AIで新規事業案10本作れた日にプレゼンで詰まった話
こんにちは、白石と申します。
新規事業の立ち上げを、キャリアのほとんどの時間で続けてきました。
一度、1日で新規事業案を10本起案してみたことがあります。
以前なら1本に何週間もかけていたものが、その日は朝から夕方までで10本揃いました。企画書としても綺麗に仕上がっていて、市場の規模も、想定顧客も、収益の組み立ても、抜けているところがない。手応えがあったので、そのまま説明の場に持っていきました。
そこで、思っていなかったことが起きました。長く新規事業の立ち上げに携わってきた立場から書きますが、あの日に感じた居心地の悪さは、AIの精度の話ではありませんでした。今日はその話を書きます。
当事者になれないまま説明していた
苦戦したのはプレゼンです。
資料に書いてあることは、当然ながら説明できます。何処にどの数字があるかも把握していますし、質問されれば該当のページを開いて答えられます。それなのに、話しているうちに妙な感覚が出てきました。
自分が、その資料をいちばんよく知っている人間ではない
正確に言うと、その場にいる他の人たちと、自分の理解度がそう大きく変わらないのです。彼らは今この場で初めて読んでいて、私は昨日作っている。それなのに、深さがほとんど同じでした。
「この価格設定にした理由は何ですか」と聞かれた時に、資料に書いてある根拠は読み上げられます。ただ、その根拠を自分で握っている感じがしない。「この数字は、こういう前提で置いています」と説明しながら、頭の片隅で「その前提は誰が決めたんだったか」と考えている。本来なら聞かれた瞬間に「そこは私も最後まで迷いました」と返せるはずの質問でした。
何故そうなるのかは、話しながらわかってきました。私はその案を作っていないからです。正確には、作る作業はしましたが、その案に至るまでの過程を通っていません。1本の案を何週間もかけて作っていた頃は、その間ずっと迷っていました。この市場は本当に伸びるのかと調べ直し、この価格では取れないと気づいて組み直し、似た事例を探しては違うと落とす。捨てた案が10個も20個もあって、なぜ捨てたのかを全部覚えている。だから聞かれる前に、弱いところが何処かを自分で知っていました。
その日の10本には、それがありませんでした。説明はできる。ただ、当事者にはなれていない
下積みが当事者意識を作っていた
作る時間というのは、成果物を作っている時間だと思われています。実際には、それだけではありません。作る時間は同時に、作った人を当事者にしている時間でもあります。
熱量、思い入れ、試行錯誤。まとめて下積みと呼んでおきます。この下積みは資料には一行も現れませんが、資料を背負って歩けるかどうかを決めています。会議で厳しい質問が来た時に、その場で踏みとどまれるかどうか。反対されたあとに、それでも持ち帰ってもう一度やるかどうか。全部、下積みの側から出てきます。
下積みが作っていたのは、資料ではなく当事者です
AIが圧縮したのは、この下積みのほうでした。作業だけを速くしたつもりが、当事者を作る工程まで一緒に飛ばしていた。だから成果物は綺麗なのに、それを持っている人が誰もいない、という状態が起きます。
これは能力の話ではありません。私は10本作れましたし、資料の出来は悪くなかったと思っています。ただ、10本ぶんの当事者意識を、1日で身につけることはできませんでした。当事者になるための時間だけは、圧縮できなかったのです。
面白いのは、10本のうち1本だけ、以前から自分の中で温めていた領域のものがあったことです。その1本だけは、聞かれる前に弱点を言えました。「ここは、まだ検証できていません」と自分から出せる。同じ日に同じ道具で作った10本なのに、下積みのある1本とない9本では、話している時の姿勢が違っていました。
任せる範囲が広がるほど手元に残る感覚のほうが重くなる、という話は以前に書きました。あの時に手触りと呼んでいたものは、今から思えば下積みのことでした。
綺麗すぎる資料から温度が伝わらない
同じことを、反対側からも見ています。
私は起案を大量にレビューする立場にもいます。ここ1年で、上がってくる資料が変わりました。情報量が桁違いに増えています。市場のデータも、競合の一覧も、想定顧客の分類も、以前なら何人かで手分けしてやっと揃えていた量が、最初から全部載っている。それが波動拳のように飛んできます。
レビューする以上、こちらは良い点と悪い点を言語化して、評価を下して、次の一手まで出さなければなりません。ところが、これが難しくなりました。理由は、資料が悪いからではありません。逆です。
本当に、綺麗なのです
非の打ち所がない。誤字もなく、構成も揃っていて、論理も通っている。以前の資料には必ず粗がありました。ここの数字だけ根拠が薄い、この節だけ妙に短い、この結論が前の節と繋がっていない。その粗が、こちらにとっては入口でした。一つ引っ張れば、その周りも一緒に確かめられた。書いた側の自信のなさが、そのまま検分の取っ手になっていたわけです。
綺麗な資料には、その取っ手がありません。表面がつるつるしているので、何処から手をかけていいのかわからない。それでも読み進めながら、別のことが気になってきます。
温度が、伝わってこないのです。突出した何かを感じない、と言い換えてもいい。ロマンとそろばんの両方が書かれていて、文面上はどちらも理解できます。ただ、そこに熱量がない。この人はこの事業を本当にやりたいのか、という一点が、資料からはどうしても読み取れません。
ロマンとそろばんの配分については、以前に一本書いています。あの記事で書いたのは配分の話でしたが、今はその手前で、そもそも温度があるのかを見ています。
