『利益はウンチである』 目標管理をやめて、人を数字で縛らない店にした話 | スタッフを「管理」するのをやめて「推し活」してる社長のnote ep.4
数字で縛る「管理」を捨て、人を信じる経営へ。
どうも、本と失敗からしか学べない男、タルイです。
私については、こちらをご覧ください。
本日お伝えする内容はコチラです。

先にお詫びしておきますが、今回は下品な表現が多くてすみません。
では早速、本題にいきましょう!
「目標管理」をやめてみた
前回、私は「評価制度をやめた」という話を書きました。
人に点数をつけ、その点数によって給料や扱いを変える。
そんな仕組みを、うちの店には持ち込まないと決めました。
うちの店で施術を担当するセラピストは、雇用される従業員ではありません。それぞれが独立した事業者として、店と業務委託契約を結んでいます。
担当した施術に対して、あらかじめ合意した割合の報酬を支払う。
だから人間としての価値を査定し、評価によって報酬をさじ加減する仕組みはありません。
けれど、評価制度をやめるだけでは不十分でした。
最後に人を採点する仕組みをなくしても、その採点材料を一年かけてつくらせる仕組みが残っていたからです。
それが、目標管理です。
評価制度が「最後に採点する仕組み」だとすれば、目標管理は「採点材料を一年かけて提出させる仕組み」です。
だから、目標管理もやめました。
この話を書くことは、私にとって簡単ではありません。
私はコンサルタントとして働いていた20年間、評価制度をつくり、目標管理を設計し、それを企業に売ってきたからです。
その自分に向かって、いま、
「あれは間違いだった」
と言っているからです。
なかなかしんどい作業ですが、私の結論を書きます。
目標管理は「あなたを信じていません」と伝える仕組みです。

目標を持つこと自体が悪いわけではありません。
問題は、多くの会社の目標管理が、
「人は放っておいたらサボる」
という不信を前提にしていることです。
だから、数字で縛る。進捗を確認する。達成率を測る。最後に点数をつける。
会社の資料には、よくこんな文章が書かれています。
「目標設定、進捗管理、最終評価、次期目標というサイクルを再確認し、PDCAを回す習慣を職場全体に根づかせる」
いかにも正しそうな一文です。かつての私も、こういう文章を平気で書いていました。
でも、「根づかせる」という言葉が出た時点で、それは本人が自分の意思で行うものではなく、上から植えつけるものになっています。
しかも、サイクルの終着点は評価です。
管理される側からすれば、一年中カメラを向けられているようなものです。

MBO、OKR、KPIは、評価とつながった瞬間に壊れる

目標管理には、MBO、OKR、KPIという代表的な道具があります。
まず、MBO。
目標の達成度が人事評価や報酬に直結すれば、人は達成できそうな目標を立てます。
高い目標に挑戦して届かなかった人より、低い目標を確実に達成した人の評価が上がる。これでは、挑戦した人ほど損をします。
しかも、目標シートには数字にしやすい仕事ばかりが並びます。
後輩を助ける。困っている人に声をかける。散らかった場所を片づける。機嫌よく働く。
どれも組織を支える大切な仕事ですが、数字になりにくいため評価されません。
評価されない仕事は、少しずつ誰もやらなくなります。
次に、OKR。
OKRは本来、野心的な目標に挑戦し、どこまで前進できたかを共有するための仕組みです。普及に大きな役割を果たしたジョン・ドーアも、報酬とは切り離して扱う考え方を示しています。
ところが、未達によって評価や報酬が下がるなら、誰も安心して高い目標には挑戦できません。
結局、達成できる目標を立てるようになります。名前がOKRに変わっただけで、従来のMBOと同じです。
そして、いちばん怖いのがKPIです。
KPIは仕事の状態を測る指標ですが、数字がいつの間にか仕事の目的にすり替わることがあります。
うちの商売で言えば、客単価だけを追えば、必要のない商品まで勧める圧力が生まれます。
回転率だけを追えば、施術を早く終える圧力が生まれます。リピート率だけを追えば、回数券や次回予約を強く勧めるようになります。
つまり、数字を良くしようとするほど、お客さまの体験が悪くなっていく。
完全に本末転倒です。
私たちが大切にしている「ゆるむ」や「巡る」は、簡単には数字にできません。
けれど、数字にできないものこそ、私たちの仕事の本質です。
MBOもOKRもKPIも、道具そのものが悪いわけではありません。
評価や報酬と強く結びついた瞬間、自己管理の道具から、支配の道具へ変わります。
評価制度と目標管理は、別々の制度ではありません。
同じ不信から生まれた双子なのです。

