Junior Crown からTOTAL ENGLISH へ──ヘンリエッタとスタニスラスの違和感
英語教科書にしみ込んだ「国際情勢」と「国内情勢」の影響 ①
1.改訂移行措置のなかで
① 『Junior Crown English Course』の世界
私は、ちょうど英語教科書の改訂移行措置にぶつかった世代でした。
前の学年までは、三省堂の『Junior Crown English Course』系の世界で育ってきたと思います。
そこには、いかにも教科書らしい、安心できる名前が並んでいました。
Tom、Susie、Bob
短くて読みやすく、「英語の名前といえばこれだよね」と、誰もが納得するような顔ぶれです。
教科書を開けば、そこには「どこかのアメリカのふつうの家庭」があって、その窓から、英語という言葉をそっと覗き込む。そんな世界でした。
② 『TOTAL ENGLISH』の世界
ところが、改訂が入った年、教科書は同じ三省堂なのに、中身ががらりと入れ替わりました。
タイトルは『TOTAL ENGLISH』。表紙には宇宙から見た地球と世界の偉人たちが並び、ページをめくると、そこにいるのはもはや Tom や Susie ではない。
・恥ずかしがり屋のヘンリエッタ。
・ロシアからやって来たピアノ少年スタニスラス
・華やかなグローリア
・気の荒いスタンレー
・担任のミス・ラブレス……。
同じ「英語の教科書」なのに、世界の空気が一夜にして入れ替わってしまったような感覚がありました。
しかもそのタイミングが、不規則動詞だの新しい文型だの、覚えることが一気に増える学年と重なっていました。
英語そのものの負荷に加えて、見慣れない長い名前たちを人物相関ごと覚えないと、話の筋が追えない。
「そこまで凝った名前にしなくていいから、そのぶん動詞を減らしてくれ」と、どこかで思っていた気がします。

それでも、なかでも2人の名前だけは、どうしても頭から消えてくれませんでした。
❶ Henrietta(ヘンリエッタ)
❷ Stanislas(スタニスラス)

「Henrietta(ヘンリエッタ)」さん
カタカナで書いても、どこかねじれた感じが残るヘンリエッタ。
どこの国の人なのかどう読むのか、当時はまったくピンと来なかったスタニスラス。

「Stanislas(スタニスラス)」くん
授業が終わってからも、卒業してからも、英語から離れてからさえ、ふとした拍子にこの2つの名前だけが浮かび上がってくる。
その違和感の正体が何なのか、自分でもうまく言葉にできないまま、長いあいだ頭の片隅にこびりついていました。
2.ヘンリエッタとスタニスラス、そのまわりの仲間たち
その違和感に少しずつ輪郭が与えられたのは、かなり後になってからのことです。
ある日、半ば思いつきで Yahoo!知恵袋を検索してみると、『TOTAL ENGLISH』の登場人物を細かく覚えている人の回答に出会いました。
さらに、あなたが送ってくれたブログの証言も加えると、『Total English』のクラスのメンバーはだいたいこう整理できます。


