今ココで

話が逸れた, 1981年の 日本のパンクから,
閑話休題,

1983年の ギリシャの旅に, 話を戻します。

ギリシャ 旅 note その 2 〜 写真(アテネでの写真は 14枚)やら 旅日記やら, そのほか諸々。

ギリシャ, アテネ part γ' 〜 エロースが鎮座する国で 「愛のコリーダ」観たり, アクロポリス・リカヴィトス等ぶらついたりの, 1983年7月下旬

1983年6月4日 に フランス・パリ の映画館で, 坂本龍一(1952年1月17日 - 2023年3月28日)による音楽が素晴らしい, そして坂本と共に David Bowie (January 8, 1947 – January 10, 2016) も主役級で出演した「戦メリ」を観ているから(あれは封切り間もない時期), ギリシャ・アテネ で観た「愛のコリーダ」は, あの旅の最中に鑑賞した 大島渚(1932年3月31日 - 2013年1月15日)監督作品 2作目, ということになる。

こちらは 1976年公開の日仏合作映画だが, 当時 日本では映倫がフィルムをズタズタにしてしまっていて 無修正版は観られなかった, というもの。筆者が 1983年7月22日 に アテネ で観たのは, 当然ながらノーカット版。

この映画のことをそれほど詳しく書いたわけではないし, 映画以外のことも色々と書いているけれど, 何はともあれ, ギリシャ・アテネ 旅 note, 3本目。

ギリシャ 旅 note その 3 〜 写真やら(いやいや, 「愛のコリーダ」の写真はネット上から拾ったフランス語版ポスターぐらいしかありませんぞ)「殴り書き」旅日記やら, 音楽やら, そのほか諸々。

地中海の舞踏 〜 ギリシャ・サントリーニ島, 1983年7月28日から 8月1日(写真8枚)

地中海の舞踏 〜 ギリシャ・サントリーニ島, 1983年7月28日から 8月1日(写真8枚)

ここでは, 本章の最後にリンクを置く note の掲載写真 8枚の中から, 4枚。

筆者と当時の彼女

海が見えるけれど, 「セピア色の思い出」的な写真と化したこれでは, エーゲ海の海の青さを表現するのは, 無理(笑)。

これ, サントリーニ だね 🎶

当時の筆者の彼女も映っているではないか。しつこい(笑)。

ギリシャ 旅 note その 4 〜 写真(サントリーニでの写真は 8枚)やら 旅日記やら, そのほか諸々。

Summer '83 (イタリア, ギリシャ) 〜 Summer '68 (ピンク・フロイド)

旅 note 番外編, 旅 note 断続連載の「筆やすめ」。いや, 何も書いてないわけではないが, 筆はそもそも使っていない。

第1章は「Summer '83 (イタリア, ギリシャ)」。イタリア各地の旅, そして イタリア(ブリンディジ)から ギリシャ(パトラ)へとフェリーで地中海, ってか細かいこと言うと(笑)地中海の一部海域であるアドリア海を渡る旅, それから ギリシャの旅の此処までを, 時間軸, つまり「時の流れ」を遡りながら note リンクで辿る。

第2章は「Summer '68 (ピンク・フロイド)」。ピンク・フロイドが 1970年にリリースした傑作アルバム Atom Heart Mother(「原子心母」), その LPのB面 2曲目 Summer '68 の思い出, の・ようなもの(脱線リンク, 笑)。

第3章は, 第2章からの勢いで(?)「原子心母 ー "Atom Heart Mother" by Pink Floyd, If 歌詞和訳付き」(note リンク)。アルバム「原子心母」の思い出と, LPのB面 1曲目 If の, 筆者による歌詞和訳。

ギリシャ, アテネ part δ' 〜 1983年8月2-3日(写真6枚), なぜか三木清 「人生論ノート」

ギリシャ, アテネ part δ' 〜 1983年8月2-3日(写真6枚), なぜか三木清 「人生論ノート」

三木清 著「人生論ノート」は だいぶ前に買って読んだのだが, いつだったか手放してしまった。後年の自分の経験からこれがよく分かるようになった気がして, ずっと持っておけばよかったなとあらためて思う。だけどまぁいいだろう, 「ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である」。

幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である。

三木清 著「人生論ノート」より

「幸せそうな家族」は, 何処で見ても, そして 彼らが何処から来た人たちであっても(当たり前だが), 見ていて微笑ましいものがある。

下掲 note 掲載写真の中の 1枚, シンタグマ広場にて。

ギリシャ 旅 note その 5(アテネ, その 4) 〜 写真(6枚)やら, 旅日記やら, 音楽やら .. 諸々ノート, 人生いろいろ, ノート色々, ノート諸々。

これは 旅 note ではないけれど, まぁ 「人生」 も 「旅」 みたいなもの 〜 豊かとか貧しいとか幸せとか不幸とかについて

旅 note ではないが, この note へのリンクをここに置いておきたい。前節リンク掲載 note の中で 三木清 著「人生論ノート」からの引用をしているのだが, そこに以下の note リンクを付していたので(ごく個人的には, 要するに自分にとっては, わりと深く関係することなのだ, このことは)。

上掲 note のタイトル画像は カミさんとの人前結婚式と披露宴の招待状の写真, 下掲 note のタイトル画像は その席次表「御席表」表紙の写真。

ここにも 三木清 著「人生論ノート」からの引用や, 「人生論ノート」朗読の音源リンクなど掲載。

三木清 「人生論ノート」 関連

前節に続き, 三木清 著「人生論ノート」関連 note(関連って, ちょっと絡んでるだけのも含めて!), 本章の番外編として リンク。

「山のあなたの空遠くから見れば、あなたのおられるところが、山のあなたの空遠くです」

カフカ と 三木清 を結ぶ 強引

読書の秋 〜 読書のばら撒き … 今は夏だけど(笑)

我が家から歩いていける公園を カミさんと歩きながら, 紅葉・黄葉を鑑賞 〜 コリーヌ・ベイリー・レイ が, ニール・ヤング に答える

次のは … もうね, 確か, 三木清「人生論ノート」には絡んでません。ただ, しかし, 「人生」には絡んでる(笑)。

Joni Mitchell と Jackson C. Frank と Sandy Denny を聴いて, 人生を考える, ではなくて, 人生を感じる

ではでは。

ギリシャ, アテネ part ε' 〜 大規模反核デモに遭遇したアテネ, 1983年8月初旬(写真8枚)

ギリシャ, アテネ part ε' 〜 大規模反核デモに遭遇したアテネ, 1983年8月初旬(写真8枚)

ヒロシマ 8月6日 から ナガサキ 8月9日 の時期に合わせて行なわれた, 「民主主義の故郷」ギリシャ・アテネ における, 1983年8月 の 反核運動・大規模集会とデモ。

以下の note 第3章「1983年8月8日, アテネのアクロポリスを取り囲んだ反核の人間の鎖, 大規模な反核デモ(写真8枚)」で, 1983年8月8日にギリシャのアテネであった大規模な反核デモ・集会(反米軍基地のそれでもあった)について, 同 note 第2章で取り上げた当時の旅日記や, あの日の筆者撮影による写真などによって レポート。

ギリシャ 旅 note その 6(アテネ, その 5) 〜 詳細な旅日記(第2章)やら, 写真(大規模反核デモ・反米軍基地デモ・集会の写真, 第3章)やら, 「ヒロシマ・ナガサキ」絡み(第4章)やら, そんな諸々のノート。

「ヒロシマ・ナガサキ」 に 因んで

*1 生ましめんかな ー 1945年8月8日、広島に原子爆弾が投下された同年8月6日から2日後のことだった(栗原貞子の詩)。

*2 〈ヒロシマ、ナガサキ〉 というとき ー 〈ああ ヒロシマ、ナガサキ〉 と やさしくこたえてくれるだろうか

*3 ヒロシマ、わが罪と罰 〜 「良心の立入禁止区域」と、広島への原爆投下時の気象観測機パイロットだったクロード・イーザリー

*4 番外編:クロード・イーザリーに捧ぐ 〜 彼は本当は「とても変わった男」なんかじゃなかった, 彼は実は「とても変わった男」などではないのだ

ではでは。

核戦争後のディストピア 〜 "Wooden Ships" (CSN) 歌詞和訳

曲そのものが素晴らしく(音楽も歌詞も), だからこのことに拘るわけでは全くないけれど, 核戦争後の世界が歌われるこの歌(1969年, いわゆる「東西冷戦」真っただ中の時代にリリース), 今ちょうど 8月, この際, ヒロシマの日である今日 8月6日に投稿することにした。

