「彼女のアナログ時計、僕のデジタル時計」
彼女の時計は白い文字盤で、
細い金の針が二本ある。
ブランドのロゴもなく、
数字もローマ数字でさえない。
ただ目盛りが十二あるだけだ。
それを彼女は左手首に巻いていて、
時々、視線をそこに落とす。
視線を落とすというより、
何かを確認するというより、
もっと別の何かをするような目つきで。
僕の時計は黒いプラスチックで、
液晶が光る。
正確だ。
電波修正で、
誤差はゼロに近い。
だが誤差がゼロであることが、
正しい時刻を生きていることを
意味するとは限らない、と彼女は
言ったことがある。
冗談ではなく、
本当にそう思っているようだった。

日曜の朝、
彼女は窓の光を見て起き上がる。
時計は見ない。
「もう八時過ぎてるね」と彼女は言う。
僕はスマートフォンで確認する。
8:17。
「八時十七分だよ」と言う。
「そう」と彼女は言って、
コーヒーを淹れ始める。
彼女にとって、
8:17は「八時過ぎ」であって、
それ以上でも以下でもない。
一方で僕は、
8:17と8:43がまったく異なる数値であることを、反射的に意識してしまう。
17と43の間には26分という絶対的な溝がある。
彼女の宇宙には、
そんな溝は存在しないらしかった。
待ち合わせに遅れると、
彼女は怒らない。
ただ「ずいぶん経ったね」と言う。
僕が「ごめん、17分遅刻した」と言っても、
彼女はピンと来ない顔をしている。
17分という概念が、
彼女の中ではうまく変換されないのだと思う。
彼女が感じているのは「17分」ではなく、
「駅前のベンチに座って、
鞄の持ち手をいじりながら、
通り過ぎる人を
三十人くらい数えるほどの時間」だ。
それはそれで、正確なのかもしれなかった。

夜、眠れない夜に、
僕はデジタル時計の数字を見つめる。
2:41。
2:41が2:42になる瞬間、
何かが変わる。
だが何も変わらない。
暗闇は暗闇のままだし、
眠気は来ないし、
彼女は隣で静かに呼吸している。
彼女の時計はもう、
針が見えない暗さの中にある。
彼女は今、
何時を生きているのだろうと、
僕はふと思う。
2:41ではなく、
きっともっと丸くて、
なだらかな時間の中にいるのだろう。
夜の三分の二が過ぎたあたり、
あるいは夜明けがまだ遠い感じ、
そういう言葉で測られる時間の中で。
僕はもう一度、数字を見る。
2:43。
二分が経過した。
確かに経過した。
だが彼女は同じ呼吸をしている。
時間は彼女に許可を求めない。
「ねえ」と僕は昼間、
訊いたことがある。
「アナログの時計って、不便じゃない?」
「そうかな」と彼女は言った。
「デジタルって、疲れない?」
僕は少し考えた。
疲れる、という言い方を、
時計に使ったことがなかった。
「疲れるって、どういう意味で?」
「ずっと答えを出し続けないといけない感じ」と彼女は言った。
「私の時計は、だいたいのことしか教えてくれない。そのだいたいが、ちょうどいい」
僕たちは今日も、
違う時間を生きている。
14:51と、
「もうすぐ三時」の間のどこかで、
同じテーブルを囲んでいる。
コーヒーカップが二つあって、
窓から午後の光が斜めに差し込んでいて、
彼女はそれを眺めながら少し目を細めている。
光の角度を見て、
彼女は時刻を知る。
数字を見て、僕は時刻を知る。
どちらが正しいかを問う必要はない、
と最近思うようになった。
ただ、夕方がやってくる前に、
もう一杯コーヒーを飲めるくらいの
時間はある。
彼女の時計が、
そう教えてくれている気がした。
❅寸評。
最近の「チープCASIO」は、
3000円〜7000円。
2000円以下で購入出来なくなってきた。
もはや「チープ」ではないような気がする。
最低限のデジタル時計機能はある。
『G-SHOCK』と比較すれば、
…安いけどね。
