雲の上の大海原
二日目の後半の山行がスタートしました。二日目の後半の山行は、淡々と歩いていただけだけれども、割と思い出話がギュッと詰まっていました。
前回の話はこちらの記事になります。
タンザニア人の日本認知度
二日目の午後も、昨日と同じで眠たかった。お昼ご飯の全てのメニューを食べたわけではないが、脳は睡眠を要求していた。
午後からは、山行の最後尾のポーターはグッチャンからジェラルドに変わった。初めましての挨拶をして名前をお伺いしたときに、「僕はジェラルドだよ。」と教えてくれた。「ジェラルド」と聞いて、My Chemical Romanceのボーカル、ジェラルド・ウェイを思い出した。
グッチャンは少しばかりシャイな印象があったけれども、ジェラルドはグッチャンとは正反対でノリノリのお調子者のような性格であった。もちろん、二人ともいい意味である。ジェラルドは日本で言う、「陽キャ」という言葉がピッタリな人だった。行きのアディスアベバ・ボレ国際空港で出会ったナホムに似たような人であった。
おそらく、今回の山行でポーターで一番仲良くしてくださったのは、このジェラルドである。



ジェラルドは日本語の挨拶を網羅していた。「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」この三つが言えれば、上出来。
ジェラルドに日本へ行ったことがあるかどうかを聞いたけれども、忘れてしまった(ぉぃ)他のポーターでこれまた誰だったかを忘れてしまったが、東京と横浜へ行ったことがあると答えた人がいた。どさくさに紛れて、岡山県について聞いてみたが「知らない。」と言われた。言われなくても、なんとなくは分かっていたけれども。


ジェラルドの日本語の挨拶は、おそらく様々な日本人ツアー団体から日本語を学んだと考えられた。ちなみに、私はグッチャンに「スゴイ!」を教えておいた。私が見る景色すべてに「スゴイ~!」といちいち声に出して感激していたところ、グッチャンに「スゴイ~!」と真似をされてしまった。だから、グッチャンに「スゴイ is amazing!」と教えておいた。
タンザニアから富士山が見えました。
午後の山行の序盤は、私、ジェラルド、添乗員を交えてポレポレで歩いていた。このときは晴天で太陽の光が眩しかった。そのため、私は日焼け対策のため、手拭いでほっかむりをした。このとき使っていた手拭いはSNOOPYと葛飾北斎のコラボレーションの絵柄であった。
(↑)手拭いではないけれども、絵柄は一緒。ちなみに東京都美術館ではなく、いつかの旅行でSHIBUYA SKYで購入した商品である。
突然、添乗員に私の頭を指でさされてしまい、「ジェラルド!これ、富士山!富士山、分かる?」と言った。突然の富士山で話が飲み込めなかった。ここは、富士山ならぬキリマンジャロである。と、ツッコミを入れたくなってしまった。この謎の問いに、ジェラルドは「富士山は知ってるよ!」と二人で富士山について盛り上がり始めた。
私だけが話に置いて行かれてしまい、「どこに富士山があるんですか!」と言った。すると、添乗員は「ここ、ここ!はるのぼんさんの頭に富士山があるじゃないですか!」と言った。へ?と思ったけれども、手拭いの柄に富士山が描かれていたことを、今、ここで思い出した。「あっ、私の手拭いの柄ですね!」「そうです!」と言われて納得をした。
三人で話していたのも束の間、何かを思い出したかのように、添乗員は「先に行きますね。」と言って、私とジェラルドを置いて先へ歩いて行った。ここから例の如く、写真撮影をしながらポレポレで歩いていたため、安定の超ハイパーポレポレで歩き出した。
雲の上の大海原
安定の超ハイパーポレポレで歩き続けた。先ほどまで足元に、日本では見たことがない花がたくさんお出迎えしてくれたが、ふと前を向いてみたところ、そこにはパノラマの大雲海が広がっていた。どうやら、いつの間にか、雲よりも高い位置に登ってきてしまったようだ。

日本では、高山と言われる山へ行く機会がなく(単なる自宅から遠い)、なかなか雲海を見ることが難しい。雲海スポットへ行けば別の話になるけれども。私が最後に見た雲海は、6月に訪れた八ヶ岳である。
このときの雲海は、台風並みの暴風の中、八ヶ岳からまだまだ残雪がある北アルプスが見えて、とても感動して、涙がホロリと出た記憶が今でも鮮明に残っている。八ヶ岳で見た雲海は素晴らしかったが、タンザニアの雲海は八ヶ岳とはまた違った景色で、これまた感動してしまった。言うまでもなく、「すごい!」と連呼していた。
なんと言えばいいのだろうか、まるで今山にいるとは思えない平地に、雲海は本当の海のように見えた。ランニングシューズがあれば、この平地を雲海に向かって全力疾走で駆け抜けてみたかったかもしれない。


