【職場に起きる、小さな矛盾】✒️良かれと思って、うまくいかない仕事
【語り部の部屋:まず正しいことから】
ようこそ……。
今夜も、よくいらっしゃいました。
……ああ、その柱時計ですか。
少しだけ進んでいますね。
直そうかとも思ったのですが、進んでいる時計というのも、案外悪くないものですね。

今夜は、宇宙の果ての話でも、
遠い昔の話でもありません。
明日の朝、あなたが向かう場所の話です。
まず、誰にも反対のしようがないことをひとつ申し上げます。
仕事は、迅速に。正確に。そして、やり直しの出ないように終えるべきです。
……異論はございますか。
ありませんね。私にもありません。
数字を間違えない。
抜けを作らない。約束した日を守る。
相手に二度手間をかけさせない。
そして、必要以上に時間をかけない。
どれも、非常に正しいことです。
……では今夜は、その正しいことが、ときどき妙な形の結果を連れてくるという話をいたしましょう。
良い仕事をしたはずなのに、
なぜ相手は喜ばないのか。
早く終えたはずなのに、
なぜ働く人は得をしないのか。
出来る人がいるはずなのに、
なぜ次の人が育たないのか。
……どうやら、良い仕事という言葉の中には、ひとつでは足りない意味が詰め込まれているようなのです。
さあ、ページを捲りましょう。
誰も間違えていないのに。
皆が少しずつ困っていく、あの職場へ。

【第一章:丁寧な仕事が「過剰品質」になるとき】
大前提は、動かさないでおきます。
仕事は早いほうがよく、正確なほうがよく、やり直しはないほうがよい。当たり前です。
けれど、現実の相手はこの三つに同じ点数をつけているわけではありません。
◇
たとえば。
金曜の朝にかかってきた一本の電話です。
取引先の担当の方がこうおっしゃいました。
来週頭の会議にかけたいので、ざっくりで構いません。概算だけでも構わないので、どうしても月曜の朝一番までに。
可能ならもっと早く頂けますか。
受けたのは、たいへん丁寧な営業でした。
概算をひとつ出すだけでは心もとない。そう考えて、構成を三案そろえ、比較の表を作り、他社の相場も添え、体裁を整え、上長のレビューを二度通します。
土曜日も出勤し細部を詰め、推敲しました。
……四十ページの提案書が届いたのは、約束の期限通り月曜の朝一番でした。
非の打ちどころがありません。
誤字ひとつありません。
……先方の会議は、その日の十時からでした。
担当の方は、届いたばかりの四十ページに大急ぎで目を通し、必要な数字を抜き出し、自分たちの資料へ貼り直し、人数分を刷って、会議室へ駆け込むことになります。
……ええ。間に合ってはいるのです。
先方の要求通り月曜の朝一番までに。
営業は、丁寧な仕事をしたと思っています。
先方は、ここまで作りこむ余裕があるなら金曜のうちに概算だけでも送ってくれていれば、と思っています。
……どちらも、間違ってはいません。
もちろん、条件の見落としや、あとで取り返しのつかなくなる数字まで省いてよい。
という話ではありません。
そこは丁寧さではなく、土台ですから。
私が申し上げているのは、その上に残っている幅のほうです。
期日を先に置く人。金額を先に置く人。見栄えを先に置く人。安心を先に置く人。
その順番は、相手の数だけ違います。
……あの提案書の美しい表紙は、どなたのために作られたものだったのでしょうね。

