信州田沢温泉 山あいに聳える高楼の宿 その1~「ますや旅館」 歴泊記 2026.4.2-3 ~「文化財に泊まりたい。」ファイルNo.19
今回の歴宿は信州田沢温泉「ますや旅館」。山あいに木造3階建ての入母屋の建物が3棟も並ぶ景観は圧巻だ。

予習として、まずはその3棟(東館、本館、新館)について文化庁のデータベースを貼っておく。他にも、西棟、土蔵、東蔵が文化財(DBは文末参照)として国に登録されている。




以上、文化財データベース(文化庁)より
建物に加えて、「ますや旅館」と言えば島崎藤村ゆかりの宿としても有名。藤村が泊った部屋が当時そのままになっていて、その部屋に宿泊が可能なのだ。
我は藤村にはあまり興味はないのだけど、本質的にミーハーなので、そういう部屋があるなら是非泊ってみたいと思ってしまうのだ。
ちなみに湯河原温泉の「伊藤屋」も藤村ゆかりの宿だけど、昨年の宿泊時⇩は念頭になくスルーしてしまった(笑)。※なんとまだ誰にもスキしてもらってない記事がある(泣笑)
話が脱線してしまったので戻す。藤村は著書「千曲川のスケッチ」の中で、「ますや(升屋)」旅館を実名で紹介し、しかも当時の看板の絵や滞在の様子をも(詳細に⁉)記している。異例の扱いをしていると言ってもいい。※著書は文末の「付録1」参照。ついでに「付録2」も参照してもらえるとウレシイかも。
藤村の滞在はわずか数日だったようだけど、そこまで彼の琴線に触れるものがあったということだろう。想像するとなおさら興味が湧いてくる。
ということで数か月前にネット予約を試みたことがあった。しかし、「ますや旅館」にはおひとり様プランはあるのだが、部屋は宿にお任せで、「藤村の間」は選べなくなっている。
こういう時は宿に電話で直接問い合わせだ。結果、「HPのカレンダ―で藤村の間の予約が空になっている日なら一人でも泊まれる日がありますよ」とのことだった。
そのときは冬の真っ只中だったので、春を待って改めてお願いする旨を伝えて電話を終えた。とりあえずお一人様でも「藤村の間」に泊まれることがわかれば十分だ。
そして、、、年度も替わろうとする3月30日の昼。noteの「富士屋旅館 3月12‐13日」の歴泊記を書きながら次の予定を考えた。その時点で決まっていたのは4月27‐29日に飛騨に行く予定のみ。
ということは月一回ペースではあるけど、富士屋旅館から結構間隔が開いてしまう。そう思い始めると、もうジッとしてはいられない。年初めの「安田屋」のときと同様の渇望である。
ならば「ますや旅館」へアタックだ。宿HPのカレンダーを見たら、ちょうど4月1日(水)と4月2日(木)にポッカリと空があるではないか。我的にはどちらでもいいのだが、奥方が還暦で役職定年のため新年度から異動(転勤)になるそう。
まぁ、特に何も起こらないだろうけど、さすがに転勤初日(4月1日)くらいは家で留守番してた方が波風立てなくて済みそう。ここは家庭ファーストだ(偉)。
日が決まったら善は急げ⁉「ますや旅館」に電話してみた。直前の平日ということもあり、おひとり様の予約OKとのありがたい返事。「4月2日 藤村の間」を抑えていただいた。
ただし、予約はHPからネットを介して行わないとダメだそうで、おひとり様プランの特別仕様にしていただき無事ネット予約完了。HPの予約の手続きでは旅館のご主人にお手数をお掛けしてしまった。感謝。
奥方もすんなり了解。「家庭ファースト」で日を選んだってこと、しっかり説明したから効果あったかもね(笑)。
さて、出発当日の朝9時。天気は昨夜からの雨は上がり回復基調。家から荷物を担いで100メートルほど歩く。雨のお陰で青空駐車の愛車「流星号」は10年モノとは思えないほどピカピカに見える。もちろん洗車は不要だ(嬉)。
事前にルート確認したところでは静岡から田沢温泉(青木村)まではこのマップ⇩の青い方のコースの予定だ。

