【旧日本軍に学ぶ、「止まれない」会社組織】会議はした。誰も止めなかった。
【語り部の部屋:出来るとは言っていません】
ようこそ……。
今夜も、よくいらっしゃいました。
……ああ、こちらですか。
ええ、古い紙の束です。
判が並んでおります。
これはあとで、お見せしましょう。
今夜は、
もう少し新しい部屋の話から始めます。

会議室を、ひとつ思い浮かべてください。
新しいシステムの導入でも、
大型の案件でも、
新規事業でも構いません。
営業の方が言います。
「正直、かなり厳しいと思います」
技術の方が言います。
「この納期ではリスクの方が大きい」
経理の方が言います。
「採算は、相当厳しいですね」
部長も、腕を組んで言います。
「まあ、これは簡単ではないな」
……それでも。
翌週の会議では、「どうやって実現するか」
が議題になっています。
……妙ですね。
誰も、出来ると言っていないのに。
いつの間にか出来ることになっています。
これを、会社では何と呼ぶのでしょう。
上意下達。
忖度。
組織の空気。
……どれも、少しずつ当たっているのでしょうね。
けれど今夜は、もっと大きな組織がもっと取り返しのつかない場所まで、同じように歩いていった話を見てみたいのです。
太平洋戦争のころの、日本軍です。
精神論。無謀な突撃。
補給の軽視。無能な指揮官。
……ええ、私も否定はいたしません。
どれも、根拠のある言葉です。
ここでひとつだけ、
お尋ねしてもよろしいですか。
では、その人たちは。
何も考えていなかったのでしょうか。
……作戦会議は、しています。
作戦も立てましたし、数字も読みました。
報告書も作り、反対意見すら記録にいくつも残っています。
誰も働いていなかったわけではありません。
むしろ、たいへんよく働いていました。
今夜は、無能な人々の話ではありません。
まともな人間が、まともに仕事をして。
それでも組織全体では間違っていく話です。
さあ、ページを捲りましょう。
誰も「出来る」とは言わなかったのに。
誰も止めなかった場所へ。

【第一章:組織の意思決定──「やるべきか」が「どうやるか」に変わるとき】
最初にご紹介するのは、無能な人間の例ではありません。
……むしろ、その逆です。
山本五十六。
若いころにアメリカへ渡り、
その国の学校で学び、駐在武官としてその土地に暮らした人物です。
工場を見て、油の話を聞き、あの国がどれほどの鉄と油を動かせるのかを書物ではなく自分の目で知っていました。
三国同盟にも、対米開戦にも、慎重な立場を取っていたことが知られています。
時の政治指導者に問われたときも、初めの一年ほどは暴れてみせられるが、その先の確信は持てない、という趣旨の答えを残したと伝えられています。
……決して、現実が見えていなかった男ではありません。
むしろ、かなりよく見えていました。
そこから奇妙なことが起こります。
戦争は避けるべきだと考えていた人が、いったん「戦争をする」という前提が動かなくなったあと、何を始めたか。
では、どう始めれば少しでも勝機を作れるか。
その計算を始めるのです。
そうして現れたのが、真珠湾攻撃という大きな博打でした。海軍の中にも反対はありましたが、彼はそれを押し通したとされています。
……お気づきでしょうか。
愚かな人だけが、愚かなことをするのではありません。
前提を変えられなくなったとき、
賢い人は、その前提の中でいちばん賢い方法を探し始めます。
そして賢いぶんだけ、
その方法は、よく出来てしまう。
……ところで。
似た会議を、
ご覧になったことはありませんか。
この新規事業を、本当に始めるのか。
到底無理ではないのか。
……その問いが、いつの間にか。
どうすれば四月に間に合わせられるか、に変わっている。
この業務は、そもそも必要なのか。
……いつの間にか、どう自動化するか、に。
この会議は、そもそも要るのか。
……いつの間にか、次回の議題の話に。
この目標は妥当なのか。
……いつの間にか、どう達成するか、に。
誤解のないように申し上げますが、自動化も達成も、それ自体は良いことです。
ただ、人というのは、与えられた問題を解くのがたいへん上手です。
……ですから。
間違った問いを与えられたときほど、優秀な人は危ういのでしょうね。
『やるべきか』は、いつ『どうやるか』に変わったのでしょうか。

