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100万倍も雄弁すぎた


「むー君には、これからの夢ってあるの?」

このたった一言、尋ねることに、随分逡巡した。
三か月くらい、心の準備が必要だった。

心の奥で大事に思うことほど、少しずつ口にするのが重くなった。ずっと伝えたくて、言えなくて、飲み込んで。お風呂の中でも練習する。練習してるだけなのに、声が震える。喉がつっかえる。涙がにじむ。そんな時間が、私をますます小さくした。


私の求めている温度と、彼の求めている温度が何か違う気がする。そう思うようになって、体感では半年くらい経過していた。

1ミリでもいい。
彼との関係を、よみがえらせたかった。


家にある枯れそうなローズマリー。
水をあげてみる。日に当ててみる。寒いんじゃないかと外から室内に移してみる。そっと、手をかざしてみる。がんばれ。
また、そのうち息を吹き返すんじゃないか。

…彼は、どうなんだろう。 


以前はよく、心の世界の話をしていた。

「この身体は、死んだ後まで持っていけないからさ」
寝る前にチャットすると、そんな話になった。
寝転んで、眼鏡をずり上げてポチポチ、スマホをいじる彼の様子が浮かんだ。


・・・だから、いい人間になりたい。人生は、心のきれいな人間になる修行だよ。諸行無常だから。



急に、説教臭くなる。
そんなとき、ちょっと残念になる。
私は…
いい人間よりも、今、この時間が気になった。


この曲、すっごいオススメ。
この映画、超泣けた。
そんな彼の「今」が知りたかった。

そしてほんとは、言ってみたかった。

また、遊ぼうよ。

デカ盛り、食べよう。
あの時のカレーうどん、死ぬかと思ったよね。
デカ盛り勝負して、いつも負けてた。
仕事なんか、手につかなかったよね。

あのときの温度が、欲しかった。


いい人間になりたい彼は、
だんだん言葉に、体温がなくなっている気がした。



私のイメージの中では、彼と私は大平原を歩いていた。
お互い、前に行ったり、後ろに引いたりしながら、視界の端にお互いを認めながら、進む。
時に、手をつないで引っ張ったり、後ろからそっと押したりしながら。


命が尽きた後も、そうやって支え合っていくもんだってイメージしていた。
どのあたりから、彼の中で私が薄まっていったのか。


「また、ソフトクリーム入れ過ぎちゃった」
「この前、食べたとり天、めっちゃおいしかったよ」

一緒のときは、そんな迷いは封印した。なるべく無邪気でいること。なるべく笑うこと。それを自分に課すようになっていった。


彼も、そんな私を見て、笑った。



でも、いつしかソフトクリームは、いつものソフトクリームになり、とり天は、いつものとり天になった。
どのメニューにしても、いつものメニュー。
これも、あれも、食べたことあるやつ。


そして、彼との会話もなんとなく共通項が減って、右から左によぎるような世間話が増えた。
そして、私がよそ見している隙にスマホを手にする時間が、ほんの少し増えた。


今さら、彼と何を積み上げればいいのか。

積み上げているものは…まんが喫茶の3メートル四方もない、壁で囲われた空間の中で、私たちが積み上げられているものって、一体。


確かめることが怖かった。

心が、触れ合っているのか。わからなかった。
だから。
そろそろ、直球を投げたかった。


「むー君には、これからの夢ってあるの?」


言葉を発したとき、血が逆流して手足の感覚が消えた。

私は、何度も何度も、その答えをひとり考えてきた。


やっぱり彼のそばで、彼の人生の最前列で生きたいんだ。会いたいときに会いたい。話したいときに、体温を感じられる距離で、話したい。朝一緒に、コーヒーを淹れたい。今度この映画行こって話したい。

私の夢はやっぱり、そうなんだ。やっぱりそうだって、気づいたんだ。
私の夢の中には、いつだって彼がいた。



それじゃあ。
彼の夢は、どうなんだろうか。
彼の夢の中に、私は、ひとかけらでも入っているんだろうか。


ほんとは、聞くのが怖かった。でも、聞いたからには、私から行くよ。
息を吸い込む。

「私の夢はね。好きな人と、ずっと一緒に生きていくことなんだ」

一気に言った。

心臓がバクバクした。
脇の下が冷たかった。
彼の反応が、怖い。
でも私は、三か月練習してきた自分を裏切るのは、もっと怖かった。


彼は、どう思ったんだろうか。

「いいね」
彼の言葉は、思ったより淡泊に、素通りした。


とり天の感想か?
淡泊すぎるだろ。


続きは?
彼を見る。

「にこっちの夢は、きっと叶うよ」

見上げて目が合った彼は、ものすごく温かい笑顔で笑いかけた。

私は、とっさに笑い返した。
…そっと心の中に吹き荒れ始めた感情を隠した。

え?どうゆうこと?