こんなにリアリティが溢れる海のような雲海を、私は生まれて初めて、ここ、タンザニア、キリマンジャロで見ることができた。そして、自分がいた位置から雲海までの距離は遠いが、まるで近くまで海の波が押し寄せてくるような、幻想的な世界が広がっていた。



あと、もうちょっと詐欺
午前中に森林限界を突破してからは、だだっ広い平地が見渡す限り続いていた。だいぶ遠く先に、シルバニアファミリーに出てきそうな家々が見えた。これはもしかして!と思い、ジェラルドに聞いてみた。シルバニアファミリーに出てきそうな家を指差して「あそこが今日の宿泊地?」と聞いてみると、「そうだよ、あそこが今日宿泊するホロンボ・ハットだよ。」と教えてくれた。
目的地が見えたことは良かったが、見るからにまだまだ距離があった。パッと見、3kmぐらいはあるような気がした。ちょうど晴れ間が広がっており、湿度があまり感じられないとは言え、暑さを少々不快に思い始めるようになってきており、3kmの道のりが遠く感じられた。
そんなことを思っている私に、ジェラルドは「あと30分ぐらいあれば着くよ!」と言われ、「は?」と、素の日本語が出てしまった。「いやいや、この距離で30分ではつかないでしょう!」と笑いながら言うと、「いやいや、30分ぐらいあればすぐ着くさ!」と両者譲らずの平行戦の会話となった。

実際のところ、私が写真を撮りながら超ハイパーポレポレで歩いていたため、30分ではなく、さらにプラス30分をして1時間ぐらいかかっての到着となった。やはり、私の読みは当たっていた。

これは国内・国外問わず、思ったことであるが、やはり自分のものさしで物の程度を伝えることはよくはないと再認識をした。
登山を始めた当初は、行き交う人に「頂上まであとどれぐらいですか?」とよく聞いていた。たいていの人は「あと、もうちょっとで着くよ!」と答えてくれたものの、実際は「あと、もうちょっと」では着かなかった。
おそらく、答えてくれた人からすれば「あと、もうちょっと」の感覚かもしれないが、他人からすれば「あと、もうちょっと」の人がいれば、「まだまだ全然遠い」という人もいる。(私は、明らかに後者だった。)このとき、自分の基準で物の程度を言うことは非常に危険であると思い、以後、人には「あと、どれぐらいですか?」を聞かなくなった。
私はこのことについて、「あと、もうちょっと詐欺」と呼んでいる。
もちろん、逆に聞かれることだってある。今いる地点から目的地まで10分以内の場合は、「もうちょっとで着きます。」と答えることがあるが、10分以上かかる場合は、道の様子や「まだまだあるかもしれません。」と答えるようにしている。人に変な期待を持たせないようにすることを一番に心掛けている。
奇跡のピンボケ写真
写真を撮りながら歩いていると、ジェラルドが「カメラを貸して!」と言ってきた。何を撮るのだろうかと思ったところ、「僕がはるのぼんを撮ってあげる!」と急に言い出した。てっきりジェラルドと一緒に写るかと思いきや、「そこら辺に立って!」と指示があり、どうやら私だけを撮ってくれるらしい。
私は基本的に人に興味がなく、ましてや自分が写る写真なんてもっと興味がないため、内心は「自分一人が写ってもなぁ~」という何とも言えない心情になっていた。
ジェラルドに言われるがままに、私はジェラルドが構えるカメラのレンズの前に立ち、笑いながらピースをした姿を数枚撮ってもらった。「アサンテ~!(ありがとう!)」と言いながら、カメラを返してもらい、撮ってもらった写真を見てみたら、奇跡的にどこにもピントが合っておらず、私ももののみごとにボケてしまい、誰だか分からない写真となっていた。「ピンボケしてるよ!」と言いたいところではあったが、英語で何て言えばいいのかが分からなかったし、もう一回写らなければいけないことを億劫に思ったため、もう一度「アサンテ!」と言って、カメラの電源を切った。