昨年行った別所温泉の時は「諏訪南IC」で高速道路を下りて下道で行ったけど、今回は青木村最寄りの「麻績IC」まで高速を使う。ちなみに「おみ」って読むんだね。何回も通過したことあるけど知らなかった(恥)。
流星号に乗り込んで、まずはナビの設定。調子がイマイチの流星号ナビは「青木村」でなんとか設定できた。補助用の新参ナビはピンポイントで「ますや旅館」がゴール。
準備完了。いざ出発!
途中、空模様が怪しくなって、霧雨みたくなったけど、その後は晴れ間が広がっていった。休憩は定番の「道の駅なんぶ」、「八ヶ岳PA」。


雲が多いけど概ね回復
小腹が空いたので「職人のフランクロール」なる惣菜パンを頬張りながら八ヶ岳を出発。

その後も順調。今回はちょっと高速道路が長いので「梓川PA」でも休憩。

麻績ICで下りて青木村(田沢温泉)へ向かう。事前のルート予習(グーグルマップ)のお陰で、「エっ⁉ ここを曲がるのッ?」って細い道(裏道)も安心して進める。やっぱり予習って重要だ‼(笑)
峠道を越えて青木村に入ったのは13時を過ぎたころ。流星号の燃料が心もとなくなっていたのでとりあえずGSを探す。キョロキョロしながら進むことしばし。ありました。
トイレを借りに車から降りるとちょっと肌寒い。GSのお姉ちゃんに聞いたら「昨日までは暖かだったのに、急に寒くなったんですよ」とのこと。
流星号の寒暖計では静岡を出るとき18度くらいだった。こっちは10度未満。そりゃ寒く感じる訳だ。
肌寒いけど天気は悪くない。ならば事前に寄り道候補にしていた「大法寺」へ行こう。大法寺へはGSからものの数分。案内標識も出てるし、予習もしたから、ナビに頼らず最寄りの第一駐車場にまっしぐら。

三重の塔(国宝)へ向かう

石段を上がり本堂の境内を横切って進む









「みかえりの塔」とも呼ばれている
そのくらい美しいってことらしい














「来てよかった」拝 駐車場へ戻る(嬉)
寺の駐車場から幹線に出る途中のファミマに寄って、部屋飲み用の缶ビールを調達。今回もヤッホー缶兄弟(青鬼、YONAYONA,君僕)をゲットできた(喜)。
時刻はまだ14時を過ぎたところ。宿のチェックインは15時からなので、近くの道の駅で時間調整を兼て休憩。

手打ちそばの幟が出てる。空腹感ありだ。そういえば八ヶ岳で総菜パンを1個しか食べてなかった。時間的に遅いので軽食のつもりだったけど、レストランの覗いたら醬油の甘しょっぱい香りの誘惑に負けてしまった(笑)。
注文したのは天ぷら蕎麦。夕食のときに悔いることになるのだが、それはまた後の話(笑)。

フキノトウのちょっと苦い天ぷら大好き
「ごちそうさまでした!」
食べ終わって、物産コーナーに行ってみた。お酒が並んでる。来たばかりなのに早くもお土産を買ってしまった(笑)。

(帰宅後に記念撮影 )
田沢温泉は道の駅から車で5分くらい。ますや旅館の前に到着したのは15時数分前。正面の駐車場に車を止めて、時間まで道を行ったり来たりして外観をパシャリパシャリ。

「千曲川のスケッチ」のあの絵の看板だ‼
※文末の「付録1」参照

オタクの嗅覚をクスグルってくる



青空によく映える
今日泊まるのはこの3階だ(嬉)!
15時きっかりに玄関の戸を開けて「こんにちは」と声を掛けると、女将さんが出て来て迎えてくれた。
スリッパに履き替えて上がってすぐのロビーの椅子に座り、宿帳に記入してチェックイン完了。そしたらご主人も出て来てくれてご挨拶。予約の際のやりとりのお礼などを申し上げた。
貸切風呂や食事処などの場所を案内していただいた後、この⇩の階段を上がる。

右の戸を開けるとフロント・玄関
女将さんに先導されてワクワクドキドキで「藤村の間」へ。「部屋に一歩入ると、、、」って言うより、すでにこの建物(敷地)に入る前からソレを感じていた。
外観もさることながら、内観もこれまでの宿とは別次元だってことが伝わってくる。(注:オタク限定の感覚。以下同じ。)
「藤村の間」はその中でも「至高⁉」なのかも。まぁ、他の部屋を知らないけどね。