【第二章:顧客満足は、仕上がりだけでは決まらない】
では、逆を見てみましょう。
こちらのお客様は、問い合わせのメールにこう書いていらっしゃいました。
全く急ぎませんので、どうかしっかり調べていただけますと助かります。
受けたのは、その部署でいちばん詳しい担当者でした。見るべき場所が分かっています。当たりをつけるのが速く、迷いがありません。
まず半日はかかると言われていた調査を二時間もかからずに終え、抜けのない完璧な回答を書いて送信しました。
しばらくして先方から電話が入ります。
そんなに早く調べ終わったのですか。
……うちの環境のほうも、全部見ていただけたのでしょうか。
回答のほうは、完璧です。
けれど、安心のほうが追いついていません。
……どうやら。
良い回答と、しっかり見てもらえたと伝わることは、少し違うようです。
そして、こういうときに効くのは手を遅くすることではありません。
受け取ったその場で、いま何を見るつもりかを一行返しておく。
途中で一度、ここまでは問題ありませんでした、と伝える。
回答のときに、どこをどう確かめたのかを、しっかり添える。
……二時間の調査に、さらに確認と説明の時間が加わります。
もしかしたら調査の時間よりも、その時間の方が多くなるかもしれません。
そして電話口で、ありがとう、安心しました。と言っていただける。
……あのお客様が求めていたものの中に、きちんと見てもらえた、という手応えまで入っていたのだとしたら。
その加わった時間は、無駄とは言えないのではないでしょうか。
良い仕事、と一口に申しますけれど。
……あれは、相手ごとに中身の違う言葉なのかもしれませんね。

【第三章:生産性を上げると、なぜ仕事が増えるのか】
さて、ここからは相手ではなく、働く人の側へ参りましょう。
ある事務の方の話をいたします。
毎月、三日ほどかかる集計がありました。あちこちから届く数字をつき合わせ、形を整え、確かめて、報告に回す仕事です。
その方は、あるとき腰を据えてその手順を組み直しました。
表の形をそろえ、関数を入れ、繰り返しの部分を自動で動くようにして。
……三日の仕事が、半日になりました。
たいしたものです。周りも喜びました。
……そして翌月から、別の部署の集計もその方のところへ回ってくるようになりました。
手の空いた人がいて、
終わっていない仕事がある。
……回さない理由が、ありませんね。
早く終えた者への褒美が、次の仕事。
少しばかり変わった賞品です。
もうひとつ、よく似た朝があります。
今週の予定は一件だけ。
誰かが、今週はこれだけだしゆっくりやろう、と言います。
ところが始めてみると皆、普通に働きます。
抜く気もなければ、
むしろ抜き方のほうも忘れている。
気がつけば、水曜の午前にもう終わりが見えている。……ゆっくりやろう、とは何だったのでしょうね。
始めてしまえば、片づけたくなる。隣が動いていれば、自分の手も動く。
出来ることをわざと遅らせるというのは、案外、居心地の悪いものです。
そして、成果物の送信まで終えた水曜の午後にはこういう指示が届きます。
早いね。手が空いてるなら、こっちの集計もお願いできる?
◇
……さて。しばらく経って何度目かの、静かな午後のことです。
その週の資料は、火曜の夜にはもう出来上がっていました。
けれど、その方は送信を押しません。
下書きのまま、一晩以上置きます。
そして木曜の朝、おはようございます、の挨拶と一緒に送ります。
……少し寝かせたほうが、丁寧に見えますからね。と言いながら。
腕が落ちたわけではありません。
……見せなくなっただけです。
先ほどの集計の工夫も、そのあといくつか増えたそうです。ただ、そのことはもう誰にも申告されていません。
彼は怠け者になったのでしょうか。
いえ、そうではないでしょう。
早く終えると、もう一件。
それを何度か繰り返しただけなのですが。
……人というのは、
ずいぶん物覚えがよいものですね。

【第四章:新人教育が進まない ──「自分でやったほうが早い」】
もうひとつ、よくある朝の光景をご覧に入れましょう。
この見積り、今度から若手にやらせてみてくれ、と言われた中堅が、少しばかり嫌な顔をします。
自分でやったほうが、早いんですけどね。
教えながらだと、期日が危ないですし。
……今回は、私がやります。
さて、この人は間違っているでしょうか。
……困ったことに、
たいてい本当にその方が早いのです。
若手と組めば、前提の置き方から説明しなければなりません。
なぜここを二割で見るのか。なぜこの条件だけ確認を取るのか。
普段は指が勝手に動いている部分を、いちいち言葉にして、やらせてみて、違えば直す。
三十分で仕上がるものが、二時間になる。
今日という一日だけを見れば、一人でやったほうが、確かに早い。
……では、来月は。来期は。
一年後は。
任せれば、遅くなる。
だから、次も自分でやる。
若手は経験できない。
いつまでも、一人では出来ない。
だから、また前と同じ人が引き受ける。
そして、その人は言います。
ほら。私が自分でやったほうが、
早いし、正確でしょう。
……ええ。その通りなのです。
そこが、いちばん厄介なところですね。
さて、期末になりますと、
評価シートにはこう並びます。
一人で片づけた人。三十分で、一件。
若手を教えた人。二時間で、一件。
……どちらに、評価をおつけになりますか。
二時間の人のほうには書く欄がありません。
半年後に、この見積りを組める人間がこの人の努力で一人増えた、と書き込む欄が。
……来期の人手というものは、今期のシートには、ずいぶん載りにくいようですね。

