#51 “泣き伏す夫”と“照らす私”——モラハラコント劇場
「アズちゃん、最近……僕のこと無視してない?」
食後の片づけをしていたとき、元夫がそっと近寄ってきた。
恐る恐る、といった感じで。
顔は笑っていたけれど
目は笑っていなかった。
私は反射的に息を止めた。
黙ってコップを洗い続けた。
気まずい沈黙。
——そのとき、何かがぷつんと切れた。
⸻
「あのさぁ、風俗……行ってるやんな?」
うっかり、直球を投げた。
元夫の顔から、色が引いた。
「えっ……」と小さく呻いたあと、
「いや、行ってないで」
と目を泳がせながら否定した。
⸻
リサコのアドバイスが頭をよぎった。
「別れるって決めてないなら、全部突きつけないほうがいい。逆ギレされるから」
私は深呼吸し、あえてトーンを落とした。
少しだけ、声が上ずった。
「なんか、手帳に書いてたの……ちょっと見えたんやけど。あと、ポイントカードが床に落ちてて」
——全部見たとは言っていない。
“ポイントカードが落ちてて”は、適当な嘘。
でも、“察してるよ”という圧だけは、確実に伝わる言い方を選んだ。
元夫は顔をこわばらせ、「行ってへん、ほんまに」と繰り返したあと、なんと
床に突っ伏して泣き始めた。
——とりあえず泣き伏すの
やめてもらっていいですか?!
「僕のこと、信用できんのか!
ひどいわ、ひどいわ!」
……は?
信用なんか出来るわけないやろ。
あんな詳細に点数まで書いてて、よく言うな。
自分から証拠を残しておいて、どの口が?
口、縫うぞ。
⸻
私はドン引きしていた。
これ、何のコント?
「独身の頃は行ったことあるで、付き合いで」
元夫は顔を上げ、釈明を始めた。
派手に泣いていた割には、涙は出ていない。
「付き合いで、風俗?……へえー…初めて聞いたわ、ずいぶん民度の低い職場やね。
悪いけど、そういう文化、理解できんわ」
言葉で線を引いた。
私とあなたは違う、と。
わざとらしく首を傾げた。
ものすごく意地の悪い顔になっていたと思う。
元夫の顔が引きつった。
⸻
「若いときの話や。結婚してからは
ほんまに1回も行ってない。
アズちゃんがおるのに、行くわけないやろ?」
——いつもの“誠実ぶった口調”。
⸻
元夫は何か勘違いをしているようだ。
浮気云々とか、嫉妬とか
そんなことはどうでもいい。
「もし、私がおかしな病気に感染してたら
——感染源は100%あなたやから。
言い訳も聞かへんし、傷害罪で訴えるし
職場にも言うし、責任取ってもらうから」
それだけ言って、背を向けた。
「……行ってへん言うてるやん……」
元夫の声は小さく、弱々しかった。
「怒らせたらヤバい」って思ってるな。
それだけで、もう十分だった。
⸻
“どこまで知っているか測れない不気味さ”
が伝わっていれば、それでいい。
⸻
数日後。
元夫が朝風呂に入っている間に
カバンの中の手帳を確認した。
風俗の記録があった場所に
綺麗に修正テープが貼られていた。
iPhoneのライトで裏から照らす。
文字がくっきりと浮かび上がった。
——ほんま、アホやな。
⸻
この「裏から照らす」方法は
パート先の同僚・シノザキさんが
教えてくれたものだ。
私は鼻で笑い、手帳を元通り、
カバンの底へ戻した。
———
ちなみに、その翌月は私の誕生日だった。
元夫は、機嫌を取っておきたかったのか
10万円のネックレスをプレゼントしてきた。
ネックレス自体は素敵だったが、繊細なチェーンは、骨格ストレートの私には似合わなかった。
そして、私にはネックレスを着ける習慣はない。
頚椎を傷めたことがあり、ひどい肩凝り持ちなので、首周りに何かがあると気になるのだ。
プレゼントされた経緯が微妙だったし、
つける機会は少なかった。
——離婚成立後、私はそのネックレスを
フリマアプリで売り飛ばした。
2万円弱で、売れた。
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