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勉強は3ヶ月で追いついた。それでも12歳の僕は、また学校に行かなくなった

小6、12歳の春。
僕は4年ぶりに、教室の椅子に座った。

いじめは、なかった。
ひどいことを言われたわけでもなかった。

それでも僕は、また学校に行かなくなった。


遅れていた、小2から小5までの勉強を、3ヶ月で一気に終わらせた。

「せっかく行けるようになったのに、どうして」

40年前、教室の椅子に座っていた僕に、起きていたことを書いてみます。


4年分の勉強は、3ヶ月で取り戻せた

11歳の終わり、僕は決めた。

小学校最後の1年だけは、教室で過ごしてみよう。

保健室の隣の部屋で、初めて「学校って楽しい」と思えたことは、前に書いた。

でも、僕の頭の中は小2のままだった。

学校に行っていない4年間、教科書を開いたことがなかったからだ。

捨てる教科から、先に決めた

埃をかぶった教科書を全部ひっくり返して、まず、量を数えた。

全部の教科をまんべんなくやるのは、無理だ。

算数と理科と、漢字。
授業についていくのに要る分だけに絞った。

完璧も、あきらめた。

理解度は6割でいい。
間に合わせることを、優先した。

1日20ページ。

問題を解いて、間違えたら先に答えを見る。
なぜその答えになるのか、うんうん言いながら考える。

3ヶ月で、4年分をひと通り終わらせた。

やればできるじゃん、俺。

このときの僕は、こう思っていた。

勉強さえ追いつけば、教室に戻れる。

準備は、できたはずだった。


4年ぶりの教室で、僕は「うわさの中の別人」になっていた

小6の教室には、遠くから来た転校生の女の子がいた。

その子は、長ズボンのジーパンをはいていた。

まわりの子は、半ズボンかスカート。

たったそれだけのことで、その子はすごく「浮いて」見えた。

転校してきただけで、浮く。

じゃあ、4年間この学校に来ていなかった僕は、みんなにどう見えているんだろう。

僕が保健室にいたことも、ずっと家にいたことも、クラスのほぼ全員が知っている。

あとになって、クラスの女子に言われたことがある。

「デブで、メガネで、オタクっぽい子だと思ってた」

実際の僕は、ガリガリに痩せていて、メガネもかけていない。

「なんだ、普通の人じゃん」

会う前の僕は、うわさの中で、別人になっていた。

教室の椅子に座っているだけで、背中に視線を感じた。

それでも、最初の何日かは通った。

勉強で追いつけることを、証明したかったからだ。


テストは30点まで戻った。でも、休み時間がいちばん難しかった

授業は、思ったよりついていけた。

自分の学力を、自分で測ってみた。

クラスの平均の、だいたい6割。
平均点が50点のテストなら、僕は30点。

ゼロじゃない。
ここからなら、埋められる。

勉強の差は、数字で見えるからだ。

見えない差は、別のところにあった。

休み時間。
教室のあちこちで、笑い声が起きる。

去年の運動会の話。
先生のまね。
仲間うちだけで通じる言い回し。

クラスのみんなは、小1からの5年間を一緒に過ごしてきた。

同じ教室で、同じ給食を食べて、同じ先生に叱られてきた。

僕の言葉は、テレビと本とゲームで覚えた言葉だった。

授業には、ついていける。
休み時間の話には、ついていけない。

勉強の遅れは、3ヶ月で追いつけた。
5年分の「一緒に笑った時間」は、3ヶ月では埋められなかった。

みんなは、何も悪くない。
僕をいじめる子は、いなかった。

まわりの子も、4年ぶりに現れた僕に、どう話しかけていいかわからなかったのだと、いまなら思う。

友だちは、いた。でも「クラスメイト」は違った

不思議だったのは、友だちがいなかったわけではない、ということだ。

団地の友だちとは、放課後によく遊んでいた。
学校に行っている子たちだ。

遊びたいときに声をかけて、遊びたいだけ遊んで、別れる。

でも「クラスメイト」は、違った。

毎日、同じ部屋で、朝から夕方まで顔を合わせ続ける団体。

そこにどう混ざればいいのかが、僕にはわからなかった。

1対1なら、話せる。

30人の輪への入り方だけが、どの教科書にも書いていなかった。


事件ゼロ、いじめゼロ。それでも僕は教室を出た

ある日の休み時間、僕は教室を出た。

だれかに何かを言われたわけじゃない。
きっかけになる事件も、なかった。

しいて言えば、ひとつだけ。

自分だけ、違う国から来たような感覚が、ずっと薄く続いていた。

「とにかく、ここは僕のいる場所じゃない」

12歳の僕にあったのは、その一言だけだった。

そして僕は、小6でも「学校に行かない」と決めた。

卒業式には、出ていない。
それでも卒業できた話は、前に書いたとおりだ。


40年後にわかった、「足りなかったもの」の正体

あれから40年。

大人になった僕は、あの教室をこう振り返る。

あの春の僕に足りなかったのは、勉強ではなかった。

足りなかったのは、みんなと「一緒に過ごした時間」だった。

それは僕の努力不足でもないし、クラスの誰かの意地悪でもない。

4年分の空白は、3ヶ月の猛勉強では埋まらない種類のものだった。

だから、教室に戻った子が、また休み始めたとしても。

それは「後戻り」ではないのだと思う。

その子は、戻った教室で、勉強よりずっと難しい何かと、ひとりで向き合っている。

そしてもう1つ、40年後の僕にはわかることがある。

「一緒に過ごした時間」は、教室の外でも積めた。

保健室の先生と、ワープロを打った時間。
ゲームセンターのお兄さんたちと、ごみ捨てをした時間。

あの人たちの輪には、僕も入れてもらえた。

輪に入る練習は、教室の中でしかできないわけじゃなかった。


「せっかく戻れたのに」の夜に

お子さんが、行けるようになった学校を、また休み始めたとき。

「あの登校は、何だったんだろう」と、力が抜ける夜があると思います。

僕の場合は、こうでした。

勉強の遅れは、追いつけました。3ヶ月でした。
輪の中に戻る時間は、それよりずっと、ゆっくりでした。

もし今夜、勉強の遅れが心配で眠れないなら。

その心配は、たぶん、お子さん自身が誰よりも先にしています。

12歳の僕が、埃をかぶった教科書を自分でひっくり返したように。

そして、学校を休んでいる間も、子どもは誰かと時間を積んでいます。

家族と。
近所の人と。
画面の向こうの誰かと。

僕の40年をふり返ると、その時間も、ちゃんと「輪に入る力」になっていました。

あなた自身は、子どものころ、どちらでしたか。

「勉強はできたのに、輪に入るのは難しかった」
「輪に入るのは、わりと得意だった」

読みながら思い出した場面が、ひとつでもあったなら、この話は書いたかいがありました。

今日も、読んでくださって、ありがとうございます。


★初めて「学校って楽しい」と思った日の話です
「#不登校 8歳で学校をやめた僕が、11歳で初めて「学校って楽しい」と思った日」

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「出席日数が足りないと卒業できない?11歳の実話」

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「8歳の僕に、母の「生きていて」は届いた。翌日、その会話をまねされた」



◆この実話の連載について
8歳で学校をやめ、義務教育2年のみで育った40年後の僕が検証する「不登校でも生き抜く力」の育て方を一緒に考えます。

不登校、社会からの圧力。
大人になった時のすばらしさ、苦しさ、現実。
ありのままをお伝えします。

この連載は実体験に基づいています。
プライバシー保護のため人物は仮名にし、記憶をもとに一部を再構成しています。

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