このことに気づかせてくれたのは、これから紹介する2冊の本でした。
私は、本と失敗からしか学べない男です。
今回も、そうでした。
ドラッカーが目指したのは、管理ではなく『自己管理』だった
1冊目は、マネージメントの神様:ピーター・ドラッカーの『現代の経営』です。
ドラッカーが提唱した考え方は、英語で、
「Management by Objectives and Self-control」
と表現されています。
日本語版の章題は、「自己管理による目標管理」です。
大切なのは、後半の「自己管理」です。
目標とは、上司が部下を縛るためのものではありません。
本人が「ここを目指そう」と決め、自分の仕事ぶりを確かめ、自分で軌道を修正するための道具です。
ドラッカーは、目標管理の利点を、
「支配によるマネジメントを、自己管理によるマネジメントに代えること」
だと述べています。
つまり、ドラッカーが目指したのは、上から命令し、監視するマネジメントを終わらせることでした。
ところが日本では、バブル崩壊後の1990年代以降、成果主義的な人事制度が広がり、その成果を測る手段として目標管理が評価と強く結びついていきました。
「立てた目標を、どれだけ達成したか」
それが、成果を測る便利な物差しになったのです。
こうして目標は、自己管理の道具ではなく、評価の道具になりました。
私は最初、翻訳の途中で「自己管理」という大切な言葉が抜け落ちたのだと思っていました。
しかし、日本語版にもきちんと書かれています。
翻訳は守っていた。
魂を抜いたのは、現場です。
そして、かつての私でした。
部下に目標を書かせ、達成度を評価し、その結果によって給料を決める。
神様の教えを都合よく変えた仕組みを、飯の種にしていたわけです。

さて、多くの目標管理は利益から逆算して計画されます。
来期の利益目標が決まる、そこから必要売上が割り出される、店舗別・個人別に按分される、月次・週次・日次のノルマに砕かれる。
大体、こんな感じです。
ではここで一緒に考えてください。
この利益とは一体なんなんでしょう?
利益は「ウンチ」である

もう1冊は、伊那食品工業の塚越寛氏が書いた『リストラなしの「年輪経営」』です。
私は塚越氏を、勝手に「日本のドラッカー」と呼び、心から尊敬しています。
塚越氏は、利益を「ウンチ」にたとえています。
排泄するために食事をする人はいません。
健康になるために食べ、健康であれば結果として自然に排泄される。
会社も同じです。
稼いだお金を、社員の給料や研究、設備、社会貢献といった「栄養」として行き渡らせる。そのうえで残ったものが利益です。
つまり、
「利益を出してから、一部を人に還元する」
のではありません。
「人や会社に必要なものを行き渡らせたあと、残ったものが利益である」
という考え方です。
せっかく社員みんなで利益を出しても、社長が経費でさんざん飲み食いして遣ってしまい、「利益が社長のウンチ」になってしまう会社もあります。
こういう社長は文字通り「クソ社長」で名称統一しましょう。
目的を履き違えてはいけません。順番が、逆なのです。
塚越寛さんの「利益はうんこ」は、この矢印をひっくり返す言葉です。利益は大切です。なければ会社は続きません。しかし利益は目的ではなく、会社が健康である証拠として、あとから出てくる結果です。
ところが多くの事業計画は「いくら利益を残したいか」から始まります。そこから売上を割り出し、販売数を逆算する。今月はあといくら足りない。だから売ろう、値引きしよう、回数券を勧めよう。
これ、ウンチの量を先に決めて、食事を逆算しているのと同じです。健康な体なら自然に出るものを、無理やり搾り出そうとしている。
この逆算が、良くないのです。
ミスドが100円セールで教えてくれたこと
値引きについて考えるとき、私が思い出すのが、ミスタードーナツの100円セールです。
運営会社のダスキンは、2016年に100円セールを廃止しました。その後は、安さではなく、商品や体験に新たな価値を加える方向へ転換しています。
値引きには、人を集める力があります。
一方で、繰り返せば、
「この店は、待てば安くなる」
と覚えられてしまいます。
セールの日には来るけれど、通常価格の日には来ない。やがて、通常価格で販売しているだけなのに「今日は高い」と感じられるようになる。
値引きは、お客さまを呼ぶだけではありません。お客さまの価格感覚もつくっています。
だから、値引きをやめるだけでは足りません。
おいしさ、体験、雰囲気、接客。その店を選ぶ意味を、安さ以外につくり直す必要があります。

健康な会社なら、利益は結果として出る。
なのに昔の私は、出ないウンチを無理やりひねり出そうとして、セールという浣腸を打つことばかり考えていました。
私はとんでもないスカトロ野郎だったのです。
自分で書いていて情けなくなりますが、事実なので仕方ありません。

人を目標で縛り、客を値引きで縛る
本当に怖いのは、目標や回数券、値引きセールそのものではありません。
その奥にある発想です。
放っておいたら、働く人は動かない。だから、目標を与え、進捗を監視し、評価でコントロールする。
放っておいたら、お客さまは戻ってこない。だから、値引きで釣り、回数券で囲い込み、次回予約を取る。
内側と外側で、やっていることは同じです。
相手を信じられない経営者は、働く人を目標で縛り、お客さまを仕組みで縛ります。
不信は、内にも外にも向くのです。
もちろん、回数券も次回予約も、それ自体が悪いわけではありません。
お客さまにとって便利で、本当に必要な提案なら、立派なサービスです。
問題は、
「戻ってきてもらわなければ困る」
という店側の不安を、お客さまに背負わせることです。
評価制度をやめたのは、人を値踏みしないためでした。
目標管理をやめたのは、人を数字で縛らないためです。

