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このnoteについて

このnoteを書き始めて、半年ほどが経った。

最初の記事に、私は「このnoteは、思考と経験のログとして書いていきます」と書いた。

その考えは、今も変わっていない。

ただ、半年間いろいろなことを書いてみて、何を残したいのかは、少しずつ分かってきた気がする。

私は、自分の考えを整理するために書いている。

仕事で考えたこと。企業を見て感じたこと。MBAで学んだこと。子どもの頃のこと。これからやりたいこと。

一見すると、あまり関係のない話ばかりだ。

けれど、書き続けていると、不思議と同じところへ戻ってくる。

うまく価値を発揮できていない会社が気になる。

衰退していく地域を見ると、もったいないと思う。

昔から続いてきたものが、誰にも引き継がれず消えていくことに寂しさを感じる。

新しい技術によって、今までできなかったことができるようになることには強く惹かれる。

どうやら私は、「そこに価値があるのに、まだ十分に発揮されていない状態」が気になるらしい。

最近、自分の理念を考え直して、その感覚を、

「価値を見つけ、育て、つなぐ」

という言葉にした。

もちろん、最初からそんなことを考えて生きてきたわけではない。

福井の田舎で育ち、金融機関に入り、会計事務所へ転職し、企業再生に関わり、新規事業で失敗し、MBAへ行った。

地方企業に惹かれるようになり、事業承継を考え、企業価値について考え、最近ではAIについて考えている。

その時々では、全部別々の選択だった。

けれど、後から振り返ってみると、その間には何か共通するものがあるようにも思える。


価値を見るための、三つの視点

半年前の記事で、私は企業や事業を見るときに、三つの概念に集中すると書いた。

キャッシュフロー、リスク、成長性。

この考え方は、今もほとんど変わっていない。

企業価値を考えるとき、利益だけを見ても十分ではない。利益がどれだけ現金として残るのか。そのキャッシュフローがどの程度安定して続くのか。そこにはどのようなリスクがあり、将来どの程度成長できるのか。

結局、企業の経済的な価値を考えるときには、この三つに戻ってくる。

だから私は、会社を見るときに会計上の利益だけで判断しないようにしている。

売上が増えていても、運転資金が膨らみ、現金が残らない会社はある。利益が出ていても、一人の経営者や特定の取引先に依存していれば、その利益が将来も続くとは限らない。一方で、今は利益が小さくても、強い顧客基盤や技術、人材を持ち、これから伸びる会社もある。

数字を見ることは大切だ。

ただ、その数字がなぜ生まれているのか。その数字が将来も続くのか。そこまで考えなければ、企業の価値は見えてこない。

会計は、過去を記録する


私は会計の仕事を長くしてきた。

会計は、とても強力な仕組みだと思っている。

企業がこれまで何をしてきたのかを、一定のルールで数字に置き換え、記録する。売上、利益、資産、負債、キャッシュフロー。会社で起きている膨大な出来事を、比較可能な形に変換してくれる。