ちなみに、ピンボケになってしまった理由について、もちろん、ジェラルド自身が操作し慣れていないカメラで撮影をしたこともあるだろうが、私のカメラは常時マニュアルモードになっていて、ピントがオートフォーカスではなく、手動で調整をしなければならない。ジェラルドにマニュアルフォーカスであることを伝えずに(英語でどのように説明するかが分からなかった。)、カメラを渡してしまったため、ピンボケになったと考えられる。
この木、何の木、気になる、気になる
この木、何の木、気になる、気になる♫第二弾!
昼食を摂ってからどれぐらい歩いたのだろうか、木がポツリポツリと生えていた。木は木でもパイナップルが木になったような木。「パイナップルも木じゃん!」とツッコミが入りそうだけれども。

話を聞くと、どうやらキリマンジャロにしか自生しない木のようだ。現地で名前を聞いたものの、その場で覚えられなかったため、帰国後に調べた。名前は、ジャイアントセネシオと言うそうだ。

ジャイアントセネシオを近場で見たわけではないが、人間の背丈よりも高く見えた。名前の通り、「ジャイアント」である。そして、私はふと疑問が浮かんだ。人間の背丈よりも高そうなジャイアントセネシオはどこまで成長をするのだろうか。ジャックと豆の木みたいに、どんどん育って、大気圏を突破しないだろうかと、ちょっとした妄想を膨らませた。

私はすぐ近くに生えていたジャイアントセネシオを指差して、ジェラルドに「この木はどれぐらいの高さまで成長するの?」と聞いてみたところ、「この木はこれ以上は成長しないよ。たぶん、このままじゃないかな。」と言われた。数秒前まで、ジャックと豆の木を想像していた私の妄想は瞬殺されてしまった。どうやら、この木はジャイアント限界まで育っていたらしい。
ジャイアント限界まで育ってしまった、ジャイアントセネシオの樹齢をジェラルドに「この木は、何歳ぐらい?」と聞いてみた。すると「たぶん、樹齢40年ぐらいじゃないんかな?」と答えた。この樹齢が本当かどうかは分からないが、ジェラルドの感じ方としては40歳だそうだ。
ジャイアントセネシオの寿命が分からないし、これ以上成長をすることはないだろうが、命が尽きるまで、これからもずっと様々な国籍のハイカーを黙って見守り続けるのであろうと思った。
スーパー★お兄さん!に出会う。
超ハイパーポレポレながらも本日の宿泊地であるホロンボ・ハットに到着をした。言うまでもなく、ツアーのみんなは到着をしていたが、数名の方々に「(私の)姿が見えなくなったから、どしたんかと思った~!」と言われ、どうやら心配させてたらしい。どうしたもこうも、私は写真を撮ったり撮られたりで、なかなか前に進まなかっただけの話である。
添乗員の話によると、今日のホロンボ・ハットは、いつもにまして利用者が多く、部屋が取れにくい状況となっているらしい。さすがに野宿ではないが、マンダラ・ハットみたいに、女性と男性の部屋を分けたいところではあるが、もしかすると男女混合部屋になってしまうかもしれない、という状況であった。部屋割について、ポーターが調整をしてくださっている、とのことだった。

ひとまず荷物をおろし、部屋割が決まるまで、私は同じツアーの女性と添乗員の三人で談笑をしていた。何を話していたかは覚えていないが、おそらく他愛のない話をしていたに違いない。

三人で話していたところに背後から「あの、日本人ですよね?」と声を掛けられ、振り向いてみたところ、一人の男性が立っていた。その男性はもう一度、「日本人ですよね?」と聞いてきた。添乗員が「そうです!僕たち、○○のツアーで来ている日本人の団体です!」と答えてくださったところ、この男性は「やっぱり日本人!オレも日本人です!いやぁ~、日本人にこんなところで会えるとは思いもしなかった!」と笑顔に満ち溢れていた。この男性同様に、私もまさかのこんなところでツアー以外の日本人に会えるとは思いもしなかった。

ひとまず、この男性を「お兄さん」としよう。見た目は、私よりも年上に見えた。
お兄さんの話を聞いてみると、お兄さんはもう一人の友人と一緒にツアーではなく、単独でキリマンジャロにやってきたらしい。(このとき、お兄さんのご友人様は不在でした。)お兄さんはキリマンジャロの登頂が終わり、今さっきホロンボ・ハットに戻ってきたとのこと。そこで、我々を見つけて、久しぶりの日本人を見て嬉しくて声を掛けてきてくれたとのことだった。
お兄さんは兵庫県在住らしく、私とお隣さんだったことにも驚いた。お兄さんはコロナ禍をきっかけに登山を始めたらしい。その場にいたツアーの女性もコロナ禍をきっかけに登山を始めたらしく、コロナ禍はいいきっかけだったと話が盛り上がっていた。