【第二章:責任の所在はなぜ消えるのか――「誰が決めた?」に答えられない組織】
ここで、個人から組織へ、目を移しましょう。
陸軍があり、海軍があり、政府があり、大本営があり、それぞれの司令部があります。
巨大な組織です。
そして巨大な組織には、正式な命令系統も、会議も、決裁の仕組みもあります。
ですから、誰も決めなかった。
という言い方は正しくありません。
……当然、人が決めています。
けれど、妙なことが起こります。
一人ひとりは自分の受け持ちの範囲だけを決めていて、誰も全体を自分の決定だとは感じていないのです。
ある者は、
政治が決めたことだと考えます。
政治の側は、
軍が可能だと言ったのだと考えます。
軍の上層は、
現場が実行できると判断したと考えます。
そして現場は、
上からの命令だ、と考えます。
……それぞれに、それぞれの理屈があります。
嘘をついている人は、どこにもいません。
……さて。
こちらの言い回しには、聞き覚えがおありでしょうか。
経営は言います。
「事業部が、出来ると言ったので」
事業部は言います。
「営業が受注してきた案件ですから」
営業は言います。
「技術から、無理だとは一度も聞いていませんでしたので」
技術は言います。
「私がこれを伺ったときには、もう契約締結のあとでしたから」
……では、お尋ねします。
この仕事を、誰が受けたのでしょう。
……全員です。
では。
誰が、受けると決めたのでしょう。
……妙なことに。
そこだけ、急に人影が薄くなります。
こういう話をするとき、よく使われる言葉がありますね。
あのときの空気がそうさせたのだ、と。
……便利な言葉です。
言われてみれば、そうかもしれないと思えてしまう。そのうえ誰も傷つけずに済みます。
けれど、こちらの古い書類を少しご覧ください。
日付があります。
署名があります。
そして、判が押してあります。
……空気には、判を押す手がありませんね。
稟議書にも。
承認のボタンにも。
議事録の出席者の欄にも。
空気、という名前の行はございませんね。
……責任というものは不思議です。
一人で持つと、ずいぶん重い。
大勢で少しずつ持つと。
……いつの間にか、
重さがなくなったように見えるのです。

【第三章:サンクコストの罠──「ここまでやったから」が撤退を遅らせる】
次は、間違いがなぜ途中で直されないのか、という話です。
ガダルカナル島。
一九四二年、この島に敵が上陸します。
日本側は当初、その規模を実際よりずいぶん小さく見積もっていました。
そこで、
千人に満たない先遣の部隊が送られます。
……壊滅しました。
ならば、と。
次はもう少し大きな部隊が送られます。
……これも、退けられます。
さらに、師団規模の兵力が投じられます。
……同じことが、繰り返されました。
本来ならまとまった戦力として扱うべき兵力が小分けに投入され、削られていきます。
そして、戦線が遠くなるほどそこへ物を届けることは難しくなります。
兵を、前線まで徒歩で送ることはできます。
……では、その兵が毎日食べる米にも、同じ距離を歩いてもらいましょうか。
やがてこの島は、
餓島と呼ばれるようになります。
そこで倒れた人の中には、戦って死んだ者よりも、飢えと病で死んだ者のほうが多かったとされています。
……さて。
ここで、少し妙な計算をお見せしましょう。
最初の損失は、本来なら退くための理由になるはずのものです。
ここまで失ったのだから、
この作戦は割に合わない、と。
ところが、しばしば逆になります。
ここまで失ったのだから、
いまさら退けない、と。
……不思議な算数ですね。
損をした額が増えるほど、やめる理由ではなく、続ける理由が増えていく。
取り返せないものに引きずられるこの癖には、今では名前まで付いているそうです。
サンクコスト。
日本語では、埋没費用と申しましたか。
……人というものは。
名前を付けなければならないほど、何度も同じことを繰り返すのですね。
さて、こちらの帳面も少し見てみましょう。
半年をかけました。
三千万を使いました。
役員会でも説明しました。
顧客にも、発表してしまいました。
担当者は、すでに五人が異動しています。
……ここまでやったのだから続けましょう。
けれど、いちばん厄介なのはたぶんお金ではありません。
この案件を止めるということは、あのとき始めた判断は間違っていた、と誰かが認めることでもあります。
その誰かには、顔と、名前と、これまでの経歴があります。
……こうして、現実よりも先に。
組織の中で「何を失敗と呼ぶか」という話のほうが片づいていきます。
その赤字の案件を続けているのは、
将来的に利益を出すためなのか。
それとも、過去の決定を間違いにしたくないためだけのことなのか。
……ときどき、それを確かめておいたほうがよいのかもしれませんね。

