「“ぐちゃぐちゃ”を教えるという育児。」#1 -シリーズ『育児のリアルと、ことばの実験』-
「汚していい」って、教えたことありますか?
育児は、きれいごとじゃない。
でも、ぐちゃぐちゃの中にこそ、その子の「やってみたい」がある。
そんなふうに子どもと向き合った日々を、言葉にしました。
—
「ぐちゃぐちゃにしていいよ」
私は下の子に、そう教える必要があった。
上の子は、生まれたときから豪快で、自由で、
とにかく「やってみたい」が先に来る子だった。
お絵かきも、粘土も、食事も、ぐっちゃぐちゃ。
でも、本人はいつもちゃんと満足してた。
—
下の子はちがった。
どこか慎重で、「これ、やってもいいの?」と私の顔を見ながら動く。
だから私は、ことあるごとに言った。
「いいよ、汚しても。豪快にやってごらん」って。
—
その結果――
2歳ごろまであんなにきれいにご飯を食べることが出来たのに。。6歳の今、家では食事中手づかみで食べたがるし、食事の後は、どろどろの手を毎回服で拭くようになってしまった。
もちろん、「おてては、ててこふき(ウェットティッシュ)で拭こうね」とは、教えている。でも、もう時すでに遅し(´;Д;`)小学校に上がった今も、ちっとも直らない。
でもね、幼稚園や学校では、ちゃんと先生や周りに合わせて「決まったやり方」で食事や生活を送っているようだった。
むしろ、優等生すぎるくらいだと、先生から聞かされてとても驚いた。
家で彼女の様子を見ていると、たまに、「あぁ、やりすぎたかもしれない。いらんこと教えすぎた。」と後悔することもある。
でも、自然と周りに合わせすぎてしまう子には、
「自分らしくいられる場所や方法も持っていていいんだよ。」
と教えてあげることも、一つの教育かもしれないなって、思うようにしている。
きっと、大人になるまで続けるわけじゃないし、まぁ、いっか。
今の私はそんなふうに思う。
—
子どもたちがまだ小さなころから、
私は彼女たちを1人の人間として尊重したいと思ってきた。
もちろん、認知の発達段階によって、
できることや理解のスピードは違う。
でも、それでも――
“その子の気持ち”や“その子の尊厳”は、年齢に関係なくちゃんとある。
—
「やりたい」も、「やりたくない」も、
「こわい」も、「見てて」も。
そういう全部の気持ちを、
“受け止めるに値するもの”として、扱いたかった。
—
でもね、尊重するって、いつも穏やかで上手な育児になるわけじゃない。
上の子には少し多動傾向があって、
保育園のお昼寝中に抜毛してたり、落ち着かなかったりして、
発達検査や心理士さんとの面談を受けたこともある。
でも私は、
「この子を“障害”として定義したいわけじゃない」と思ってた。
ただ、
“この子が、この子らしく、生きやすくなる方法”を一緒に探したかった。
今でも、それは変わっていない。
—
子どもたちは、それぞれ違う。
でも、ちゃんと「人間」として、最初からここにいる。
それを忘れないようにしたい。
育児は、日々の“ことばの実験”でもあるから。
—
読んでくれて、ありがとう。
あなたが、ここにいてくれてよかった。
よければ、ひとことだけでも、残していってね。
still.
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