自分の記憶のなかでぼんやりしていた「ヘンリエッタとスタニスラス」が、こうしてきちんとしたキャラクター配置の中に収まっているのを見たとき、「ああ、やっぱりそういう世界を作ろうとしていたのか」と、胸の中で何かがカチッとはまりました。
しかも、別のブログの書き手は、こんなふうに振り返っています。
❶ この教科書の章立ては Lesson ではなく Step で、「一歩ずつ上がっていく」感覚があったこと。
❷ 2年生の Step では「be going to」や「have to」を早い段階で導入し、かなり攻めた構成だったこと。
❸ 2年生の最後で、スタニスラウス君から国際電話がかかってきて、「アメリカでコンテストがあるからそちらへ行くよ」とヴィンセント君に告げる場面が印象に残っていること。
❹編集者は、冷戦が続く世界で、未来をになう中学生たちに友好の世界を託そうとしたのだろう、と推測していること。
そして最後に、こう書かれていました。
「地区の教育委員会で「この教科書は難しすぎる」とされ、昭和50年(1975年)からは『New Crown』が採択された。」
つまり、その筆者の地域では、
当初:三省堂『Junior Crown English Course』から
↓
移行:同じく三省堂の『Total English』に
↓
更に移行:三省堂の『New Crown』へ
という流れで、一度は世界が切り替わったものの、「難しすぎる」という理由から、1975年からは『New Crown』に戻されてしまったということになります。
私自身は、「Junior Crown → Total English」という飛躍を、ほぼ真正面から受け止めた世代でした。
だからこそ、Tom/Susie/Bob の世界と、Henrietta/Stanislas の世界の落差が、そのまま身体の感覚として刻み込まれてしまったのだと思います。
3.自分だけの「違和感」ではなかったと知る
中学を卒業してからも、
🧐「どうしてあんなヘンテコな名前ばかりだったんだろう?」
🤔「なぜあそこでロシア人の少年が出てきたんだろう?」
という疑問は、どこか自分だけのもののような気がしていました。
ところが、先ほどのブログや Yahoo!知恵袋を読むと、あの教科書を覚えている同世代の人たちが、口をそろえて
・「ヴィンセント君」「スタニスラス君」と名前を挙げ、
・「I like English. I study it. I speak it. You like English, too.」と一般動詞で始まったことを覚えていて、
・よくありがちな定型文の「This is a pen じゃなかった」と驚いていた
ことがわかります。
画面の文字を追いながら、「ああ、自分が覚えていたのはやっぱりこの世界だったのか」と、胸の奥で何度も頷いていました。
中学生のころの私は、その意味をちゃんと読み取ることはできなかったけれど、違和感として受け取っていたものは、たしかに編集者の「ねらい」が届いた痕跡だったのだ、と。
4.冷戦と「国際理解」が、名前のうしろに立っていた
1969年(昭和44年)告示の中学校学習指導要領では、外国語科の目標に初めて「国際理解の基礎をつちかう」という文言が加えられます。
世界はまだ東西冷戦のただ中にありながら、1970年代前半には米ソの関係にデタントの空気が生まれ、「全面対決」から「管理された緊張と対話」へと移りつつあった時期です。

そうしたなかで、『Total English』は、
・英語圏の少年ヴィンセントを主人公にしつつ、
・ロシア人のスタニスラスを彼の親しい友人として登場させ、
・そのスタニスラウスを、アメリカのピアノコンテストへ送り込む、
という筋立てを置いていました。
敵対する陣営どうしだったはずの「ソ連」と「アメリカ」が、ひとりの中学生を介してつながれている。しかも、媒介になっているのは、ピアノ音楽と英語です。
さらに、クラスの中にはフランス系の香りをもつヘンリエッタがいて、彼女の性格をあらわす言葉として、よくある shy ではなく、bashful という少し品のある形容詞が選ばれていました。
今あらためて見直すと、
ロシアの少年がアメリカの舞台に立つ
フランス系の女の子が、bashful という上品な語で描かれる
そして、その子たちがみな英語で話をする
という世界は、ちょうどそのころの「国際理解」路線と冷戦デタントの空気を、そのまま中学生向けに翻訳したものだったのだろうと思います。
当時の私は、もちろんそんな背景までは知る由もありません。
ただ、「ヴィンセント」「スタニスラウス」「ヘンリエッタ」という、聞き慣れない長い名前たちの列に押し出されるようにして、Junior Crown の Tom と Susie の世界から外へ連れ出されていた。
その押し出される感覚こそがのちに振り返れば、「国際情勢と教育行政が教科書という形で、紙の上に落ちてきた瞬間」だったのだろうと思います。
おわりに
ヘンリエッタとスタニスラスの名前にひっかかった違和感をたどっていくと、その背後には、冷戦とデタント、そして「国際理解」という言葉を掲げた英語教育行政の動きが見えてきました。
中学生のころには当然そんなことは知らず、ただ「変な名前の多い、難しい教科書だ」と感じていただけなのに、気づけばそこには、1970年代前半の世界の揺れが、静かにたたみ込まれていたのだと思います。
✒️ 第2回の予告
ヘンリエッタとスタニスラスのいる教室に、すでに「国際情勢」と「価値観の揺れ」がしみ込んでいたとすれば、その少し外側で動いていた日本のポップカルチャーは、それにどう追いつき、逆にどう取りこぼしていったのでしょうか。
次回は、同じ1970年前後に生まれた雑誌やロックやポップスの言説をたどりながら、「印刷出版業が先に見ていた変化」と「旧い物語にしがみつく音楽論争」の奇妙なねじれを見ていきます。
第2回はこちら
第3回はこちら
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