【小説・ヴィーナス症候群】(番外編16)傷痍軍人記念館の午後
西土浦・国立先端医工学研究センターの敷地の片隅に、木造の長い建物がひっそりと横たわっている。
外観は古びた診療所そのもので、磨りガラスの窓と深い軒が、かつてここに人の出入りが絶えなかった時代をかすかに伝えていた。
こここそが、もともと国立土浦傷痍軍人療養所として機能し、日本における義肢研究の源流の一つとなった場所である。
現在、この建物は「傷痍軍人記念館」として再利用され、研究センターに付属する小さな博物館施設となっている。
来館者は多くない。小中学校の平和学習で団体が来る日を除けば、廊下に響くのは自分の足音くらいだ。
それでも、展示台に並ぶ戦時中の義手や義足は、誰かが見ていようがいまいが、確実に時間の影響を受け続けている。
学芸員の冨手小春は、その静かな空間の中で、ひとつひとつの資料に目を走らせていた。
骨肉腫で左脚を切断し、今は大腿義足を使っている彼女にとって、この場所は職場であると同時に、どこか奇妙な親近感のある場所でもあった。
木製の義足、革のソケット、簡素な金具。時代も技術も違うが、「身体の代わり」という一点では、連続している。
革製品の保存方法も、ここに来てから覚えたことのひとつだった。
冬場は乾燥で硬化し、ひびが入りやすい。かといって加湿しすぎればカビる。
温湿度計の数字とにらめっこしながら、毎日のように状態を確認する。
誰も見ていない場所ほど、手を抜けない。
来館者のいない午後、展示室には木の床を踏む音だけが静かに響いていた。
引き戸が、すっと開く。
同じように大腿義足を装着した女性が、奥から顔を出した。
PO(義肢装具士)の平浜優だった。
「……あら、優ちゃん。帰ってきてたの!」
小春が振り向いて、ぱっと表情を明るくする。
優は、手に持っていた箱を差し出した。
「北九州土産の栗饅頭です」
「ありがとう〜」

受け取りながら、小春はくすっと笑う。
「優ちゃん、出張で手榴弾事件に巻き込まれたって、みんな言ってたから」(番外編14話)
「心配してました?」
「ううん? 怖いもの知らずの優ちゃんが、あんな怖そうな声するの初めて聞いたって、みんな言ってた」
「……少しは心配してほしかったのに」
肩をすくめてから、優は小春の足元をちらりと見る。
「でも小春さん、しばらく会ってなかったような気がします」
「そうなのよ」
小春は、展示台の方に軽く手をやりながら言う。
「あの強烈な女性の国会議員、来たじゃない?」(本編644話)
「ああ、知ってます。所長に『あんたモテないでしょ!』って言った人ですよね」(本編661話)
「そのおばさんね、客が来ない博物館は価値がないから全部潰せって言ってるみたいで」
小春は、ため息まじりに笑う。
「だから、“どんなふうに役立ってます”っていう説明資料、延々作らされてたの。冬場の乾燥対策だけでも大変なのに」
「エグいですよね。戦争に役立つ博物館にしろとか言ってたらしいですよ。高梨先生もキチガイババアって言ってましたけど」
「その高梨先生なんだけどさ、さっき本館のトイレ借りに行ったら、なんかそわそわして走り回ってたの」
「そうそう、ヴィーナス児の件で、大発見らしいんです」
「え、ああ……コルチカムの会の、つばさちゃんとか、サイセイの結菜ちゃんたちみたいな?」
「そうです。今まで原因不明だったのが、もしかしたら分かったかもしれないって。外国の大学にいる日本人研究者らしいんですけど」
「凄くない?」
「……でも、高梨先生いわく、“人間的にちょっとね……”って」
「えー……」
小春は思わず笑う。
静かな展示室に、二人の気の抜けた声だけが、やわらかく響いた。
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