余計な人生はいらない。チープなカシオMWD-110H-1AJF
誕生日の少し前、
彼女はキッチンの流しにもたれながら言った。
「今年はちゃんとしたものを
あげたいの。何がいい?」
水道の蛇口から、
一定のリズムで水が落ちていた。
僕はその音をしばらく聞いてから、
「腕時計」と答えた。
言葉は、
コップの底に残った水みたいに、
静かに出てきた。
「どんなの?」
「できるだけ単純なやつ」
それで選んだのが、
黒い、無口なデジタル時計。
余計な主張がない。
時間を表示することだけに専念している、
そういう種類の潔さがあった。

昔の僕は、デジタルを避けていた。
電池が切れる、
というのがどうにも好きになれなかった。
ある瞬間に、
完全に終わる。
それは、
どこかで「死」に似ている気がした。
機械式は違う。
止まっても、
そこに余韻がある。
眠っているだけみたいに見える。
僕は長いあいだ、
ゼンマイを巻いて生きてきた。
朝、出かける前に時計を巻く。
それは時間を動かすというより、
自分を一日に接続するための
小さな儀式だった。
でも現実は、
いつももう少し乱暴だ。
衝撃、落下、水。
実際の生活は、
機械式の優雅さを守るほど丁寧じゃない。
いくつか時計を壊した。
そのたびに、
時間よりも修理代のほうが
現実味を帯びていた。
今回は、
考え方を変えた。
雑に扱えるもの。
そして、十年電池。
十年、という数字は不思議だった。
長いとも短いとも言えない。
ただ、その間ずっと静かに動き続ける、
という約束だけがある。
僕はふと思った。
その十年のあいだ、
自分はちゃんと存在しているのだろうか、と。
朝、理由もなく気持ちが沈むことがある。
世界の輪郭が、
少しだけ曖昧になる。
夜になると、
それはさらに静かに広がる。
そういう時間を、あと十年。
長さの問題じゃない。
むしろ、密度の問題なのかもしれない。
誕生日の夜、
彼女は小さな箱をくれた。
特別な演出はなかった。
ただ、そこにある、
という感じだった。
箱を開けると、
予想通りの黒い時計。
光を吸い込むみたいな、
落ち着いた表面。
僕はそれを腕につけた。
驚くほど軽かった。
時間そのものが軽くなったみたいに。
ボタンを押すと、
数字が浮かび上がる。
正確で、無感情で、
それでいてどこか穏やかだった。
「似合ってる」
彼女はそう言った。
僕は少しだけうなずいた。
その言葉は、
ちょうどいい場所に収まった。
帰り道、
夜の空気は少し冷たかった。
信号待ちのあいだ、
僕は腕を上げて時間を確認する。
デジタルの数字は、迷いなく進んでいる。
十年電池。
その終わりに何があるのか、
僕にはわからない。
ただ一つ確かなこと。
この時計は、
その間ずっと時間を刻み続けるということだ。
そして僕は、
その隣で、
ときどき立ち止まりながら、
同じ方向へ進んでいく。
たぶんそれで、
十分なのだと思う。
👍チープなのにリングが「メタル」。
👍デカ文字。
👍G-SHOCKそっくり外観。
👍防水。
👍最小機能(アラーム、ストップウォッチ)。
👎硬いベルト。
👎重い。
👎表示面が「プラ」(ガラスではない)。
