その希望でよければいくらでも
出産と同時に、私の顔面神経麻痺のリハビリが始まった。
ただでさえ産後は交通事故のような状態と言われているのに、顔の右半分の神経が損傷している状態。
できればずっと寝ていたかったけど、もちろんそういうわけにもいかない。
そんなわけで私は普通より長く(普通ってどれくらいかわからないけど)実家の世話になっていた。
娘は寝るのが下手な子だった。夜中何度も泣いて起こされた。
私が抱っこして泣き止むのは本当に時々。ばぁばに抱っこされて泣き止むことの方が多かった。
いや…私ママなんだけど。おなかにいる時から話しかけて絵本読み聞かせて歌も歌ってたんだけど。めちゃくちゃ情けなかった。
実家の近くの家に戻ってからも、母には本当に助けてもらった。
2歳で何も食べなくなって入院して、その流れで療育センターを紹介された。
その時に「言葉も身体もどちらも遅れているので、ちょっと深刻です」と言われた。元夫は「おまえがあまり外に連れ出さないからだ」と言った。
それから娘のいろんな特性が見えてきて、私は探り探り我が子と付き合うようになった。
療育の先生に「娘ちゃん、お母さんのところに生まれてきてほんとよかったと思う」と言われた時、めちゃくちゃ嬉しかったけど、ちょっと冷めている自分もいた。
私は娘のパニックを最小限に減らしたくて、我慢に我慢を重ねているだけだった。(それでも失敗は多かった)
娘は触られるのが嫌いな子だった。
娘が泣いている時、抱きしめたいのにそれは叶わない。
触るとますます泣くし、「大丈夫だよ」と言っても伝わらない。
ある日、娘と二人でエレベーターに乗った時。
乗り合わせた男の子と、そのママの会話が聞こえた。
「ママ」
「なーに?」
「大好き」
「ふふふ…」
泣きそうになった。うちの娘はこんなこと言ってくれる日が来るんだろうか。
いいなぁ。いいなぁ、このお母さん。
羨ましく感じてしまう自分もイヤだった。
4歳になって初めて、母子分離の療育に挑戦した。(ちょうど離婚した頃)
それまでオウム返ししかできなかった娘。
「娘ちゃんも食べる?」と聞くと、「娘ちゃんも食べる?」と返ってくる。
療育から帰ってきた娘に、連絡ノートを見ながら話しかけた。
「シャボン玉したん?」
娘は考えて、かなりの時間をかけてこう言った。
「…シャボン玉…したん。」
「?」を取って返してくることを覚えた瞬間だった。
たぶん私は泣きながら、「そっか、シャボン玉したん~!」と言ったと思う。(よく覚えていない)
この時から本当に「めきめき」という音が聞こえるくらい、娘は成長した。
どんどん会話ができるようになって、私はめちゃくちゃ喜んだ。
そして娘5歳、私の誕生日の朝。
私が洗濯物を干そうとしていると、いつものようにお絵描きしていた娘に聞かれた。
「ママ、『め』ってどう書く?」
「め? えっと…」
近づいて見本を書こうとすると、アンパンマンの絵の周りに「ままおたんじょうびお」まで書かれていた。
この時も泣いた。泣きながら「め」を書いた。
娘が小さい時に大変だったこと、っていうのを私はかなり覚えている方だと思う。
パターン通りじゃないと気が済まない娘、それに付き合う日々…。
今そうじゃなくなって、本当に幸せだなぁと思っている。
よく二人で、「タイムマシンに乗って過去の自分に会いに行くごっこ」をしている。
娘は過去の自分に怒っていて、過去のママに「こんなに大きくなったよ、喋れるようになったよ!」と言ってくれる。
今はちょっと遅れてやってきた「ママ大好き期」を存分に楽しませてもらっている。
子離れの心の準備、っていうものをした方がいいのかな、と思う時もあるけど。それはもう少し先でもいいか。
娘は13歳にしてはかなり甘えんぼうな方だと思う。それがまた可愛い。
今日も娘は言う。「ママ、ぎゅーして!」
その希望でよければ、いくらでも!
「その希望でよければいくらでも」で書かせてもらいました。
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