【第四章:「無理です」は、なぜ止める言葉にならないのか──組織と意思決定の矛盾】
今度は、会議室から始めましょう。
「ちょっと、厳しいですね」
「リスクはかなりあります」
「現場としては大きな懸念があります」
「納期に無理があると思われます」
……どれも議事録に残っています。そしてプロジェクトは、予定どおり動き出します。
やがて、うまくいかなくなります。
すると、こういう声があちこちから聞こえてまいります。
「私は、懸念を伝えていました」
……なるほど。
皆さん、反対はしていらしたのですね。
ただ、止めた人はいなかった。
止めれば、「進行を妨げた人」になるかもしれない。
懸念だけ残して進ませれば、
「リスクを指摘した人」でいることができる。
……さて。
組織の中では、どちらのほうが安全なのでしょう。
無理です、という言葉と。
私は承認しません、という言葉。
このあいだに、会議室ひとつぶんどころではない距離があったのでしょう。
……さて、古いほうの話へ戻りましょう。
インパール作戦。
一九四四年、ビルマからインドの東部へ攻め込もうという計画です。
あいだにあるのは、険しい山地と、密林と、間もなく来る雨季。
道らしい道はなく、そこを大部隊が越えていくための補給の見通しは、率直に申し上げて立っていませんでした。
牛や羊を連れて行き、荷を運ばせ、いずれ食糧にするという構想まで語られています。
これを強く推し進めたのが、第十五軍を率いた牟田口廉也氏でした。
……一人の男が、強く望んだ。
それは、事実でしょう。
けれど、一人の男の希望だけでこれほど大きなものが動くこともありません。
無理があると知っていた人はいました。
懸念を口にした人も記録に残っています。
それでも計画は上へ送られ、承認され、動き始めます。
誰かが、上で止めるだろう。
もう決まったことなのだろう。
いま覆せば、混乱するだけだ。
ここまで準備をさせておいて、もういまさら言えないだろう。
……「無理です」という言葉は、確かに記録には残りました。
作戦のほうは、止まりません。
やがて前線では補給が完全に途絶えます。
そして、第三十一師団を率いていた佐藤幸徳が、命令に反して部隊を後退させます。
結果として多数の命が助かりました。
……だからといって、彼をここで英雄にしてしまうのも、また違うでしょう。
命令に逆らうことが、いつでも正しいわけではありません。
ですが。
命令に従うことと、人を生かすことが別々の方向を向いてしまったとき。
人は、どちらを選べばよいのでしょう。
撤退の道は、のちに白骨街道と呼ばれるようになります。飢えと、病と、雨の中を。
装備を捨てながら歩き、そこで力尽きた人たちがいました。
……もちろん。
ひとつの会社の失敗と、そこで失われた命を同じ重さで並べるつもりはありません。
ただ、人の集まりというものが、止めるべきものを止められなくなるとき。
その仕組みのほうには、時代は変わっても見覚えのある形が残るようです。