聞きたかった。でも、聞けなかった。


「俺の夢はね」

心臓がまだ落ち着かない。だけど、私は、彼の夢を知りたかった。


「これ、読んで欲しいんだ」と、以前、彼から本をもらったことがある。
そんなこと自体、珍しかった。


私が
「これを読んでみて」
「この映画見てみて」
「今、これに夢中なんだ」
どんなに誘っても、彼に刺さることは、なかった。

あんなに世の中が『鬼滅の刃』一色に染まった時期ですら、彼は、鬼滅に目もくれなかった。たぶん、見ないで終わったはずだ。

例外は、想いを交わした直後の数冊と、一つの映画だけ。


本は、エンリケ・バイオス作の『アミ 小さな宇宙人』三部作シリーズだけ。
映画は、新海 誠 監督の『君の名は。』だけ。
それ以外はどんな本もどんな映画も、彼の興味を引くことはなかった。

彼の返事はいつだって、
「ふーん。いつか見てみるかな」


決まり文句だった。いつも、いつも同じ。
そのいつかは、きっといつまでたっても来ない。
逆立ちしたってきっと来ない。
そんなとき、彼の前にいつも透明な膜を感じた。

そんなテッペキの彼が本を渡してきた。
「にこっちにも、読んでほしくて」


そして、その本は、彼がずっと信じてきた世界の話だと知った。

何?
どうしたの?
それ、私に渡して、私にどうしてほしいの?

私はどう行動すれば、彼にとっての正解なんだろ?

戸惑いながら、正解を探した。


私はその本を、2日かけて全部読み終えた。教本のようだった。
正解は、そっとしておくことのような気がした。

そのままそっとバスタオルでくるんで、タンスの引き出しの奥につっこんだ。

それ以来、一度もその本について彼と話題にすることはなかった。

警戒、してたのかもしれない。

彼に、直接、活動に誘われたら、どうしていいのかわからなかった。彼を喜ばせたい。だけど私は、ほんとはそうしたくない。


「覚えてるでしょ?あの時の話」

…覚えてるも何も、どうもできずに、ずっとタンスと内緒にしてたんだけどね。だってそうするしかないじゃん、と思う。

彼はメガネをいじりながら、ポツリポツリと言葉をついだ。
ソフトクリームが恋しくなる、午後の時間が過ぎていった。


「結婚して、家庭を築かなくちゃいけないからいったん忘れようと思ってた。でも」

彼はふっと息を吐いた。髪の毛を少しなでつけて見せた。ちらりと、目を泳がせた。

コーヒーを一口、すする。

「にこっちに出会って、もう一度、思い出したんだ」
「前に、本あげたことあったよね。アレのことなんだ」

そして、おどけて笑って見せてから、付け加えた。

「…定年が来る前には退職して、活動の準備をしたいと思ってる。にこっちには、その時、手伝ってもらえるとありがたい」

もちろん、にこっちが決めていいんだよ。
俺の、夢なんだから。
勝手に、ごめん。


それとね。
彼は続ける。

「その日の手伝いのお金は、払うよ。受付係だったら、できるでしょ。そのときは、お願いね」

ニヤッと、釣り合わない笑いを浮かべた。


あれは、照れ隠しだったのかもしれない。自分の真剣さを自分で茶化すことでしか、その心細さを見せられなかったのかもしれない。

私は彼の活動に加わる決心も、気持ちも、持てなかった。
ただ、彼のそばにいられるなら、どこでもいいか。何でもいいや。
そんなことしか、考えられなかった。


彼の告白で、何か不揃いのパズルのピースがはまった気がした。

仕事の場では、実務の最前線からは明確に距離を置いている。
ちょっと見、楽しているようにも映る。
いや、控えめに言って、楽になることをこよなく望んでいる。

なのに、心が動く瞬間には、妙にこだわる。

誰かの「成長したい」という想いには、自分の想いまで重ねて、全力で応える。
部下の、小さな思い違いも、見逃さない。


アンバランスな生真面目さ。

彼のもともと大切にしていた、信条から来ていた。
彼の根っこに、元々あったもの。

彼が見てたのは、いつの間にか私じゃなかった。
私を通して、彼自身の信じている何かを、見ていたのか。


でも、少なくともわかったじゃないか。
彼の未来に、私がひとかけらだけ存在した。
受付係だけ、だったとしても。


喜ぶ場面、なんじゃないか。
現実味が、どんだけ今の私の救いになるか。
高望みなんかいらない。
…喜びなよ。

でもさ。
じゃあ。


何で。
私の夢のほうは。
彼は
他人事のまま、なのかな。



そして、思ってしまった。


私は、彼の何でもなかった。



単なる、職場の後輩に戻った気分で、
そこにいる彼が、他人に見えた。


自分の気持ちが分裂してばらばらで、もう一度束ねることすらできずに、そのままビニール袋につっこむようにして帰宅した。

何度も何度も、彼の言葉を反芻した。
解釈を、探そうとした。


でもどうやって反芻してみても、私の望んだ夢と、彼は平行線のまま、何ら関係はなさそうにみえた。


あの温かすぎる笑顔は、他に出てきたどんな言葉より、100万倍も雄弁過ぎた。


私と、彼の温度の違いを、あの時、わかってしまった。





この記事は、「温度差」をテーマにした連載の4本目です。


1本目「昇格した音がした」

2本目「それでもよければ」

3本目「沼るという言葉に、沼った」


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