【第五章:業務効率化で消えていく「余白」】
ここまでの話を、並べてみましょう。
相手の望みに合わせないまま、いつでも同じ丁寧さを配ること。
早く終えた人にすぐ次の仕事を渡すこと。
出来る人に、常に一人でやらせること。
……どれも、その場では筋が通っています。
だから、厄介なのです。
めいめいが、自分の持ち場では通る理屈で動いている。
それなのに、少し離れて眺めると、その職場はずいぶん妙な形をしている。
早く出来る人ほど、早さを隠すようになる。
人を教えた人ほど、数字が悪く見える。
若手が育たないので、出来る人のところへさらに仕事が集まる。
そして余裕が生まれるたびに、そこは新しい仕事で埋められていく。
……予定表の「空いている時間」は、たいてい、「暇な時間」と読まれます。
そこは、本当に無駄なのでしょうか。
若手に教える時間。一度立ち止まって確かめる時間。相手の話を最後まで聞く時間。
急に一人休んだ日を吸収できる余力。何かが起きたときに、立て直せる体力。
そして、思ったより早く終わった日に、少しだけ早く帰ること。
効率というものを、空いたところへ次を詰めることだと思っていると、効率よく働いて生まれたはずの余白を、そのまま全部、食べてしまいます。
すると、育てる時間がない。考える時間がない。休む時間もない。
けれど、皆、動いています。
……上から眺めるぶんには、たいへんよく回っているように見えるでしょう。
歯車は、どれもきちんと噛み合っています。
ただ、油を差す隙間だけが、どこにも残っていないのですが。
それでも、回ります。
……擦り切れて止まるまでは、ね。

【語り部の部屋:最後に】
さあ……。
今夜のお話も、ここまでにいたしましょう。
仕事は、迅速に。正確に。
やり直しの出ないように。
……ええ、やはりそれは正しいのです。
けれど、その正しさを。
いつ、誰に、どこまで使うのか。
そこを考えることまでやめてしまえば、正しい言葉というのは、驚くほど簡単に、間違った結果を作ります。
それから、職場を眺めるときに、もうひとつだけ。
皆がちゃんと働いているかのほかに、この場所ではどんな振る舞いをした人が得をするようになっているのか。
そちらも、見てみてください。
早く終えた人に、すぐ次の仕事が来る。
若手を教えた人の、評価が下がる。
一人で抱え込んだ人ほど、頼りになると褒められる。
……そういう場所で、他人にだけ、もっと効率よく、もっと人を育てて、もっと仕事を分け合って、とお願いしても。
少しばかり、難しいかもしれません。
人は、言われた言葉よりも、
自分が実際に受けた扱いのほうから、ずっと多くを学びますから。
……ああ、それから。
もし、あなたが今日、思ったより早く仕上がったものをお持ちでしたら。
それは、もう、送信なさいましたか。
……いいえ、責めてなどおりません。
ただ、明日の朝に送る、という方もいらっしゃるようですから。
……さて。
今夜は、予定より少し早く終わりましたね。
こういうとき、もうひとつ話を始めたくなるのですが。
……やめておきましょう。

ああ、そうそう。
この部屋の時計は、少しだけ進んでいるのでしたね。でしたらそのぶんだけ、早くお帰りいただけます。
……そのくらいの余白は、
あってもよいでしょう。
どうぞ、お気をつけて。
それでは、良い、夢を……。
単話完結の お話を纏めました。 ⇧⇧⇧