一方で、会計は基本的に過去を記録する仕組みでもある。

決算書をどれだけ眺めても、それだけで未来が分かるわけではない。

来年、売上はいくらになるのか。新しい設備へ投資すべきなのか。人を採用すべきなのか。この会社を買うべきなのか。事業を続けるべきなのか。

そうした問いに、会計だけでは答えられない。

会計は、未来を決めてくれない。

だからこそ、私はファイナンスに惹かれたのだと思う。

ファイナンスは、目的ではなく道具である

ファイナンスは、未来を考えるための道具だ。

将来生み出されるキャッシュフローを考え、不確実性をリスクとして捉え、投資とリターンを比較する。

MBAでファイナンスを学び直したことで、その考え方は以前よりずっと自分の中に定着した。

ただ、半年経った今は、もう一つ考えている。

ファイナンスそのものが目的なのではない。

私が本当に関心を持っているのは、その道具を使って「価値」をどう見つけ、どう育て、どう次につないでいくか、なのだと思う。


企業の価値を考えるうえで、キャッシュフロー、リスク、成長性という視点は今でも重要だ。

でも、自分が惹かれている「価値」は、それだけでは説明しきれない。

数字にはまだ表れていない技術がある。

長年積み重ねてきた顧客との関係がある。

会社の中に眠っているノウハウがある。

地域に残っている産業や文化がある。

誰かが受け継がなければ消えてしまうものもある。

それらを見つけ、経済的な価値として発揮できる状態にし、次の人や次の世代へつないでいく。

最近になって、自分が企業再生や事業承継、地方企業に惹かれてきた理由も、このあたりにあるのではないかと思うようになった。

そして、AIをはじめとする新しいテクノロジーに関心を持つのも、同じなのかもしれない。

今まで人手やコストの制約でできなかったことが、技術によってできるようになる。埋もれていた価値を引き出す方法が増える。

ファイナンスも、会計も、テクノロジーも、私にとっては目的ではない。

価値を見つけ、育て、つなぐための道具なのだと思う。

考えたことを、考えたまま残しておく


仕事をしていると、いろいろなことを考える。

経営者と話したとき。企業の数字を見たとき。うまくいかなかった仕事を振り返ったとき。本を読んだとき。誰かと議論したとき。

その瞬間には、「これは大事なことかもしれない」と思っている。

でも、ほとんどは忘れてしまう。

だから、このnoteに残しておきたい。

完成された答えではなく、その時点で自分が何を見て、何を感じ、どう考えたのかを。

今の自分が正しいと思っていることも、数年後には変わっているかもしれない。それでいいと思っている。

むしろ、変わっていくからこそ、その時点で考えていたことを残しておきたい。

過去の記事を読み返して、「今は少し違うな」と感じることもある。

今回、この文章を書き直していること自体がそうだ。

半年前の自分が間違っていたわけではない。ただ、半年間考えたり、書いたり、経験したりする中で、少しだけ見えるものが増えた。

だったら、その都度書き直せばいい。

その変化も含めて、記録なのだと思う。

専門家としてではなく、一人の実務家として


このnoteでは、仕事のことも多く書く。

会計、ファイナンス、企業再生、事業承継、M&A、デューデリジェンス。最近では、AIについて考えることも増えた。

ただ、何かを体系的に教えるための場所にはしたくない。

もちろん、自分なりに専門性を持って仕事をしているつもりではいる。

一方で、MBAへ行って強く感じたのは、自分が知っていることなど、ほんの一部分に過ぎないということだった。

経営戦略にも、マーケティングにも、人や組織にも、オペレーションにも、それぞれ専門家がいる。

ファイナンスについても、学べば学ぶほど知らないことが出てくる。

だから、ここで書くのは「正解」ではない。

一人の実務家として、企業や経営に関わる中で考えたことを書く。

うまくいったことだけではなく、失敗したことも書く。

分からなかったことや、後から考えが変わったことも、できるだけそのまま残したい。

仕事以外のことも書く


そして、このnoteには、仕事とは直接関係のないことも書く。

子どもの頃のこと。田舎で育ったこと。家族のこと。自分が何に惹かれ、何を嫌い、どんなことを大切にしているのか。

以前は、こういう話と仕事の話は別のものだと思っていた。

でも最近は、そうでもない気がしている。

なぜ企業再生に惹かれたのか。なぜ地方企業が気になるのか。なぜ、なくなりそうなものを見ると「もったいない」と感じるのか。なぜ新しい技術に可能性を感じる一方で、変わるべきなのに変わらないことに強い違和感を覚えるのか。

仕事上の選択も、突き詰めれば、自分がこれまで何を見てきたのか、どんな環境で育ったのか、何を大切にしているのかと無関係ではないのだと思う。

だから、あまり境界をつくらずに書いてみたい

自分を理解するために書く

こうして考えると、このnoteは誰かに自分を知ってもらうための場所である以上に、自分が自分を理解するための場所なのかもしれない。

なぜ、あのときあの選択をしたのか。

なぜ、この仕事には強く惹かれるのに、別の仕事にはあまり心が動かないのか。

これから何をやりたいのか。

自分は、何を大切にして生きたいのか。

頭の中だけで考えていると、なかなか分からない。

でも、文章にしてみると、少しずつ輪郭が見えてくる。

半年間書いてきて、ようやく「価値を見つけ、育て、つなぐ」という言葉にたどり着いた。

これも完成形ではない。また変わるかもしれない。

それでも今は、この言葉が、自分がこれまでやってきたことと、これからやりたいことを、一番うまくつないでくれている。

思考と経験のログとして


最初の記事に書いた言葉に戻る。

このnoteは、思考と経験のログである。

その考えは、半年経った今も変わらない。

ただ、その「ログ」に残したいものが、少し分かってきた。

仕事で得た知識だけではない。成功したことだけでもない。

迷ったこと。失敗したこと。考えが変わったこと。昔の記憶。今になって意味が分かってきた経験。

そういうものを一つずつ書いていく。

そして何年か経ったときに読み返して、「あの頃は、こんなことを考えていたのか」と思えれば、それでいい。

もしかすると、たくさんの記事を書いた先で、自分でも気づいていなかった一本の線が、もっとはっきり見えてくるかもしれない。

そのために、これからも書いていこうと思う。

これは、2026年夏時点の「なぜ、このnoteを書くのか」である。