掛かっている書は「藤村」の長男の直筆
この部屋のイワレを説明してくれている。
「父 島崎藤村がこの部屋に泊まったのは
明治34年8月、、、」
ちなみに東館はこの宿で最も古い(明治前期)建築。文化財DBによれば本館は明治40年ころの築だし、新館や西館はその後(大正期)だ。
ってことは藤村が泊った当時(明治34年)は東館のみが3階建て。この宿の最上階を独占できてさぞや気分よく滞在できたことだろう。「眺望のいい宿だ」って書きたくなったのも頷ける(笑)。
今でこそ、本館や新館の3階の方が高いけど、「藤村の間」は東館3階のワンフロア独占であることは変わりない。これを「至高」と言わず何と言おう(チョー嬉)。
「藤村の間」を一回りしながら女将さんから一通りの口上を聞き終わり、広縁でとりあえず一服だ。

至福の一杯 in 至高の部屋 ‼
「藤村の間」には凝った造作はあまりないようだが、時代を経た部屋や窓などの建具そのものが醸し出す味わいは期待以上。嘗てないくらいに滞在を楽しませてくれそうだ(嬉)。
さて、「藤村の間」は後ほどジックリ観察できる。他の客がいない間に館内探索へ行こう。
その前にちょっと予備知識。この「ますや旅館」は高低差のある敷地に建物が複雑に配置されている。館内図があるといいのだが手元にはない。
ということで、館内図ではないがグーグルマップを借用して建物の配置図(名称入れただけだけど我的には手間暇かけた労作)を作ってみた。

それでは、第一回 館内探索スタート!




雑然としているようだけど
ちゃんと整理されてる

東館2階の部屋に行けるのかな(多分)


家族風呂(貸切風呂)への階段






右に見えるのがフロント
さっき左の椅子・テーブルで記帳した

新館へ続く階段が見える


歩道橋の階段より低いかも


さらに階段を上がって3階へ行ってみる

1階の渡り廊下の屋根(左下)が低く見える

左に見えているのは新館
右下は本館1階からの渡り廊下




この渡り廊下の最終地点は大浴場
廊下の壁には有名人の色紙が並ぶ。
窓枠を見ればわかるとおり、下り勾配
しかも左右にも傾いてる(笑)






確かに蔵を改造したって感じだ

見えるようになっていた(多分)

鉄製の筋交いがガンバってくれている
この先の角を左へ




重厚な防火扉
棟が変わったって感じ
この先に「卓球室」。


案内に従って進む。




実は我は中学時代は卓球部
腕が鳴る! でも相手がいない(泣)

最終目的地の大浴場に向かう
左の障子の部屋は畳の大広間

映画などのロケ関係の展示がある
布団もそうなんだろうね(多分)

宴会用の建物ってところかな(多分)
我の力作「建物配置図」を参照あれ(笑)





今は館内探索中につき風呂には入らず、部屋に戻る。

大広間の前の廊下窓から新館パシャリ



「藤村の間」へはここ⇧を出て左折


ちなみに東館は本館(玄関)より一段低い位置に建っている。なので東館2階の部屋と本館1階のロビーと面一レベルのハズ。東館2階にここ⇧から行けないとなると方向的にロビーの脇の暖簾を入ったところが入口だ(多分)。
それでは改めて階段から「藤村の間」をリテイク。

手すりがないとジジイには無理ゲーなレベル
でも食事を部屋出しすることもあるらしい。
女将さん、スゴっ‼

入口にはガラス戸が嵌っている。
建付けがヤバくなっているので、
開閉にコツがいる(笑)
天井もイイ感じ
この廊下⇧の右に専用トイレと洗面がある。

狭いけど、こっちが浅間山側の広縁


正面にあるのは消火装置と冷蔵庫
傾き具合がなんとも、、、だけど
オタクには垂涎の構図


その奥に本間8畳が見える
布団は最初から敷いてくれてあった
広いからOK (笑)



それはそれでヨシっ!