ところが、話の流れとしてはここまで平和だったが、ここからがスパルタ化していった。
お兄さんはコロナ禍をきっかけに登山に目覚め、2年間で日本百名山を制覇、さらには日本百名山と並行して日本百高山も制覇。正直、今目の前にいるこのお兄さんが何を話しているかが意味不明であり、開いた口が塞がらなかった。
お兄さんは平日は会社員、週末休みを利用してひたすら山に登っているとのことだった。そして、お兄さんの会社ではリモートワークが許可されているため、毎週金曜日はリモートワークにして日本アルプスがある長野県等へ移動をしながら仕事をしてすぐに登る体制を作っているらしい。
登山に興味がない人のために補足をすると、2年間で百名山と百高山を制覇することは只者ではない。ましてや、スパルタな行程を組まないと実現しにくいかと思う。それをものの見事にクリアをしたお兄さんが何者にも当てはまらず、同じ人間とは思えなかった。人間というよりかは、「超人」という言葉がまだしっくり来るような気がした。

さらに耳を疑うような恐ろしい話を聞いてしまった。
このお兄さんは、あの有名なエベレスト街道も制覇していた。ひとまず、エベレスト街道へ行ってきた話は珍しくないため、このことには驚かなかった。エベレスト街道も色々なツアーがあり、最短で約二週間コースからの最長約一ヶ月コースがある。お兄さんはツアーではなく単独でエベレスト街道へ行ったらしく、最短二週間の行程を一週間で済ませたらしい。お兄さんは笑いながらも、
「あのときの高山病はマジで死ぬかと思った。
血中酸素濃度が60%前後だったし、
上からも下からも止まらなかったよ!」
(上は吐く、下は下痢)
エベレスト街道ってなんぞや?の人のために補足説明をすると、
エベレストと言えば世界最高峰の山であることは知っているかと思う。ただ、エベレスト登山(ピークハント)をするためには、いくつかの条件をクリア、そして多額の資金がいる。要するに、一般人ハイカーは登れない。
ところが、実は6,000m付近までなら特別な条件はなく、一般人が登ることができる。6,000m付近からエベレスト山頂を眺める、それがエベレスト街道である。
4月のエベレストは気候がいいため、エベレストを目指す登山者が多い。そのため、現地のエベレスト登山隊が出動をするため、一般人はエベレスト登山隊と一緒に6,000m地点まで一緒に登ることができる。
とは言え、勘違いをしてほしくはないが、普通の登山とは違い、少々難易度が高い雪山登山となるため、普通の登山として認識をしてはいけない。
話を戻そう、私が知っている限り、エベレスト街道の最短行程は二週間である。その二週間の行程を一週間に縮めたお兄さんをさらに理解できなくなった。
お兄さんの話を聞いている限り、普通のハイカーではないことがよぉ~く分かった。こんな言い方をしてはいけないが、キチガイな人間である。お兄さんは、今まで出会った登山者で最高にクレイジーである(褒め言葉)


お兄さんのようにぶっ飛んでいる人を見ると、決して真似をしようとは思わないが、自分の人生に良い刺激を与えてくれる。お兄さんみたいなパンチのある人は良い着火剤でもあり、良いスパイスでもある。一期一会とは言え、今回偶然にお会いしたお兄さんは私が死ぬまでの人生史に名前も知らない登場人物として追加をされた。
キチガイお兄さんのお話を聞いている最中に、本日の部屋割が確定をしたと、ポーターから連絡が入ったため、ここでお兄さんとお別れをすることになった。
おまけ:私が習ったスワヒリ語【Poa】
こちらの記事でご紹介させていただいた言葉、「Poa(ポア)」を復習。
「Mambo(マンボウ)」は「元気ですか?」「How are you?」に対して、「Poa(ポア)」は「元気です!」「I'm fine!」と言う意味になります。合わせて、「Mambo・ Poa」で一つの挨拶が出来上がります!

タンザニア・キリマンジャロ登山の記事は、こちらのマガジンにてまとめております。