で, この歌の歌詞を訳してみて, あらためてこの歌が描く物語を頭に想い描きながら, 今までに何度も何度も聴いてきたこの曲をいま一度聴いてみて, いやはや, なんとまぁカッコいい曲なんだろうと今更ながら思った(それはもちろん歌詞だけでなく音楽があるからこそ)。"カッコいい" だなんてミーハーに過ぎる言い方ではあるけれど。とにもかくにも, この歌 Wooden Ships, ある種のディストピア(しかし最後に新たに「ユートピア」を目指して旅立つ)小説, みたいなものなんだろう。

CSN は 1969年の Woodstock Music and Art Fair, いわゆる ウッドストックですね, あの時のステージでもこの曲を演奏していて(Neil Young も共演, 因みに同ステージでのアコギセットの大方は Neil Young は不参加), 筆者が DVDで持っている "Woodstock: 3 Days of Peace & Music"(邦題「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」, 1970年公開の映画)でも CSN によるこの歌が(映画音楽として)使われている。歌詞も踏まえれば, ある意味, 'love & peace' と ヒッピーの時代を象徴する曲 とも言えるのかもしれない。

今日の本旨はあくまで, 歌とその歌詞の和訳, しかしながら 付録もけっこうな数になってしまった。しかたない(「シカタナイ」は ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』が 日本人のわるい癖と批判した文言だけどね)。

では, 次は,

此処で, またまた「番外編」

オリンピック, 永久ギリシャ開催ってどう?(ギリシャがやるって言ったらの話)

ギリシャ 旅 note(オリジナル)を連載していた時期が, あの, 例の, いろいろと物議を醸した「東京オリンピック」(一応 書いておくと, 当初 2020年夏 予定だったものが, コロナ感染拡大を受け 2021年夏 に延期, どちらにしても盛り上がらない五輪だったけどなぁ)の時期に重なったこともあって, 当時こんなタイトルの note を書いたのだった。

オリンピック, 永久ギリシャ開催ってどう?(ギリシャがやるって言ったらの話)

そして,

ギリシア神話絡みの音楽 〜 Wishbone Ash, アルバム・タイトル "Argus" は 「ギリシア神話」に由来

Throw Down the Sword by Wishbone Ash 歌詞和訳

The King Will Come by Wishbone Ash 歌詞和訳

ギリシア神話絡みの音楽 〜 Wishbone Ash, "Persephone" は 「ギリシア神話」の女神の名

Persephone by Wishbone Ash 歌詞和訳

ギリシア神話絡みの音楽 〜 Bread の "IF" も, 実は 歌詞が 古代ギリシャ(ギリシア) や ギリシャ(ギリシア)神話に関わりがある

IF by Bread 〜 歌詞和訳

ではでは 🎶

ギリシャ から トルコへ 〜 飛んでイスタンブール, じゃなくて 列車で アテネ から イスタンブール, 1983年8月9-11日, Maneaters に襲われた夜

1983年8月9日 夜11時, それまで 1ヶ月滞在した国 ギリシャ の首都 アテネ を発って, 中東(こっちから見れば「西アジア」だよ)の第一訪問国/滞在国 トルコ 最大の都市 イスタンブール へと向かう 2泊3日の列車 旅(イスタンに着いたのは 8月11日 朝)。

飛んでイスタンブール, じゃなくて 列車で アテネ から イスタンブール 〜 1983年8月9-11日

1983年8月10日, Maneaters に襲われた夜

They'll only come out at night
The lean and hungry type
Nothing is new
I've seen them here before
Watching and waiting ..

Maneater 〜 Hall & Oates (Daryl Hall & John Oates, 1982)

She'll only come out at night
The lean and hungry type
Nothing is new
I've seen her here before
Watching and waiting ..

ではでは!

地中海の舞踏 〜 "Mediterranean Sundance" (Al Di Meola & Paco de Lucía) ♫

地中海の太陽の踊り, 地中海の舞踏,

Mediterranean SundanceAl Di Meola (born July 22, 1954) and Paco de Lucía (December 21, 1947 – February 25, 2014), from Al Di Meola's second album Elegant Gypsy released in April 1977 🎶

今日の最後は, 超絶技巧のギタリストによる「地中海を巡る」競演 ♫

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