驚き。小川大介先生大炎上 先生ほどの方が――北極星を見る先生と、波を見てくれる先生のあいだで/教育熱心の最後の1年
人気の中学受験講師「小川大介先生」の投稿が広がっている。
中学受験で筑駒を目指す親に「ノブレス・オブリージュ欠如」とラベルを張った発言だ。
この投稿の「驚き」は大きかった。
小川先生ほど、教育を深く考えてきた方が、あのように主語を大きく置き、ラベルを貼るのか、と。
2026年2月12日の炎上中の小川大介先生の筑駒ラベリング投稿を見てみる
どんな発言と広がりだったのか? XのAI要約には、以下のように表記されている。
小川大介氏は2月11日、暴論と前置きしつつ、筑駒志望の親に貴族の社会的義務意識が不足していると指摘。灘や渋幕などの地域トップ校志望家庭とは志が違うと述べ、東京の風土を疑問視した。これに対し「努力で這い上がる庶民に貴族の義務を求めるのは誤用」「国立校で学費安く実力勝負」との反論が多く、就職氷河期世代からは「復讐心すらある」と厳しい声も。一方少数擁護意見もあり、受験競争と社会貢献のギャップをめぐる議論となった。
Xの経過はこちら·
炎上されたとしても1日で131.8万件のインプレッションと、保存数236、いいね813、リツイート279件、コメント56件を獲得されているので、ご自身が開発された、才能を90のタイプにわける「コドモメガネ」という手法の認知には十分だっただろう。
続いて、小川大介先生の炎上の実際の投稿を、前後の投稿とともに見てみる
小川大介@90タイプ才能診断『コドモトメガネ』開発者
@Kosodate_Ogawa·
2月11日
【暴論です】
子どもを筑駒に合格させたがる親たちに、ノブリスオブリージュ感が恐ろしく欠如している現象は、日本教育の大きな損失の一つだと思う
灘、渋幕、東大寺、洛星、久留米大附設 etc.の各地域のトップ校を目指す家庭と、なんだか志が違うんですよね 東京がそういう街ということなのかな
小川大介@90タイプ才能診断『コドモトメガネ』開発者
@Kosodate_Ogawa
·2月12日
なるほど
この感じが今のXのアルゴリズムなんですね
小川大介@90タイプ才能診断『コドモトメガネ』開発者@Kosodate_Ogawa·2月12日
この問題意識について、以前別の形で記事にしていました。 よければこちらもお読みください。
自身の記事への誘導→
「協力できない社会で、私たちは何を見失ったのか ―子育ての現場から考える、個別最適と公共性の再設計―」
小川大介@90タイプ才能診断『コドモトメガネ』開発者
@Kosodate_Ogawa
19時間
あら、トレンドになってしまったか。。。
小川大介@90タイプ才能診断『コドモトメガネ』開発者
@Kosodate_Ogawa
2月8日
教育素人のバカな政治家と行政が、こうやって教育の足元を壊していく なんでも学校に押し付ける「一部」の市民の責任も無視してはいけませんね 高崎市「小学校7時開門」で校務員が次々と退職
この発言の流れを見ていると、筑駒~の投稿の真意は、協力できない社会で、私たちは何を見失ったのか ―子育ての現場から考える、個別最適と公共性の再設計―というご自身の主張にあるのだと思う。
※協力できない社会で、私たちは何を見失ったのか ―子育ての現場から考える、個別最適と公共性の再設計という小川先生の記事の感想はこちらの記事のStandFMにいれました。文字として表記するのが怖かったので💦テキストでは具体的には触れられませんでした。
先生の意図と、発言炎上のポイントは?主張は不明確なのに、事例が個別具体的だったせい?
一方で、あの発言が炎上した理由はそれとは違うのが明確だ。
「筑駒を目指す子供の親」
という主語の大きさと
「ノブレス・オブリージュ欠如」
という価値観ラベルを直結させたこと。
これは教育論というより、
「社会階層観」「東京観」「エリート観」まで巻き込む言葉だった。
主語デカに保護者を批判されるという意味ではネオネグレクトという書籍がベストセラーになっているスタジオキャンパスの矢野耕平先生と、小川先生はX上で親密なやり取りをされています。
この本が出た時も根拠なきレッテル貼りムーブメントのように見えましたが、今振り返ると、お二人は同じ問題意識と、同じスタイルで保護者にレッテルを貼り批難をされているようにも思えます。
小川大介先生の発言の背景の「協力できない社会で、私たちは何を見失ったのか ―子育ての現場から考える、個別最適と公共性の再設計―」とは?
小川大介先生の協力できない社会で、私たちは何を見失ったのか ―子育ての現場から考える、個別最適と公共性の再設計―という記事は、わたしも読んだ。
あの投稿を読むと、おそらく先生の今回の炎上の本旨は以下だと思う。
協力できない社会で、私たちは何を見失ったのか?