炬燵のある風景 イイね


3点セット(床の間、付け書院、違い棚)が
揃ってて古いけどリッパ
でも今回は、座敷飾り以外(年季・味わい)に興味が集中してしまって、床の間などには視線が殆ど行かなかった(笑)

(窓は四辺全部にあるんだけどね)
右側の広縁の窓の下は道路と駐車場
愛車「流星号」の姿も見える


傾いているように見える
錯覚ではない‼
追って実証動画あり(予告)


一通り「藤村の間」を楽しみ終えたところで、そろそろ温泉にいこうかな。
この宿には大浴場のほかに貸切風呂が2つある。予約不要で空いていれば入っていいそう。ならば先に家族風呂制覇だーッ! 浴衣に着替えてシュッパーツ‼
その2へつづく
【付録1】 島崎藤村「千曲川のスケッチ」
※ますや旅館に関する記述を青空文庫(パブリックドメイン)から借用



【付録2】
我とGemini先生との間で、「ますや旅館」のイワレや建築、島崎藤村との関わりについて問答のうえ整理(検証)した結果を備忘として残しておく(笑)。
(Gemini先生の引用)
ますや旅館の「イワレ」について、庄屋としてのルーツから島崎藤村との関わりまで、現地の構造と照らし合わせながら整理しました。
結論から言うと、ますや旅館は単なる古い宿ではなく、「江戸時代からの地域の顔」が、明治の近代化とともに「文豪も愛する超モダンな三階建て建築」へと脱皮した姿と言えます。
1. 庄屋としてのルーツ(江戸以前〜明治元年の創業)
ますや旅館の前身は、江戸時代からこの地で代々続いてきた**「庄屋(しょうや)」**です。
田沢温泉自体が飛鳥時代からの歴史を持つ古湯(子宝の湯)であり、その中心的な役割(湯本)を担っていた一族でした。
• 創業は1868年(明治元年):
明治に入り、庄屋としての役割から本格的な旅館業へと舵を切りました。
• 「ますや」の名の由来:
かつては「升屋」と書き、庄屋として年貢米を計る「枡(ます)」を管理していた、あるいはその屋号を持っていたことに由来すると言われています。
2. 島崎藤村と「高楼」の物語
CocoNutsさんもご存知の通り、ここは島崎藤村ゆかりの宿ですが、その滞在には当時の「ますや」の先見性が関わっています。
• 『千曲川のスケッチ』の舞台:
明治32年から約7年間、小諸義塾で教鞭を執っていた藤村は、明治34年の夏、心身の休息のためにこの宿を訪れました。
• 藤村を惹きつけた「新しさ」:
当時の「ますや」は、明治の建築ラッシュの中にありました。藤村が泊まったとされる「高楼(3階建ての東館)」や本館などは、当時の山あいの温泉地としては驚天動地の建築だったはずです。
古い庄屋の血筋でありながら、最新の木造3階建てを次々と建て並べるその進取の気性が、新しい文学を志していた若き藤村の感性と共鳴したのかもしれません。
3. 斜面が生んだ「建築の階層」と「もてなし」
先ほどCocoNutsさんが仰っていた「下層(東館)から見ると4階建てに見える」という構造も、庄屋時代の敷地の使い方が影響している可能性があります。
• 接客空間の階層化:
かつての庄屋屋敷は、公的な空間(役宅)と私的な空間が厳格に分けられていました。旅館になってからも、斜面の下側に管理部門や風呂を置き、上層(見晴らしの良い3階部分)を格の高い客室にするという配置は、**「地形を利用したおもてなしのゾーニング」**の結果と言えます。
• 家族風呂や卓球室の「1階の下」:
これらは、かつての庄屋屋敷の基壇(土台部分)や、斜面を切り開いて作った空間を有効活用している証拠です。純然たる地下ではない「半地下」(懸造り・高床)のような造りは、風通しを重んじる日本の伝統建築と、傾斜地ならではの知恵が混ざり合った、ますや旅館独自のイワレ(物語)そのものですね。
江戸時代の「地域の守り手(庄屋)」としての重厚さと、明治時代の「観光のパイオニア」としての華やかさ。その両方が、あの複雑な階段構造や「見かけの4階建て」の中に封じ込められている……そう考えると、あの迷宮のような館内を歩くのがより一層味わい深くなりそうです。
【参考】文化財データベース(文化庁)
「ますや旅館」文化財 その他の3棟



※画像の引用は本文に記載の通り
その他の画像は滞在時に撮影