そして起案する側も、「資料を見てください」というスタンスになりがちです。資料が完璧なのだから、それで伝わるはずだという理屈です。理屈としては正しい。ただ、事業案の審査で本当に見られているのは、資料が正しいかどうかではありません。この人に任せて大丈夫かどうかです。
試しに「この中で、いちばん危ないと思っているのは何処ですか」と聞くことがあります。以前なら、書いた本人はここで詰まりませんでした。「実は3ページ目の獲得単価が、かなり強気です」といった答えが、すぐに返ってきた。自分が無理をして置いた数字は、書いた人がいちばんよく覚えているからです。今は、この質問で止まることが増えました。資料には全部書いてあるのに、書いた人が何処に無理があるかを知らない。
読み解ける量は脳が決めている
ここまでの二つは、立場が逆なだけで同じことを言っています。
作る工程が圧縮された結果、当事者が減り、読み手だけが増えた。作った人も読み手の位置に立ってしまうと、その資料を最後まで背負う人がいなくなります。全員が読み手になった会議では、誰も決めません。決めないというより、決められない。
ここで厄介なのは、読み解く速度のほうは全く変わっていないことです。20ページの企画書を読んで、通したら来期の予算がどう動くのか、誰が担当することになるのか、前に似た案が潰れた時の本当の理由は何だったのかを頭の中で一通り当てて、初めて良し悪しを言えます。腹に落とすには一晩挟むくらいの時間が要りますし、これは道具を入れ替えても短くなりません。
1日のうちに読んで、疑って、決めきれる件数には上限があります。人によって多少の差はあっても、桁が変わるほどの差はありません。この上限は道具の性能ではなく、人間の脳が一度に保持できる量に依存しています。だから外注もできませんし、増設もできません。
読み解く速度だけは、外注できません
私はこれを、悲観すべき話だとは思っていません。むしろ逆で、人間がやるべき役割の輪郭が、この1年ではっきりしたのだと考えています。作ることは渡せる。読み解いて、背負って、決めることは渡せない。そう線が引かれただけです。
要約させればいいのではないか、と思われるかもしれません。実際、20ページを1ページにまとめさせること自体は、今なら数秒で終わります。ただ、そこで渡ってくるのは「何が書いてあるか」だけです。「これを通したら誰が困るか」は渡ってきません。
読み解くという作業の実体は、要約ではなく照合だからです。この獲得単価は、3年前に同じ市場で外した時の数字に近くないか。この体制図に名前の載っている人は、来期も本当にここにいるのか。この撤退条件は、前に握れなかった条件と同じ形をしていないか。照合先は全部、こちらの頭の中と、これまでに見てきた失敗の側にあります。資料の中には書かれていませんし、書きようもありません。
だから、読む量を減らすことはできても、読み解く仕事そのものを外に出すことはできない。ここが上限として残ります。
名前のついていない能力ほど現場では効いている、という話は昨日書いたばかりです。読み解く力も、まさにそちら側にあります。求人票の必須要件に書かれているのを見たことがありません。
下積みのない資料に人間くさくレビューする
では、どうしているか。昔ながらの考え方かもしれません。
ただ、AIで出してきた成果物のレビューほど、私は人間くさく返したくなります。資料の不備を指摘するのをやめました。指摘できる不備が、そもそもありません。代わりに聞くのは、資料に書いていないことです。
「この案で、いちばん自信がないのは何処ですか」
「捨てた案はいくつありますか。それは何故捨てましたか」
「この事業を3年やることになったら、何が嫌ですか」
どれも資料には書いていません。書きようがない質問です。答えられない時は、大抵そこで下積みが飛んでいます。責めているのではなく、一緒に埋めにいくための質問です。そして答えが返ってきた瞬間に、温度が出ます。「3年やるなら、正直この顧客層と付き合い続けるのはしんどいです」と言われたほうが、綺麗な資料を10ページ読むより、その人がこの事業をどう見ているかがわかります。資料には最後まで現れなかったものが、口から出てきた途端に立ち上がる。この落差が、今いちばん面白いところだと思っています。
出させる数も減らしました。10本作れるからといって、10本見る必要はありません。先に条件を絞ってから作らせます。作る側の制約ではなく、読み解く側の上限から逆算して数を決める。数を絞ると案の質が落ちるように思えますが、実際に落ちるのは、見ずに捨てる案の数のほうです。
そしてこれは、自分が起案する側に回った時にも効きます。10本作った日のあと、私は本数を追うのをやめました。作れる本数ではなく、背負える本数で決めています。
作れる量と、背負える量は違います
アウトプットはこれからも増え続けますし、来年にはまた何倍かになるでしょう。ただ、読み解いて背負える量のほうは据え置きです。そうすると、価値の置き場所は自然と移っていきます。速く出せる人ではなく、出てきたものを読み解いて、温度を足せる人のほうへ。
もしあなたの手元で、案は増えたのに決まる数が変わっていないなら、原因は作る側にはありません。次に誰かの資料を見る時、不備ではなく、捨てた案の数を聞いてみてください。返ってきた答えのほうに、資料には書かれていない温度が入っています。
非エンジニアの立場でAIをどう使っているかは、こちらにまとめています。
いかがだったでしょうか。
貴方の中に少しでも気づきを与えられていたら嬉しいです。
それでは。