ココで言う「私たち」は先生ご自身のことではなく、
中学受験をさせる親を「私たち」と表現していると解釈すると
→
協力できない社会を作り出す、筑駒を中心とした中学受験の親は、大切なものを見失ったダメな親だ
ここで小川先生が問題提起というか、断罪しているのは、
個別最適ばかり追い求める教育を求め
公共性を語らなくなった受験に取り組み
成功=個人最適化という価値観を持つ
と先生がとらえている筑駒を中心とした中学受験親なのではないだろうか?
それなのに、問いが抽象的で、例が具体的だった。
だから炎上した。そんな風に見えた。
筑駒をはじめ、中学受験をさせた親は「公共性を忘れている」のか?
小川先生が仮に、中学受験生の親を上記のように解釈し批判しているとして、実際に受験の渦中にいる親の頭の中は、そんなに抽象的なのだろうか?
私自身の場合は、
今の偏差値
明日の模試
この単元が弱い
この子は今、眠れているか
それだけで、正直いっぱいいっぱいだ。
親は、子どもが今、溺れそうかどうか。
それだけを見ていたと思う。
どんな風に社会論を語る中学受験講師を選ぶのか? 学校を選ぶのか?
教育者が社会を語ることは、悪いことではない。
むしろ必要だと思う。
でも、問いはここだ。
中学受験の現場で、毎月、毎週のテストのなかでそれを、こんな風に親批判で語る?えっ?まじですか?
受験塾は、
・志を育てる場なのか
・合格技術を磨く場なのか
・公共性を再設計する場なのか
その役割の求め方は、家庭ごとに違う。
我が家にとって塾は「波を見る場所」だった。
学校は、子どもが長くいる場で、仲間が多く、
人格形成の重心を置く場所。
塾はスポットで、技術特化の場所。
これは消費的な意味ではなく、機能分化だ。
北極星を見る小川先生
小川先生の文章を読んだとき、私は思った。
この先生は、北極星を目指して中学受験を語る。
社会の行方。
公共性。
個別最適の限界。
それは大切だ。
でも、受験という荒波の中にいる親が求めるのは、
サーフィンのときに隣で波を見てくれる人だ。
今日の風向き。
明日の天気。
今、立てるかどうか。
気候変動の話は、あとで考える。
今は息継ぎが先。
それを、公共性がないと評する。。。極論すぎて。。。無理。。。
子どもが溺れているときと、泳いでいるとき
ここが、いちばん伝わらなかったことかもしれない。
子どもが溺れているときは、
波を一緒に見てくれる先生が必要だ。
子どもがすいすい泳いで、伸びているときは、
北極星を見せてくれる先生が必要だ。
師を変えるのではない。
重心を変えるだけだ。
でも、その選択が、
「志が低い」「公共性がない」と受け取られるのだとしたら、
親は戸惑う。きつい。。。
固い議論しかできない空間
もう一つ、私が驚いたのはここだ。
議論の雰囲気が、あまりにも硬い。
北極星以外の考え方を、
受け入れる余地がないように見えた。
公共性を語ることは大切だ。
でも、公共性を語る空間が、
多様性を受け入れられないなら、
そこに子どもを置きたいとは思えない。
というか、きつくない?
自分だけが正しい。そういう先生。特に塾で。個人塾で。あわない場合、全否定で逃げ場なし。。。
親は、公共性をどこで学ばせると考えているのか?
受験塾で学ばせる家庭もあるだろう。
でも、我が家は違った。
公共性は、
学校生活
部活
文化祭
友人関係
家庭での会話
そういう場所で、ゆっくり育つものだと思っている。
受験塾にそれを求めないことが、
公共性の否定になるとは思わない。
どちらの先生を選ぶか
北極星を見る先生と、
波を一緒に見てくれる先生。
子どもが溺れかけているとき、
あなたはどちらを選びますか?
そして、
子どもがすいすい泳いでいるときは?
私は、その時々で、重心を変える。
それだけのことだ。
それを「志の欠如」と呼ばれることに、
少し驚き、少し寂しさを感じている。
でも同時に、
だからこそ、親は自分で環境を選ぶのだとも思う。
小川大介先生の発言について、ほかにも考えている途中の記事
北極星を見る先生と、目の前の波を見てくれる先生 どっちの先生を選ぶ?/子育て全力投球親の最後の1年
小川大介先生と親交が深い矢野耕平先生による同じ文脈の保護者批判について考えている途中の記事 特に湾岸タワマン共働き親批判の「ネオネグレクト」について
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医学部受験を突然子どもがするといい始めて、、、どうする? 情報収集メモ。合格するかは神のみぞ知る。志望変更可能性大。
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