目標の代わりに、目的を共有する
では、目標管理をやめて、何をしているのか。
数字の目標を上から与える代わりに、店として大切にしたい目的を共有しています。
お客さまに、どんな時間を過ごしてほしいのか。施術を受けたあと、どんな気持ちで帰ってほしいのか。この店を、どんな場所にしていきたいのか。
私たちが共有するのは、そこです。
売上をいくらつくるのか。月に何人を担当するのか。商品を何個売るのか。
そうした数字を、店側から個人目標として与えることはありません。
どれだけ予約を受けるのか。どんな技術を磨くのか。どんな働き方を選ぶのか。
それは、それぞれが自分で決めることです。
店側にできるのは、目指す方向を共有し、本人の意思を聞き、必要な協力をすることだけです。
予約の受付枠を広げたいなら、掲載を調整する。新しい施術を知ってもらいたいなら、告知を手伝う。技術を学びたいなら、必要な情報や機会をつなぐ。
店の数字に人を合わせるのではありません。
その人が進みたい方向に対して、店ができることを差し出す。
目標管理では、経営者が数字と答えを握ります。
目的の共有では、目指す方向だけをそろえ、そこまでの道は本人に任せます。
前者は、「人は管理しなければ動かない」という考え方です。
後者は、「人は、自分で考え、自分で決められる」という考え方です。
私は、後者を信じることにしました。
これが、「推し活経営™︎」のキモです。
数字は、人を縛るためではなく、現実を知るために見る
もちろん、数字をまったく見ないわけではありません。
売上も、予約数も、リピート率も、店を続けるために必要な情報です。
ただし、数字は人を縛るノルマではありません。
いま店で何が起きているのかを知るための情報です。
数字を見て、人を責めない。
数字を使って、人を競わせない。
数字のために、お客さまへ不要なものを勧めない。
数字が悪ければ、人を疑うのではなく、まず仕組みを疑います。
予約ページが分かりにくいのかもしれない。
店の魅力が伝わっていないのかもしれない。
メニューが複雑なのかもしれない。
そもそも、提供している価値が足りないのかもしれない。
数字は、犯人を捜すために見るのではありません。
現実から学ぶために見るのです。
それに現在は、外資系企業からクロード、ジェミニ、チャッピーという優秀な3名を社外取締役に迎え、以前より精度の高い分析ができるようになりました。
もちろん、報酬は一人月3,000円程度です。

ただし、誰でも無条件に信じるわけではない
こう書くと、
「人を信じて、すべて任せればうまくいく」
という綺麗事に見えるかもしれません。
もちろん、現実はそんなに甘くありません。
受け取ることばかりを考えるクレクレ星人。
自分では動かず、「周りが動かない」と不満ばかり口にするヤレヤレ星人。
そういう人まで無条件に受け入れれば、信頼して働く人のほうが消耗します。
信頼を基盤にした経営には、誰と一緒に仕事をするのかを選ぶ覚悟が必要です。
これは、人に点数をつけて順位を決めることとは違います。
技術が高いか。売上が多いか。店の言うことを聞くか。
そういう査定ではありません。
見るのは、関係のあり方です。
受け取るだけではなく、自分からも与えられるか。
困っている人に自然と手を差し出せるか。
受けた恩を、次の誰かに送れるか。
信頼を一方的に食い潰す関係とは、距離を置く。
人に与え、応援し、恩を次へ送れる人と仕事をする。
そして、そんな人たちを店が全力で応援する。
私は、それを「推し活経営™︎」と呼んでいます。
人を監視して動かすのではありません。
信頼できる人を見つけ、その人が力を発揮できるよう、経営者が推すのです。
目標管理をやめるには、制度を捨てるだけでは足りません。
誰と働くのか。
誰を応援するのか。
どんな関係を店の中につくるのか。
そこまで決めて初めて、目標管理のない組織が、綺麗事ではなく現実になります。

目標をなくしたのではなく、不信をやめた

目標管理をやめるというのは、目標をなくして、みんなで怠けることではありません。
上から数字を握り、人を縛るやり方をやめるということです。
人は、監視しなければ動かない。
お客さまは、囲い込まなければ戻ってこない。
そんな不信を、経営の前提にするのをやめる。
目的は共有しても、目標は押しつけない。数字は見ても、数字のために人や仕事を壊さない。
お客さまにまた来てもらいたいなら、また来たいと思える時間をつくる。
管理を減らして、信頼を増やす。
前回、私は評価制度をやめました。
今回は、目標管理をやめました。
二つをやめて、ようやく気づきました。
私が本当にやめたかったのは、制度ではありません。
人を信じない経営だったのです。
神様の教えを都合よく変えた仕組みで飯を食っていた男が、20年かけて、ようやくドラッカーの「自己管理」に戻った。
ただ、それだけの話なのかもしれません。

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