評価制度をやめて『社畜』がいない職場を作ってみた| スタッフを「管理」するのをやめて「推し活」してる社長のnote ep.3
どうも、本と失敗からしか学べない男:タルイです。
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では、ここからスタートです。
突然ですが、あなたは「A5ランク」をご存じでしょうか。
そうです。牛肉の最高ランクとして知られる、サシのきれいに入ったA5和牛です。
では、豚にも等級があることをご存じでしょうか。
上から、極上・上・中・並・等外。
牛のようなアルファベットではなく、漢字で刻まれます。
鶏にも、品質や重量、銘柄などによる規格があります。
牛も、豚も、鶏も。人間は、生き物に等級をつけたがります。
肉づき、脂の乗り、締まり具合。人間が「何をよしとするか」を決め、その物差しに合わせて、一頭ずつ、一羽ずつ順位をつけていく。

今回お伝えしたいのは、この「等級」の話です。
ただし、肉の話ではありません。
会社で働く、人間の話です。
私の結論からお伝えします。
評価制度とは、人を社畜に変えていく仕組みだと思っています。
うちの店には、評価制度がない
うちの店には、社員を対象とするような人事評価制度がありません。
施術を担当するセラピストは、店に雇用される従業員ではなく、それぞれ独立した事業者として、店と業務委託契約を結んでいます。
セラピストには担当した施術料金の50%を、業務委託報酬として支払う。
査定なし。
等級なし。
「今期のあなたはB評価です」
そんなことを告げる面談もありません。
施術料金が1万円なら、報酬は5,000円。
2万円なら、1万円。
担当した施術と報酬の関係が、最初から明示されている。
それだけです。
透明で、明快で、誰にでもわかる。
つまり、雇うことをやめてみたのですが、
なぜ、こんな仕組みにしたのか。この件はまたいつかお話するとして
そもそも評価制度は何のために広がったのか、というところからお話したいと思います。
成果主義は、やる気を引き出すためだけに広がったのではない
「成果を出した人に、多く払う」
これを、成果主義といいます。
頑張った人が報われる。
成果を出した人の給料が上がる。
公平で、まっとうな話に聞こえます。
では、なぜ成果主義は、日本の会社に一気に広がったのでしょうか。
広がったのは、バブル崩壊後の1990年代です。
日本中の会社が、業績の悪化に苦しんでいた時期でした。
当時、会社が抱えていた問題は、社員のやる気だけではありません。
人件費です。
昔ながらの年功序列では、勤続年数が長くなるほど給料も上がっていきます。
売上が落ちても、利益が減っても、人件費は簡単には下がりません。
会社にとって、その負担は重くなっていました。
そこで登場したのが、成果主義です。
「成果を出した人に払う」
これは裏を返せば、
「成果を出していないと判断した人には、払わない」
ということでもあります。
限られた人件費を、誰に、いくら配るのか。
その線引きに使われたのが、評価制度でした。
評価制度には、社員のやる気を引き出すという表の顔と、人件費の伸びを抑えるという裏の顔があったのです。
旭リサーチセンターの報告書『成果主義の光と陰』にも、成果主義には、人件費全体の伸びを抑えながら配分に差をつける側面があったと記されています。
興味深いのは、企業へのアンケート結果です。
導入理由として「従業員のやる気を引き出すため」と答えた企業は78%。
一方、「人件費削減のため」と答えた企業は、わずか9%でした。
多くの会社は、
「人件費を減らしたい」
とは正面から言いませんでした。
表向きには、やる気。
その裏側には、コスト。
評価制度は、その二つの顔を持って広がっていったのです。

評価していたのは、仕事ではなく「人」だった
もう一つ、評価制度には大きな問題があります。
何を評価しているのか、という問題です。
評価されるのは、必ずしも仕事の中身だけではありません。
主体性。
積極性。
協調性。
将来性。
リーダーシップ。
言葉だけを見ると、どれも立派です。
しかし、どうやってこれらを正確に測るのでしょうか?
結局は、
「あの人は頑張っている気がする」
「あの人には主体性が足りない」
「なんとなく扱いづらい」
そんな印象を、上司が点数に変えることになります。
仕事そのものではなく、その人全体を評価しようとする。
そこには、評価者の主観がたっぷり入り込みます。
上司の好み。
その日の機嫌。
社内政治。
目立つか、目立たないか。
かわいげがあるか、ないか。
そんなものまで、給料に影響してしまう。
あいまいで、さじ加減次第で、もめるに決まっている仕組みです。
等級は、その人の価値を示していない
冒頭のA5ランクを思い出してください。
牛では、脂肪交雑、いわゆるサシなどが重視されます。
豚では、肉の締まりや厚さなど、別の基準が使われます。
同じ肉でも、評価する側が何を求めるかによって、良し悪しの基準は変わります。
人の評価も同じです。
ある会社では、慎重な人が、
「丁寧で信頼できる」と評価される。
別の会社では、
「判断が遅い」と評価される。
ある上司には、
「自分で考えて動ける人」と見られる。
別の上司には、「勝手なことをする人」
と見られる。
本人は、何も変わっていません。
変わったのは、見る側の物差しです。
つまり、等級は、その人の価値を表しているのではありません。
評価する側が、いま何を求めているか。
何を都合よしとしているか。
その基準を映しているだけです。
等級とは、評価される側の価値ではなく、評価する側の都合を映す鏡なのです。
牛や豚に等級をつけるのは、売るためです。
では、人に等級をつけるのは、何のためなのでしょうか。

