『さよならの向こう側』第7回 揺れる娘の心(孝輔視点)#創作大賞2025 #恋愛小説部門
披露宴のざわめきが、少し遠くに聞こえる。
流れるようなピアノの生演奏が
テーブルクロスの白さに沈んでいく。
静かに、でもどこか緊張感を含んで。
僕と晴美は、会場の片隅にある控えのスペースに移動していた。
小さな円卓と椅子が二脚。
照明は柔らかく落ちていて、
外の喧騒からは少しだけ離れている。
晴美は黙ったまま椅子に座って、スカートの裾をいじっていた。
さっきの言葉が、耳の奥でずっと鳴り響いている。
——「パパに近づかないで」
彼女の声にはっきりと宿っていたのは、
“怒り”ではなく、“恐れ”だった。
僕が誰かに連れていかれることへの、本能的な拒絶。
きっと、これまでに僕が無意識に与えてきた
“安心”という居場所が、脅かされると感じたんだろう。
でも、それは明日香にとっては——あまりに、残酷だった。
「……ごめん」
晴美がぽつりと言った。
小さな声だったけれど、はっきりと僕のほうを見ていた。
「パパ、怒ってる?」
「怒ってないよ」
僕はゆっくり首を振る。
その瞬間、彼女の目がふっと揺れて、視線が少しだけ下を向いた。
「だって……泣きそうな顔、してるよ」
図星だった。
笑って返せなかった。
だから、僕は正直に言うことにした。
「晴美の言葉で、誰かが傷つくのを見たら……
パパは悲しくなるよ」
「……」
「でも、気持ちはわかる。怖かったんだよな」
言いながら、晴美の手の上に、自分の手をそっと重ねる。
ひんやりしていたその手は、少しずつ体温を戻し始めていた。
「……あの人、やさしそうだったけど」
ようやく口を開いた晴美の声は、さっきより少し柔らかかった。
「無理に仲良くしなくていい。
でも、ちゃんと“人として”向き合ってくれる人なんだ」
「ふーん……でも、こわいもんはこわい」
「そうだな」
僕は苦笑した。
そうだよな、と思った。
きれいごとだけじゃ、晴美の気持ちは守れない。
だから、僕はこう続けた。
「……今日は、ずっと一緒にいよう。
無理に戻らなくてもいい。
晴美が落ち着くまで、ここにいよう」
晴美は少し考えて、こくりと小さくうなずいた。
そのしぐさに、ようやく僕の胸の奥が、ほんの少しだけほどけた。
そのとき、控え室の入り口の向こうを、明日香が通った。
目が合った——けれど、彼女はまっすぐ前を向いて
何も言わずに通り過ぎていった。
笑顔も、目も、何もなかった。
まるで、僕がそこにいないみたいに。
たぶん彼女は、優しさで去ったんだ。
でもそれは、“優しさ”が
一番の痛みになる瞬間でもあった。
「パパ」
晴美が、不意に僕の手を強く握った。
「パパのこと、守るから」
子どものくせに、そんなことを言って。
でもその言葉が、どうしようもなく胸に染みた。
——今は、それでいい。
彼女の“守りたい”に応えるのが、今の僕の全部だ。
(つづく)
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※このお話はフィクションです。実在するお店や施設が登場しますが、メニュー、営業時間などは事実と異なる場合があります。
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