【第五章:評価制度が仕事を変える──「現実を解く仕事」と「社内で評価される仕事」】
こういう話をすると、
必ず出てくる言葉があります。
無能な働き者、というものです。
有能な怠け者よりたちが悪い、といった形で語られますね。
……ちなみに、この分類は外国の軍人の言葉として広く紹介されていますが、その出所は実ははっきりしていません。
よく出来た話ほど、出所の分からないまま長く生き延びるようです。
それに、もし本当に一人の無能な働き者だけが原因だったのなら。その人を外せば話は終わっていたはずです。
……そうは、なりませんでした。
有能な人も、いました。
慎重な人も、いました。
現実をよく理解していた人も、反対した人も、もちろんいました。
そして、多くの人が、勤勉でした。
会議をして、資料を作り、命令を書き、補給の計画を立て、報告を上げる。
……奇妙ですね。
誰も、仕事をしていなかったわけではない。
むしろ皆、よく働いている。
なのに。
働けば働くほど現実から遠ざかっていく。
……では。それはいったい、何のための仕事だったのでしょう。
……こちらも、そろそろご自分の机の上でお考えになったほうがよいかもしれません。
赤字の案件を止めることよりも、リスクは報告済みです、とだけ残しておくこと。
お客様の困りごとを解くことよりも、社内重役向けの説明資料を整えること。
そもそも要るのか、を考えることよりも、決まった業務だからとそのまま続けること
業務で若手を育てることよりも、自分でその業務を早く終わらせること。
……これらは、怠けているのでしょうか。
……いいえ。
むしろ皆さん、たいへん真面目に働いていらっしゃいます。
問題のほうは、別の場所にあります。
何をすれば、
この組織の中で
「よく働いた」と上から見えるのか。
……その方々の目的はきっと、
そちらの方なのでしょうね。
売上につながらない報告書。
決める人のいない会議。
誰も開かない管理表。
去年もやったから、
という理由だけで今年もやる仕事。
本当は止めたいけれど、自分から言い出したくはない案件。
……皆さんには。
まったく、縁のないお話でしょうか。
……組織が狂う、というのは。
全員が狂人になることではないのかもしれません。一人ひとりは、自分の場所で根拠のある仕事をしている。
それなのに。
気づけば誰も望まなかった場所に、
皆で立っている。
……そういう狂い方もあるのでしょうね。

【語り部の部屋:判は揃っていました】
さあ……。
今夜のお話も、そろそろ終わりです。
……最初にお見せした、
あの紙の束へ戻りましょうか。
会議は、しました。
命令も、正式でした。
必要な者が、順に確認しました。
そして。
……判も、揃っています。
……だからこそ、怖いのです。
……ああ、それから。
こちらに、もう一枚。
もう少し新しい紙ですね。
日付があります。
承認の欄があります。
名前も、順番どおりに並んでいます。
……こちらも。
きれいに、揃っておりますね。
最初の問いへ戻りましょう。
これは、誰が決めたのか。
誰か一人が決めたのではありません。
署名の皆が、少しずつ決めたのです。
ですから、空気が決めたのだという言い方を、私はあまり好みません。
空気は書類を書きません。
会議にも出ません。人も送りません。
そして何より、空気は責任を取りません。
……もっとも、公平なことをひとつだけ。
今夜の話は、すべてが終わったあとの明るい部屋から眺めた話です。
その場に立っていた人たちに、これほど整えられた形で見えていたはずもありません。
人を裁くのは、
いつでも後の世のほうが簡単です。
それでも。
もし、あなたの職場に。
誰も良いと思っていないのに、なぜか続いているものがありましたら。
一度だけ、尋ねてみてください。
これは誰が決めたのでしょう、と。
……答えが
「みんなです」
「その時の空気で」
だったときほど。
少しだけ、お気をつけください。
みんな、という人も、
空気、という人も。
……どこにも、いませんから。

そろそろ、お帰りの時間ですね。
今夜は、廊下も明るくしてあります。
迷うことは、ないと思います。
……ええ。
道が見えていることと、
正しい方へ歩いていることは、
――別ですけれど。
それでは、良い、夢を……。
単話完結の お話を纏めました。 ⇧⇧⇧