世界でも、ランク付けをやめる企業が現れた
人をA・B・Cとランク付けする評価を見直す動きは、海外でも起きています。
「ノーレイティング」と呼ばれる流れです。
GE、マイクロソフト、アドビなどの企業が、年に一度のランク付けをやめ、日常的な対話やフィードバックを重視する仕組みに移行しました。
象徴的なのが、GEです。
GEはかつて、社員をいくつかの区分に振り分ける評価制度を広めた側の企業でした。
そのGEが、自ら年次評価の仕組みを見直した。
もちろん、評価という行為そのものを完全になくしたわけではありません。
年に一度、人間に札を貼る方式をやめ、日常の対話へ切り替えたということです。
それでも、大きな変化です。
人間を上・中・下に分類する方法には、どうやら無理がある。
成果主義の本家も、そのことに気づき始めたのです。
一時期、「360度評価」も流行りましたよね。
上司だけでなく、同僚や部下からも評価を集める仕組みです。
一人で決めるより、みんなで見たほうが公平に思えます。
でも、私はこれも、本質的には同じだと思っています。
評価する人が、一人から全員に増えただけです。
上からも、横からも、下からも採点される。
逃げ場がなくなります。
問題は、誰が評価するかではありません。
人を採点し、分類し、その点数によって扱いを変えることです。
アメとムチは、人を家畜にする
評価制度の本質は、アメとムチです。
高い評価というアメ。
低い評価というムチ。
それを使って、人を動かそうとします。
短期的には、効きます。
評価されたいから頑張る。
給料を下げられたくないから従う。
しかし、それを続けると、人は「評価されること」そのものを目的にするようになります。
お客さまのためではない。
仲間のためでもない。
自分が納得できる仕事をするためでもない。
上司から評価されるために動く。
アメを追いかけ、ムチに怯える。
エサをぶら下げ、柵の中で走らせる。
人を「放っておけばサボる存在」だと決めつけ、外側から管理する。
評価制度は、その柵を数字に置き換えたものです。
社畜化は、経営者と働き手の合作である
ただし、この柵をつくっているのは、経営者だけではありません。
経営者が、外側に評価という柵をつくる。
そして働く側も、その柵を、自分の内側に取り込んでいきます。
「もっと評価されなければ」
「認められなければ」
「同期より上に行かなければ」
誰かに言われなくても、自分で自分を採点し、追い立てるようになります。
社畜化は、経営者と働き手の合作です。
一方には、
「もっと評価してくれ」
「もっと給料をくれ」
と欲しがる人が生まれる。
もう一方には、
「評価を上げてほしければ、これをやれ」
「あれもやれ」
と命令する人が生まれる。
与えることより、奪うこと。
協力することより、操作すること。
そんな人間関係が、制度によって育っていきます。
それは、働く人の性格が悪いからではありません。
そういう行動を取るように、仕組みがつくられているのです。
私自身、かつては評価と管理で人を動かそうとして、盛大に失敗しました。

だから、人の価値を査定して報酬を決める人を消した
評価制度をやめる。
突き詰めると、それは一つのことです。
人の価値を査定し、そのさじ加減で報酬を変える人を消す。
誰かが誰かを値踏みし、その判断によって、お金の配分を変える。その仕組みをなくす。
うちの店が、担当施術料金の50%を業務委託報酬として支払っているのは、そのためです。
店側の機嫌も、好き嫌いも入りません。
誰かに気に入られたから増えることもなければ、気に入られないから減ることもない。
あらかじめ合意した条件に沿って、担当した施術に対する報酬が決まる。
だから、明快です。
私は、この仕組みを二つの言葉で考えています。
ノーレイティング。
ノンジャッジメント。
等級をつけない。
人の良し悪しを、簡単に裁かないという意味です。
人間が線を引くから、優劣が生まれる
これは、私の思いつきではありません。
もっと古い教えの仏教と道教にも、よく似た考え方があります。
仏教には、「無分別智」という言葉があります。
「良い・悪い」
「正しい・間違っている」
という区別にとらわれず、物事をあるがままに見る智慧です。
人は、言葉で札を貼ります。
「あの人は優秀」
「あの人は使えない」
「あの人は伸びる」
「あの人は問題がある」
そして一度貼った札を通して、その人を見るようになります。
いつの間にか、札が、その人自身に見えてしまうのです。
老子の『道徳経』にも、よく似た話があります。
世の中の人が「これが美しい」と決めた瞬間に、「醜い」が生まれる。
「これが善い」と決めた瞬間に、「悪い」が生まれる。
美と醜。
善と悪。
上と下。
それらは最初から世界に存在しているのではなく、人が線を引くことで生まれます。
「A5」も、「極上・上・中・並」も、牛や豚が最初から持っていた価値ではありません。
人間が、売るために引いた線です。
同じように、
「優秀な社員」
「普通の社員」
「評価の低い社員」
という区別も、組織が管理のために引いた線です。
線を引くから、優劣が生まれる。
優劣が生まれるから、人は怯え、争い、すり減っていく。
だったら、線を引くのをやめればいい。
海外のノーレイティングが外したのが「札」だとすれば、私は「札を貼り、報酬をさじ加減する人」まで外したかった。
だから、担当施術料金の50%を、業務委託報酬として支払う仕組みにしました。

