『さよならの向こう側』第13回 贈り物 #創作大賞2025 #恋愛小説部門
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梅雨の時期には珍しく、晴れた午後が訪れていた。
強い陽射しと、心地よい風。
手に提げた紙袋の中で、ケーキの容器がかすかに揺れた。
孝輔に教えてもらった、駅前の小さなケーキ屋さんで買ったモンブラン。和三盆を使っていて、すっと溶けるような甘さがわたしの好みだ。
チャイムを鳴らすと、少し遅れて出てきた孝輔。
「わ、ありがとう」と笑った。
「孝輔が教えてくれた、モンブランだよ。
それから、わたし特製の豚バラ大根も持ってきた。
冷蔵庫に入れておいてね」
「助かる。まだちょっと、手の込んだ料理が作れてなくて」
スーパーやコンビニのお弁当続きで、晴美に文句を言われていたらしい。
「そういう料理はしばらくわたしに任せて、
ちゃんと寝てよね」
「うん。しばらく在宅勤務させてもらったから、
そのぶん休めたよ」
ほんの数週間前まで、ぎこちなさと気まずさが渦巻いていたのが嘘のようだ。いまは、孝輔の表情にも柔らかさが見える。
差し入れも、断られない。
――まったく、不器用なんだから…
同僚時代は、わたしのことが好きなくせに
気持ちを抑えて平然としている彼が気の毒で、冗談を言うこともできなかった。
やっぱりこの人は、無我夢中で、頭が何かでいっぱいのときより、
ふっと日常に返ったり、リラックスしているときのほうがすてきだな。
「じゃあ、またね。仕事あるから戻るね」
そう言って、踵を返しかけた時だった。
ふと、玄関の端に紙の封筒が落ちているのに気づいた。
「あれ? これ……」
手に取ると、薄茶色のクラフト封筒。
表面には、色鉛筆で描いたような幼い筆致の文字があった。
『パパへ』
その一言とともに、小さな折り紙の花がいっぱい貼られている。
けれど、裏返した封筒の角、消しかけられた鉛筆の文字がうっすら残っていた。
『いつかの、だれかへ』
それは何かの断片のようだった。
途中まで書かれ、そして迷ったように消された言葉。
わたしは、それを見つめたまましばらく立ち尽くしていた。思わず小さく笑ってから、ひとり言のように言った。
「……ごめんね、拾っちゃって」
きっとこの言葉の持ち主は、自分では渡す場所をまだ見つけられていないのだ。
翌日、仕事帰りにもう一度、彼の家を訪ねた。
差し入れと一緒に、あの封筒を小さなビニール袋に入れて、そっと持ってきた。
ちょうど晴美が帰ってくるところだった。
ランドセルを背負い、イヤフォンのコードが首に垂れている。
「……晴美ちゃん、こんにちは」
その声に、晴美は少しだけうなづいた。
だが返事はない。いつものことだ。
「昨日、これ、玄関に落ちてた。たぶん、晴美ちゃんのだよね」
そう言って、封筒を差し出す。
晴美は無言で受け取り、ちらりと中身を確認してから、ぎゅっと封を押さえた。
立ち去ろうとしたそのとき、不意に声がした。
「……勝手に見たんでしょ」
わたしは振り向いて、少し困ったように笑った。
「ごめんね。……でもね、なんか、
おばさんは“もらった”気がしたよ」
晴美はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりとその封筒をポケットにしまうと、
少しだけ手を挙げて家の中へ入っていった。
それは、わたしに手を振ったようにも見えた。
帰り道。
コンビニ袋を握りしめながら、明日香はぽつりとつぶやいた。
「“もらった”なんて、ずうずうしいよね……」
でも――心のどこかが、あたたかかった。
意味はまだわからない。
けれど、晴美に何かが届いた気がしていた。
彼女は信号を渡り、商店街の角を曲がった。
その数秒後。
孝輔のマンションのエントランスの向かい側に、ひとりの男が立っていた。
黒のパーカーにキャップを深くかぶり、顔の半分もマスクで覆われている。
手には、コンビニの袋。
だが、その視線は、さっきまで明日香が立っていた家の玄関に向いていた。
しばらく何かを考えているように立ち尽くしたあと、男は静かに踵を返し、人混みの中に紛れていった。
誰にも気づかれないまま――
***
歩道を渡る風に、袋の中のクッキーの包みが、また小さく鳴った。
音が、音でなく何かの声に思えた。
明日香は、小さく鼻の奥をすすって、前を向いた。
(つづく)
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※このお話はフィクションです。登場するお店のメニュー、営業時間などは事実と異なる場合があります。
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