夜でも、昼でもない、第三の熱中症|臨床メモ⑧
熱中症には、昼がある。
炎天下で、
対策もしないまま、身体を動かす。
そして、
高確率で突然訪れる昼タイプ。
熱中症には、夜もある。
眠っている間に、静かに訪れる。
涼しいはずの布団の中で、
気づくと蒸れていく。
睡眠という、
盲点の時間帯に起きる夜タイプ。
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けれど、
そのどちらでもない熱中症がある。
昼でもなく、
夜でもなく。
「今」という一点でもなく。
数日という、
時間そのものの中に、
潜んでいるタイプ
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疲れが取れない。
食欲が落ちている。
それだけなら、
誰もが、
「夏バテ」と呼ぶ。
けれど、
その正体は、
数日間の暑さによって、
少しずつ余裕を失っている身体かもしれない。
一日では、
壊れない。
けれど、
積み重なれば、
壊れていく。
その熱中症は、
「古典的熱中症」
と呼ばれています。
高齢者などに多く、
数日間の暑熱曝露を背景に、
徐々に発症することがあります。
判断が遅れやすいのは、
そこへ至るまでの変化が、
劇的ではないからです。
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昼の熱中症は、
事件として現れる。
夜の熱中症は、
油断として現れる。
そして、
第三の熱中症は——
時間の経過と共に、現れる。
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でもなぜ、
気づけないのか。
理由のひとつは、
痛みがないことです。
熱中症と聞いて、
思い浮かべるのは、
めまい。
吐き気。
倒れる。
そんな、
決定的な瞬間です。
けれど、
古典的熱中症では、
そこへ至るまでの
「決定的な瞬間」が、
わかりにくいことがあります。
あるのは、
ただの、だるさ。
あるのは、
ただの、食欲不振。
身体は、
そんなに大きな悲鳴を、
上げていない。
ただ、
小さな声で、
「やばい。」
と、囁いているだけ。
そして、
その声は、
「歳のせい。」
「疲れのせい。」
「夏バテかな。」
という、
聞き慣れた言葉に、
かき消されやすい。
自分の体力への過信は、
それに拍車をかけます。
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年齢を重ねると、
筋肉量や身体の総水分量は、
若い頃より減少する傾向があります。
それだけではありません。
暑さそのものへの感覚や、順応能力
喉の渇きを感じる力も、
低下していきます。
身体には水分が必要なのに、
それほど喉が渇いていない。
身体には熱がこもっているのに、
それほど暑いと感じていない。
だから、
飲むのが遅れる。
気づくのも、
遅れる。
でも、
身体が持っている水分の余裕は、
若い頃より少なくなっている。
これは、
意志の弱さではありません。
身体の、
加齢と構造の話です。
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臨床の現場でも、
似たようなことがあります。
痛みを強く訴えない身体ほど、
実は、
深く損なわれていることがある。
「大丈夫。」
という言葉が、
一番信用できないケースだってあります。
古典的熱中症は、
その典型例のひとつなのかもしれません。
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事件でもなく、
油断でもなく。
時間という、静かな刃物。
それに気づくには、
「今の自分」だけを見ていては、
足りません。
数日前の自分。
そして、
数日先の自分。
その両方を、
同時に見ておく。
そして、
自分の感覚や体力を、
過信し過ぎない。
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「茹でガエル」
という、
よく使われる比喩があります。
少しずつ変化するものには、
案外、
気づきにくい。
昨日と今日では、
それほど変わらない。
でも、
数日前と今日では、
何かが違う。
第三の熱中症の怖さも、
そこにあるように思います。
暑さは、
その日のうちに、
終わらない。
身体もまた、
その日のうちには、
答えを出さない。
