『さよならの向こう側』第12回 揺れる光のなかで(明日香視点)#創作大賞2025 #恋愛小説部門
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知り合いのデザイナーから、ランチ帰りに声をかけられた。
「ねえ、明日香さん。孝輔さんにさ、2日くらい前から連絡してるんだけど、全然返事なくて。何か知ってる?」
「え……?」
「具合でも悪いのかなって思って。普段はレス早いでしょ、あの人」
たしかに、孝輔はどんなに忙しくても、半日以上返信を遅らせることは滅多にない。
わたしは、その場では何も言わず、カフェの椅子に戻るふりをしてスマホを取り出した。
――大丈夫? なにかあった?
何度も言葉を選び直しながら、ためらいがちに送信して数分後、通知が鳴った。
ごめん、熱で寝込んでて。晴美にもちゃんとしたご飯作れてない……
不思議と驚きはなかった。
こんな答えが返ってくるのを、わたしは何となく予感していた気がした。
考えるより先に、戸棚から保冷剤入りの小さなランチバッグを取り出していた。たまたま前日に作りすぎたスープと、常備菜がある。手ぶらで行くよりマシだ。
見返りを期待しないやさしさなんて、とうに卒業したはずなのに。
気がつくと、わたしは孝輔の住むマンションの前に立っていた。
インターホンを押すと、しばらくして、応答があった。
「……明日香?」
声がかすれている。
「開けて。お見舞い。ちょっとだけ」
エントランスが解錠され、わたしはエレベーターに乗り込んだ。
ドアが開くと、彼の顔はひどく青白く、髪もぼさぼさだった。
「恥ずかしいな…こんな格好で」
「気にしてる場合じゃないでしょ。
スープとおかず、置いていくから。
あと冷えピタと飲み物も。薬は飲んだ?」
「……うん。さっき飲んだ。晴美が……
ポカリとゼリーを出してくれて」
「晴美ちゃんは?」
「部屋にいる。宿題やってるみたい……」
中には入らず、玄関先でそれらを手渡して、帰るつもりだった。
けれど、背後から足音がして、小さな影が覗き込む。
「……あ」
晴美がこちらに気づいて立ち止まった。
彼女の髪はきちんと結ばれているが、どこか疲れた顔をしていた。
「あのね……」
晴美がなにか言いかけて、やめた。
「……パパ、ずっと寝ててさ。
朝も……なんかぐるぐる言ってて」
「そう……晴美ちゃんは、ごはん食べた?」
「うん。でも、ドーナツとジュースだけ」
その言葉に、胸が締めつけられた。
「……ちょっとだけ、入ってもいい?」
彼女は一瞬迷ったように目を伏せたあと、こくんと頷いた。
わたしは靴を脱ぎ、キッチンへと向かう。バッグの中身を出し、鍋にスープをあけて温め始めた。
その間、晴美はダイニングの椅子に座り、黙ってこちらを見るともなく見ていた。
温かいスープをよそい、おかずを小鉢に分けてテーブルに並べる。
「……無理に食べなくていいけど、少しでも食べられるなら」
そのとき、彼女がぽつりとつぶやいた。
「……変わったね、前と」
はっとして、わたしは彼女の顔を見た。
けれど、晴美は視線を逸らして、黙々とスプーンを動かし始めた。
その小さな肩を見つめながら、わたしは胸の奥につかえていた棘が、ゆっくりと溶けていくように感じていた。
許されたわけじゃない。
でも、認められた。
ほんの、すこしだけ。
それでも、それだけで、胸が熱くなった。
孝輔のマンションを出て、重たい曇り空を見上げる。
ぽつり、ぽつりと雨が降り始めていた。
コンビニでビニール傘を買おうかな。いや、やっぱりこのままでいいや。
傘をささずに歩く帰り道。
ぽつり、と最初の街灯がともった。
それが合図かのように、ここにも一つ。
また、あそこにも一つ。
つぎつぎと灯ってゆく街の明かりが、まるでわたしを「こっちだよ」「さあ、おいで」と導いてくれているようで、わたしは歩きながら、気づかれないようにそっと涙を流した。
(神様、少しだけでいい、わたしに力をください)
なんの約束も、未来の保証もない温かみだけど、胸の奥にしずかに、でも確かに拡がっていくのを感じていた。
(つづく)
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※このお話はフィクションです。登場するお店のメニュー、営業時間などは事実と異なる場合があります。
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