見出し画像

『さよならの向こう側』第11回 居場所がない(明日香視点)#創作大賞2025 #恋愛小説部門 

←第10回  『さよならの向こう側』TOP  第12回→

雨が降り出しそうな、重たい雲の午後だった。
わたしは、テーブルに置かれたスマホを見つめたまま、黙っていた。

孝輔の声が耳に残っている。

「昨日、君の⋯
 由紀夫さんが会いに来た」

そのひと言だけで、すうっと血の気が引いた。

「え……。
 それで、なにを話したの?」

自分のものとは思えないほど、乾いた声だった。

「別に、たいした話じゃないよ」

曖昧に笑って、孝輔は視線を外す。
その様子が、余計に胸をざわつかせた。

「どういう意味?」

「……君のこと、よろしく頼むって。それだけ」

わたしは息をのんだ。

「それだけ?」

「うん。でも、君には伝えておいたほうがいいと思って」

その言葉、あなたの誠実さゆえと、思えなくもないけど。けれど、それでも——

「……わたしに、相談もせずに
 勝手に会ったりしないで」

怒りを抑えるようにして言ったが、声がわずかに震えた。

あの由紀夫のことだ。
会ったことも無い孝輔を探し出してコンタクトを取るぐらいだから⋯きっと恥ずかしげもなく、無遠慮なことをあれこれ並べたてたのだろう。

言ってくれたら、わたしからいくらでも話すのに。
孝輔も孝輔だ。
こういうとき男って、すぐ、つるむ。気持ち悪い。

「わたしが話したいと思ったら、わたしから話す。
 あなたが聞きたいと思ったら、あなたから聞いて。

 わたし、あなたからの質問をはぐらかしたことなんてある?
 わたしの居ないところで影で嗅ぎ回って、わたしが恥ずかしくて言えなかったことが聞けて満足?」

孝輔は黙ったまま、すまなそうにうつむいた。

沈黙にいたたまれず、逃げ出したくなる。

(もう終わったことのはずだったのに……)

立ち上がったつもりだった過去が、不意に引きずり戻された。

子どもができない、ただそれだけのことが
由紀夫の関心をじわじわわたしから奪っていった。

夫婦としての形が壊れていった日々。
そして、置き去りにされた自分。

(よりによって……あなたに知られてしまうなんて)

「ごめん……言い過ぎた。
 向こうから、会いたいって言ってきただけだもんね。

 わたしたち、人に会うのに
 いちいち許可を取らなきゃいけない間柄じゃないもんね」

やっとのことで、それだけ言うと、わたしは背を向けて走り出した。

彼には関係ないことと思っていた。
いや、思おうとしていた。

けれど、それを知ってなお、彼はわたしのそばに——

そのことが、かえって苦しく、わたしにのしかかった。 



数日後の昼休み。

職場のカフェスペースで、湯気をたてるカフェラテをカップに注いでいると、遠くから同僚たちの話す声が耳に届いた。

「この間、保育園でさ……」
「うちの子は夜泣きがひどくて」
「だよね、わかる」

子育ての話で盛り上がっていて、わたしが居ることに気が付かないのかも知れない。
そしてすぐそばまで来ると、ぴたっと話しをやめた。

悪気がないのは、わかるよ。でももう聞こえてる。
気をつかえば、つかわれるほど、仲間じゃないわたしが浮き彫りになる気がして。

──あのときも、そうだった。
まだ結婚していた頃、社員旅行の帰り道。
バスの後部座席で、育児の話に花を咲かせていた同僚たち。

静かに聞いているだけのわたしに、今さら気がついたように誰かが言った。

「ちょっと、明日香ちゃんの前で――」

それは気遣いだったのかもしれない。

けれど、そんなにわたしが"こちら側"ではないことを突きつけなくても良くないですか。バスという、逃げ場のない空間で、拷問みたいに追い詰めなくても良くないですか。

「大丈夫です、気にしてませんから、続けて?」
つい言ってしまった。

いつまで続けなくちゃいけないんだろう。わたしは一生、気にしてない振りをして、にこやかに生きていくのだろうか。

(やっぱり、わたしは、どこにも居場所がなかったんだ)

 そんな感情が、また胸に戻ってきていた。

(つづく)

←第10回  『さよならの向こう側』TOP  第12回→


ここから読み始めた方へ、登場人物とあらすじの紹介はこちら

※このお話はフィクションです。実在するお店や施設が登場しますが、メニュー、営業時間などは事実と異なる場合があります。


【この連載のマガジン】


【はじめましての方へ】


いいなと思ったら応援しよう!