評価を、欲しがらないでほしい
ここまで、評価する側の話をしてきました。
最後に、評価される側の話をします。
私が、店と関わるセラピストに伝えたいること。
それは、
「評価を、欲しがらないでほしい」
ということです。
褒められたい。
認められたい。
その気持ちは自然です。
でも、他人の評価を人生の軸にすると、人は他人の顔色でしか動けなくなります。
店側の評価。
同業者の評価。
お客さまの口コミ。
SNSの反応。
他人が持っている物差しに、自分の価値を預けてしまう。
それは、とても不自由な生き方です。
誰かに等級をつけてもらうためではなく、自分が「これでいい」と思える仕事をしてほしい。
その積み重ねは、結果としてお客さまに伝わります。
周囲にも伝わります。
評価は、追いかけるものではありません。
あとから、ついてくるものです。
人の価値を査定する仕組みをなくしたのは、一人ひとりが他人の物差しではなく、自分の物差しで立つためでもあります。

私が見ているのは、たった一つ
……と、ここまで「評価をやめた」と散々書いてきましたが、最後に白状します。
私にも、契約関係を続けるうえで確認していることがあります。
等級ではありません。
売上でもありません。
技術の点数でもありません。
その人が、テイカーかどうかです。
テイカーとは、奪う人です。
「もっとくれ」
「もっとよこせ」
と、受け取ることばかりを求める人。
うちでは、「クレクレ星人」と呼んでいます。
あるいは、
「あれをやれ」
「これをやれ」
と、人を思いどおりに動かそうとする人。
こちらは「ヤレヤレ星人」です。
与えることをせず、奪うことばかりを考える。
私が見ているのは、その一点です。
ただし、これは人間の価値に等級をつけるための評価ではありません。
対等な事業者として、関係を続けられるかどうかの境界線です。
他人から一方的に奪うことを前提にしている相手とは、対等な関係は成り立ちません。
A5か、B4かではない。
売上が上か下かでもない。
自分の都合だけを押しつける人か。
互いに与え合える人か。
テイカーでさえなければ、私はその人を全力で推し活します。
応援する。
支える。
機会をつくる。
その人が自分の軸で花開くのを、隣で見守る。
等級をつけるためではありません。
誰かと比べるためでもありません。
評価をやめるというのは、契約上の判断まで放棄することではない。
成果によって、人間としての価値を決めるのをやめるということです。
私が見るのは、奪う人か、与える人か。
それだけ。
あとは全部、推し活です。

【最後に】 抑制から、分配へ
一般的な評価制度と、うちの仕組み。
二つは、経営者の視線が正反対を向いています。
評価制度は、人件費をどこまで抑えるかを考える仕組みでした。
うちの仕組みは、施術によって生まれた売上を、どこまで施術者本人に還元できるかを考える仕組みです。
抑制から、分配へ。
向いている方向が、180度違います。
現在は、担当施術料金の50%を、業務委託報酬として支払っています。
将来は、これを60%に近づけたいと考えています。
ムダな作業を減らす。
AIを使い、予約管理や事務作業にかかるコストを減らす。
店側の負担を軽くする。
そうして生まれた余白を、店がすべて抱え込むのではなく、施術という価値を直接生み出しているセラピストの委託報酬へ還元していく。
効率化によって生まれた利益を、誰が受け取るのか。
そこに、経営者の思想が現れます。
店側が抱え込むのか。
価値を生み出した人へ返すのか。
私は、返したい。
評価制度をやめるとは、セラピストを見なくなることではありません。
人を点数として見るのをやめることです。
人を、肉のように格付けしない。
人を、人として見る。

私は、評価制度をやめました。
しかし、それだけでは、まだ半分でした。
人の価値を査定する仕組みをなくしても、人を数字で追い立てる仕組みが残っていたからです。
それが、目標管理でした。
次は、その目標管理をやめた話を書きます。
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